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笛地静恵さん

SM小説家。妄想家。言葉遊び師。 三和出版『女神の愛』「女神帝國盛衰記」連載中 他

性別 男性
将来の夢 歌集、句集をだすこと。
座右の銘 永遠の未完成、これ完成(宮沢賢治)

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京都大空襲

16/04/11 コンテスト(テーマ):第107回 時空モノガタリ文学賞 【 色彩 】 コメント:0件 笛地静恵 閲覧数:1025

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 出征の前夜。いきなり。くちびるを吸われました。わたくしのからだを、もとめてきました。痛みはありましたが、それ以上に喜びの方が、大きかったのです。わたくしは、十五歳になったばかりでした。ふたりとも、けして口には出しませんが、これが、この世でのさいごの契りとなるかもしれないと、思っておりました。燃えました。
 彼は、戦場に出ていきました。古い貴族の家系です。庭の桜が散り始めていました。
 日々は、あっという間にすぎていきます。わたくしにも、海軍少尉の妻としての、つとめがあります。戦況は昭和二十年の夏をすぎるとさらに、きびしさをましていました。臣民は、二度の新型爆弾の投下にも屈することなく、本土決戦の決意を固めておりました。
 バケツ・リレーで、火を消す練習を、隣り組同士でしました。焼夷弾の火が、そんなわずかな水では消せないということも、知らなかったのです。昼ひなかはよいのです。それなりに、気をはって活動しております。わたくしも地下に防空壕を掘りました。しかし、夜にひとりきりになると、もういけません。夫につけられた、内なる女の火が燃えるのです。自分の指でいやすしか、道がありませんでした。
 夫との約束がありました。
「どうしても、わたしのことが、忘れられなくて、さびしさにくじけそうになったら、あかずの間をあけなさい。しかし、できるだけ、がまんするんだよ」
 わたしの掌ぐらいの大きさの、黒い鉄の鍵を渡されていました。代々、続く、広大な屋敷です。もう半年も住まっているに、家のなかで迷うことがありました。自分がどこにいるか、わからなくなるのです。いくつか、あかずの間がありました。そのひとつのものでした。そんなものを、使うつもりはありません。わたくしも武家の娘です。夫に断言していました。
 なんとか忘れようとしていました。しかし、十月の運動会で、国民学校の男子生徒たちの教練を見学したのです。十五歳までの少年たちが組体操のために行進していきます。薄い胸を出していました。炎天下で風のない日でした。青い体臭のただよう空気を吸い込んでいました。帰宅しても。少年の汗の残り香が、鼻孔の奥の粘膜に、こびりついて消えませんでした。
 ふたつのちぶさが、重いのです。どきどきしています。眠ることもできません。せつなさに耐えきれませんでした。
 とうとうあかずの間の、黒く錆びた鍵を開きました。中に入っていきました。中央に古色を帯びた大きな箱がありました。三尺(約九十センチ)角。サイコロのような形をしています。それだけが、置かれていました。ほかには何もありません。木の重い蓋を開いていました。
 中には、桜の都がありました。秋なのに、桜の並木が満開の状態でした。花の甘い香が、憂いを浄めてくれました。わたくしの吐息で、桜色の風が吹きました。無数の花びらが、舞っているのでしょう。息をひそめていました。  
 まっすぐな道が通っています。碁盤の目のようです。区画整理がなされていました。古歌に「青丹よし」とあるように、色彩の美しい明るい平和な場所でした。戦争の黒ひといろに染まった京都とは、別の世界の都がそこにありました。
 小さな人々が、歩いています。わたくしの息も、一陣の突風ぐらいにしか思っていないようです。すべてが小さいのです。五重の塔があります。ひょうたん型の小さな池もありました。この狭い世界で、どのように生きてきたのでしょうか。人知をこえていました。
わたくしは、それから、あかずの間で、長い夜をやり過ごすようになったのです。
 都の中のいちばん大きな屋敷の庭に、切符制で配給される貴重な砂糖を残しておいて、少しをおきました。わたくしには、ひとつまみでも、彼らには山のような分量でしょう。甘いものを、喜んでくれるのではないかと、思ったのです。
 時は、過ぎていきました。冷たく厳しい冬でした。しかし、その都では、いつでも桜が、満開の状態でした。
 そして、ついに一枚のハガキが届きました。夫の戦死を知らせるものでした。予感が当たりました。不幸な自分たちと比較して、都の満ち足りたひとびとが、憎らしくなっていました。それでも、夫が残していった箱を、戦火から守ろうと決意していました。
 新年が来て、京都はB30の大空襲を受けました。その夜のことです。わが家にも、大火が迫りました。わたくしはあかずの間の、箱のまわりの畳に、バケツの半分が凍った水を打っていました。なんとか、類焼を防ごうとしたのです。煙に巻かれていました。倒れていました。
 目を覚ましたのは、桜の都の中でした。今では、広大な屋敷に、一部屋を与えられて住んでいます。机の上に、桜の花びらが乗っています。若い当主が、砂糖のお礼にと、与えてくださいました。どこかしら、夫に似た精悍な面影がありました。夜ごとに通われています。


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