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Fujikiさん

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水槽人間

16/04/11 コンテスト(テーマ):第105回 時空モノガタリ文学賞 【 水族館 】 コメント:6件 Fujiki 閲覧数:1574

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 涼介はこの十年間水槽の中で暮らしてきた。五歳の頃に風呂場で溺れかけて以来、水の中から出たことは一度もない。泣きながらガラスを叩く母親が警官に連れて行かれた場面は今でも夢で見ることがある。不注意から起こったただの事故だったと聞かされてきたが、彼が母親の姿を見たのはそれが最後だった。
 水槽の中の生活は単調だった。ガラスの向こうに見えるのはブラインドの下りた白い壁の部屋。絶え間なく聞こえてくるのは、ポンプを動かすモーターの音と上部ノズルから落ちてくる水の音だけだ。時おり回診にやって来る主治医の狩俣先生とフィルター交換を担当する看護師以外、部屋を訪れる者はめったにいない。外から入る刺激が少ないと、目が醒めていてもまるで夢の続きを見ているような気がする。まどろむ意識の中で夢と現実の世界は不可分に交錯し、涼介は眠りの中でも水中を漂い、目を開けている間も過去の幻影が脳裏に浮かんだ。水槽の中にいるためか、何度も記憶に返ってくるのは水族館の光景だった。
 いつのことだったか、涼介は母親と手をつないで暗い通路を歩いていた。通路の両側に並ぶ水槽からは薄い光が射している。母親に抱きあげられて水槽の一つを覗き込むと、無数の魚が流れに乗って同じ場所を回り続けていた。冷たいガラスにそっと唇を当てた瞬間、銀色に光る一尾の魚が不意にガラスに衝突した。ごとり、と音がして魚は水底に沈んでいった。
 重い瞼をひらくと、狩俣先生と看護師が並んで涼介の水槽の前に立っていた。
「起きたようだ。顔色もいいし、彼の健康状態に異常はないね」
 狩俣先生の言う「彼」とは、もちろん涼介のことである。先生は涼介に直接聞こえるように話す時でも常に三人称を使う。ガラス越しに涼介の顔を観察しながら、先生は話を続けた。
「彼に是非聞かせておきたいことなんだが、二週間前から同じ症状の患者がうちの病院にいてね。今のところは集中治療室に入っている。島では二件目の珍しい事例だよ」
 その患者は涼介より二つ年上の高校二年生だという。水泳の授業でクラスメイトが数人でプールの底に押さえつけたら、そのまま水から出てこなくなったらしい。学校側の発表によれば、行き過ぎた悪ふざけによる悲劇であったとのことである。霧がかかったような涼介の頭の中で狩俣先生の言葉は断片となって浮遊した。浴槽の底から充血した目で見た、母親の正気を失った形相が涼介の眼前に一瞬浮かび上がった。
「――というわけで、その患者の容態が安定し次第、この部屋に入ってもらおうと思っている。今回のケースも長期戦になるはずだし、他の入院患者の目にさらすわけにもいかないしね。彼にとっても、同室の友達ができたら寂しくなくていいだろう」
 狩俣先生はそう言うと、カルテの記入に使っていたボールペンの先でコツコツとガラスを叩いた。
 数日後、看護師が小走りで動き回りながら指揮を執る中、男性スタッフが二人がかりで水槽の載ったカートを運んできた。二メートルを越す高さの水槽を入口に通すには水を少し抜いて傾けなければならず、スタッフはふうふう言いながら看護師の注文に従っていた。水槽の中にいた患者は無意識の境をさまよっているかのような表情のまま、揺れる水に身を任せていた。一連の作業に力ない視線を向けていた涼介は、水中を漂う患者の姿に目を見張った。
 水槽の中にいたのは、長い髪が目を引く整った顔立ちの少女だった。長い睫毛に縁取られた瞳は虚空を泳ぎ、何も視界に捉えていないようである。薄く開かれたままの唇は失くした言葉の帰りを待っているかのように見える。髪は肩から胸にかけて豊かに流れ、丸みのある乳房のふくらみを隠している。色白の滑らかな肌の下の方では、水の動きに合わせて陰毛が涼しげに揺れていた。涼介は反射的に身をひるがえし、前を押さえて水槽の隅にうずくまった。体から外れたチューブが水中に漂い、心拍計の数値が躍り上がった。自分が一糸まとわぬ姿であることを初めて意識した瞬間だった。
 その日以来、涼介の水槽の周りには常に白いカーテンが引かれるようになった。厚みのあるカーテンには少女の影すら映らない。それでもカーテンの向こうからかすかに聞えてくるもう一つの水槽のモーター音は涼介を落ち着かない気分にさせた。普段は思考がつれづれに浮かんで消えていく意識の中に、少女のイメージが確かな輪郭を持ったまま居座り続けた。もう一度、少女の姿が見たかった。二人一緒なら外の世界に飛び出せる気がした。涼介はおもむろに一方の腕をもう片方の手でつかみ、肘をガラスに打ちつけた。
 鈍い音と共に電流のような激痛が肘の先からこめかみに走った。水は激しく揺れるものの、澄んだガラスには傷一つついていない。
 それでも涼介は何度でもガラスにぶつかっていくつもりだった。痛みと共に頭の霧が次第に晴れていくのを感じていた。


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このストーリーに関するコメント

16/04/14 にぽっくめいきんぐ

拝読しました。
不思議な設定で興味を惹かれました。
となりに少女が居たら気になっちゃいますよね!
あと、水槽人間がふやけないか、心配です。

16/04/14 Fujiki

コメントありがとうございます!
そうですね、おそらく指はしわっしわになっていると思われます。

16/04/16 クナリ

こうした鮮烈な発想の作品が読めるのが、掌編の魅力だと思います。
限られた空間の中の、普通ならありえない世界観。
外部からの闖入者のおかげで展開していく変化。
彼の二度目の誕生する瞬間とでも言いましょうか。面白かったです。

16/04/16 Fujiki

読んでくださりありがとうございます。胎児に戻って羊水の中でプカプカ浮いているイメージを念頭に書いたので、そのものずばり「二度目の誕生」として受け取ってもらえてとても嬉しいです。

16/05/01 光石七

拝読しました。
文章自体が水に揺らいでいるような感じで、非日常的な設定が無理なくすっと浸透してきました。
もう一人の患者の登場で主人公に訪れた変化。感覚がリアルになり、外の世界を求め…… 放棄していた生が彼の中でよみがえりつつあるのでしょう。
とても魅力的なお話で、面白かったです。

16/05/02 Fujiki

コメントありがとうございます。設定を事細かに書き込んでいくと異常に活発な意識の文章になってしまうので、意識が曖昧な主人公の視点から周りの世界がどう見えているかに注意しながら説明を割愛しました。作者としては栄養や酸素の補給方法はちゃんと書いておきたいけれど、たぶんこの主人公はそんなことに気が回らないだろうな、というふうに。「水に揺らいでいる」ような文章として受け取ってもらえたのは、主人公の視点に合わせて書いたからかもしれません。

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