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朝綺さん

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エンドロールの終わりには

16/03/26 コンテスト(テーマ):第104回 時空モノガタリ文学賞 【 映画 】 コメント:1件 朝綺 閲覧数:694

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 リビングのソファーで映画を見ていた。
 学生時代に所属していたサークルで撮った、三十分のショートフィルム。
 その物語は朝の白いリビングから始まる。
 壁一面の大きな窓、レースのカーテン。春の初めの淡い日差しが、優しい木目のテーブルに日溜りを作っている。
 画面に女性が現れる。白いブラウス一枚を寝間着替わりに纏っただけの心許ない姿で部屋を横切り、キッチンでカフェオレを淹れる。ジャムトーストとサラダとヨーグルトの朝食を作り、彼女はリビングで食事を始める。
 絵に描いたような平穏な朝の風景に、彼女は美しく溶け込んでいる。
 食事の終わり、コトンと玄関で音がする。彼女はマグから顔を上げ、届いた手紙を取りにいく。
 彼女が席を立った所で、僕は停止ボタンを押す。
 そうしてまた最初から、その映画を見始める。

 画面の中で変わらない朝を過ごす彼女は、本当の彼女より数年分若いはずなのに、僕の記憶は映画とひとつになってしまって、最後に見た彼女の姿をもうよくは思い出せない。
 いつだってそうであるように、突然の事故だった。
 映画の彼女の恋人みたいに、お別れと愛を告げるための少しの猶予もそこにはなかった。
 こうして実際取り残されて、思い知ったことがある。幸福と絶望の境目は、彼女の生死そのものではなく、それを知ってしまうか否かにある。彼女の命の途切れたことを知る前の僕はどこまでも幸福だったし、知ってしまった後の僕は抜け殻のように生きている。
 だから僕は時間を止める。郵便受けに落ちた手紙の内容さえ知らなければ、少なくとも画面の中に生きる彼女は、いつまでだって幸福でいられる。

 休日になると、友人がたまに訪ねてくる。
 最初の頃、僕を気遣い入れ代わり立ち代わり現れた彼らも、僕が立ち直ることにさほど積極的でないと気付くと、次第に足が遠のいた。
 せっかくの好意を受け取れず、申し訳ないとは思うのだけれど、彼女を過去に押しやって、何事もなかったかのように笑うことが、僕は上手にできなかった。なにより僕はもう少し、彼女を悼み、哀しいままでいたかった。
 いいんじゃないかとこだわりなく言った友人がいて、彼だけはいまだ僕を見放さず、気紛れにここにやってくる。
 出来合いの食事を押し付けて、生きてるならいいと静かに笑い、相変わらずだなと、彼女の朝を繰り返す僕に苦笑する。
「会いたいか?」
 問われても、答えはすぐに見つからなかった。
「会えたらきっと、とても嬉しい。だけど会ったら、もっと哀しい」
 だからよくわからないやと答えたら、そうかと彼は頷いて、幼い子どもをあやすように、僕の頭に手を乗せた。

 そんな話をしたせいだろうか。
 僕は白いリビングで、彼女と向かい合っていた。
 くっきりとした明晰夢だった。
 見慣れた優しい陽光が僕らを包み込んでいて、まるでスポットライトのようだった。
「やっと会えた」
 ひどく懐かしい声がする。
「やっと?」
「だって毎日見てたもの」
 私もあなたを見ていたの。
 甘く教えた彼女が席を立ったので、僕は慌てて追いかけた。
「大丈夫。郵便屋さんはまだこない」
 そうして彼女は二人分のカフェオレを淹れ、トーストを二枚焼き、サラダとヨーグルトの朝食にスクランブルエッグとベーコンを追加した。
「ホテルみたい」
「好きでしょ?」
「うん」
 久しぶりの手料理は塩辛くて、僕は上手に食べられなかった。
「泣かないで?」
「ごめん、でも、泣き止み方がわからないんだ」
 みっともなく肩を震わせる僕の頬を、やわらかな指先が何度も拭った。
 やっと涙の止まる頃には、テーブルの上に水溜りができていて、せっかくの料理もすっかり冷めてしまっていた。
「ごめん」
 肩を落とす僕に彼女は笑って、食事を温め直してくれた。
 そうして始まった特別な朝食の終わりに、お願いがあるのと彼女が言った。
「私に手紙を読ませてちょうだい」
 コトンと、封筒の落ちる音がした。

 目覚めると、枕が水を吸っていた。
 ちょうどあのフィルムを撮影した日のような、綺麗な春の朝だった。
 水を一杯だけ飲んで、テレビの前に腰を下ろす。
 リモコンを操作して、映画のディスクを再生した。
 カフェオレと、トーストと、ヨーグルトとサラダ。変わらない朝がそこにある。
 食事の終わりに封筒が届く。彼女はその内容を知らない。彼女が席から立ち上がる。
 いつもの場所で、停止ボタンは押さなかった。
 彼女は素足で玄関へ向かい、封筒を手に取った。
 その先にある絶望を、僕はよく知っている。
 けれど、エンドロールの終わりには、彼女はちゃんと前を向くのだ。
 三十分を、画面の前でじっと過ごした。
 頬を拭ってくれる優しい手の、もう永遠に失われてしまったことを、その朝僕は、初めてちゃんと受け入れた。


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このストーリーに関するコメント

16/03/27 あずみの白馬

最愛の人の死は、なかなか受け入れられないものでしょうから、最後の彼女の死を受け入れるところで泣けました。

とりとめのない感想で失礼しました。ありがとうございました。

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