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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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人間水族館

16/03/16 コンテスト(テーマ):第105回 時空モノガタリ文学賞 【 水族館 】 コメント:2件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1516

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『人間水族館』という呼び名は、静かに散っていった桜のあとに、まってましたとばかり青葉が山々を覆いはじめるころ、境内から続く石段の下の広場にやってきたひとりの男の姿とともに私の記憶にはっきりやきついている。
折りたたみ椅子に座った男の前には、たくさんの洗面器がならべられていた。それらは近所の人たちがもちよったものばかりで、盥も何個かまじっていた。
ちょうど学校がひけて、子供たちがかえってくるじぶんで、夕餉にはまだはやく、当時はそんなにテレビも普及してない時代で、退屈をもてあましたおかみさんたちも近所から大勢あつまってきていて、まだわからないもののこれからはじまるなにかの予感に、誰もが期待に胸をふくらましていた。
洗面器をもってこさせたところから、その半そでシャツの男は金魚でも売りつける目的なのか、最初のうちはみな、似たようなことを考えていたにちがいない。それならそれで、できるだけわれわれをたのしませてくれと、男をとりかこむみんなの顔は語っていた。
頭に巻き付けていた鉢巻をほどいて、くるくると細長くねじり、地面にとぐろを巻くようにおいてから、―――さあ、これがやがて、蛇のようにうごきだすよ、との香具師の口上に、まわりでみまもっていたみんなは本気になって、いつ蛇がうねうねと、その晒の鎌首をもたげだすかと固唾をのんでいた祭りの縁日と、どこか重なり合った。
手ぬぐいの蛇は結局いつまでたってもうごきだすことはなかったが、そのあいだに香具師のこれまた真に迫る口上に乗せられて、のぞくと指の骨が透けてみえるという『レントゲン』を買わされていた。色ガラスがはめこまれた筒をのぞいて前に手をかざすと、なるほど指がもやっとしたものに包まれてみえた。肉がすけて骨が……みえたかどうか判じかねているあいだに、接着のよわい筒はこわれてなかから、小さな鳥の羽が出現した。透けたようにみえたのはじつはこのふわふわしたものをとおしてみたせいとわかったあとも、じぶんたちを言葉ひとつでまんまと信じこませた香具師を、怨むようなものはひとりもいなかった。大人たちもまた、後の祭りと寛大に笑ったことだろう。
洗面器をもちよるよう男に促されてみんなは、好奇心から、また彼からなにかをもらえるかもといった欲深さから、てんでに家から洗面器をもってきた。
当時はまだプラスチックよりも、いわゆる金盥といわれる金属製のものがおおかった。家風呂が少なく、その洗面器をもって銭湯通いをしているものが大半だった。わたしの洗面器もまた、みんなのそれのなかに、ひときわ垢にまみれて目立っていた。
男は、周囲をとりまく見物人にむかって、じぶんのことを、人間水族館と呼んだ。
それが何を意味するかはわからなかったものの、その言葉はわたしをふくむ子供たちの想像力を、たまらなくかきたてずにおかなかった。子供が動物園より水族館のほうにより魅力をおぼえるのは、海のほうが陸地より、はるかに神秘にみちているからにほかならない。おまけにその水族館に人間がつけくわえられるのだからなおさらだった。
男は、よく日に焼けた首をそらせて、空を仰いだ。わたしはその後に起こった出来事すべてを、ストップモーションのような形でしかおもいだすことができなかった。ひとつひとつがあまりに強烈な印象をおびているため、記憶のなかから一連の流れとして紡ぎ出すのは不可能だった。
男の口からしぶきをあげて水柱がたちのぼり、そこからつぎつぎと飛び出してきた魚が、地面にならんだ洗面器のなかにおちていった。釣りあげられた魚のように、洗面器のなかで魚たちは、勢いよくはねおどった。なかには勢いあまって、地面にとびだす魚もいたが、しやがみこむおかみさんたちがすぐにそれらの魚を両手ですくって洗面器にもどしてやった。
それらの驚愕すべき光景はいまなお私の記憶にありありと刻みこまれている。奇妙にも、時がたてばたつほど、妄想的な色合いは削りおとされていき、たしかな手応えのする出来事へと煮詰められていった。
洗面器のなかに浮かんでいた魚が本物なら、その魚たちがはねあげる水がつめたく顔にあたったのもまた、まちがいなくわたしの上におこった現実だった。
つぎに、男の口からとびだしてきた、目を白くむいているせいでどこか虚無的にうつる巨大ザメが、その青くつやつやした胴をくねらせながらはねまわるのに、子供たちもおかみさん連中も悲鳴よりむしろ笑い声のほうを大きくをあげながらあたりを夢中でにげまわったのも、そしてさいごにあらわれた全長30メートルはあるかとおもえるシロナガスクジラが、道路をまたいで向い側の川に架かる橋のさきまでながながと横たわったのも、おりからの夕日に西側の径沿いにならぶ長屋の瓦が茜色にまぶしく照り輝くのと同様に、私のなかではまったき現実のなかでおこった日常そのものだったのだ。


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このストーリーに関するコメント

16/04/22 つつい つつ

昭和っぽい怪しさや、いかがわしさ、ワクワク感が伝わってきて、楽しかったです。どんなこともありえるみたいな感覚がこの時代にはあったような気がします。

16/04/23 W・アーム・スープレックス

デジタル化がすすむ以前は地上には、摩訶不思議な魔法がみちていたような気がします。たしかに、いかがわしいものもたくさんあったでしょうが、それがまたなんともいえない魅力でした。私にとって昭和は、モノガタリの宝庫です。

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