1. トップページ
  2. 美咲とミサキ

W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

投稿済みの作品

3

美咲とミサキ

16/03/15 コンテスト(テーマ):第105回 時空モノガタリ文学賞 【 水族館 】 コメント:4件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1895

この作品を評価する

美咲は水槽のなかで静止しているミサキと、目を見交わした。
ミサキ。彼女はその魚に自分と同じ名前をつけた。
美咲は、いつも水族館が閉まる前に、すべりこむように入館する。すでに辺りに客の姿はない。周囲は、深夜のような暗がりが支配している。水槽の青々と輝く水の、ここはまるで延長上にあるようで、ときに美咲は自分が、ミサキと同じ世界にいるような気持ちを味わうことがあった。
喧騒と、埃と、機械と人々のたてる不協和音にみちた工場仕事に、8時間の間神経を逆なでされつづけ、出社のタイムカードを押すとき彼女は、身も心もひからびきって、人間であることをほとんど喪失していた。
先日この、会社の近くにある水族館に、なにかに導かれるようにたちよった。
ミサキとはじめて水槽のアクリルガラスをはさんで対面してからというもの、彼女はまさに水を得た魚のように、生き返った心地になった。
それからというもの彼女は、ほとんど水族館に日参するようになった。
自然岩にかこまれた巨大水槽内には大小様々な無数の魚が放たれていた。未知の海域に棲息する得体のしれない古代魚もいれば、恐竜の時代に我が物顔で海原を泳ぎまくっていたような化け物のような魚類もいた。
ミサキを正式になんと呼ぶのか、美咲はしらない。ゆうに1メートル以上あって、角度によって色の変わる鱗がびっしり覆う外皮はぬめぬめとして、そのまなざしは他の魚にくらべてとても表情ゆたかだった。
美咲がその魚に自分と同じ名前をつけたのも、奇妙にその顔が、自分と似ていると思ったからだ。もしかしたら、相手もおなじことを思ったのかもしれない。それからは美咲が地下の水槽の前にたつたびに、ミサキも必ずといっていいほど、ゆらりとどこかからあらわれては、彼女と顔を突きあわすようになった。
水族館の受付の女は、閉館時間間際にやってきては、地下水槽におりてゆく美咲を最初のうち怪訝そうにながめていた。蛍の光のメロディーがなりやんでもまだ出てこようとしないので、注意を促しにいくこともしばしばだった。美咲がいつもどこにいるのかわかっていたので、広大な通路をさがしまわる無駄は省けた。ただ、水槽にむかいあい、まるで蝋人形のようにその場に固まっている彼女をみて、ときに寒いものが背筋を走るのを覚えることがあった。
「閉館ですよ。はやく出てください」
「ありがとうございました」
延長を詫びる、その言葉遣いは丁寧だった。
そのとき女は、不可解な体験をした。この二十代半ばの女の子の、整った小作りな顔が、ガラスの向う側にいる魚に、反射して映っているのを見た。だがそのとき彼女は、すでに歩きだしていた。みまちがいよ。女はじぶんのみたものを正当化するため、そう思いこむことにした。
工場での仕事は、いまでは、美咲にとって耐えがたいものになっていた。以前ならそれも、仕事なんだからとわりきれたのに、いまはまるっきり責め苦そのものに感じられた。そんな彼女にとって、広い水槽内を悠々とおよぎまわるミサキは、心底から羨ましい存在だった。その強い羨望が彼女を、なにがあってもミサキのいる水族館へとかりたてずにおかなかった。
閉館時間に阻まれて、マンションの自分の部屋にもどってきた彼女の目にはまだ、青々とかがやく水槽の水が揺れ動いていた。その水のなかからこちらをみつめるミサキの顔が、網膜にくっきり焼きついている。
帰宅すると、等身大をうつす鏡の前に、立つのが最近の習慣だった。
鏡の前で彼女は衣服をぬいだ。あらわになった肌に、青みをおびたうろこがひろがっていた。はじめは胸のあたりにぽつんとできたのが、みるみる網の目状に拡大していき、そのうち衣服にかくしきれなくなるのは目にみえていた。
その日、水族館の受付の女は、生涯忘れられないものをまのあたりにした。
例によって、閉館直前にやってきた彼女が、水槽のある地下におりていき、しかしこのときは呼びにいくことなくでてきて、こちらにむかって深々と頭をさげた。フード帽からのぞくその顔は、異常に青ざめていたのに気づいて、なおも目をちかづけようとするのを、避けるように彼女は歩きさっていった。女はその瞬間、どういうわけかいま、目の前を通過したのは人間ではなく、魚だったような気がした。彼女がその後、海辺のまちまでいき、そして二度とふたたび自宅にも工場にも姿をみせなくなったことなど、むろん女が知るはずもなかった。
何かあったのかしらと、気になった女は、念のため地下の水槽までおりていった。青く輝く水槽のなかでいま、、きゅうに何かが身をひるがえした。まっしろな肌につつまれた体が、岩影のほうに泳ぎさっていくのがみえた。彼女がおよいでいる………女は、かぶりをふった。消耗した視神経の錯覚にするために女は、じぶんにむかって、「きっと、疲れてるのよ」と言い聞かせた。



コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

16/03/27 宮下 倖

拝読いたしました。
水族館の魚に自分と同じ名前をつける女性。冒頭から引き込まれました。
閉館間際の人けのない水槽の前……と想像するだけでぞくりとし、そのこまやかな描写から更に想像がかき立てられました。
美咲とミサキ。どちらも幸せになったのだろうか。不思議な余韻が残る作品でした。ありがとうございました。

16/03/27 W・アーム・スープレックス

宮下倖さん、コメントありがとうございました。
こどものころ水族館と言うのは、とても神秘的で、妖しい世界でした。自分の中ではいまもそれは変ってないようで、この作品のような話も、自然と浮かびあがってきました。いつかまたふらりと、水族館に立ち寄ってみるつもりでいます。

16/05/01 光石七

拝読しました。
心身ともに疲れ切り、渇きを癒すために何かにのめり込むのはわかる気がします。
美咲は今、自由に水の中を泳いでいるのでしょうか……
どこか妖しげで、不思議なお話。面白かったです!

16/05/01 W・アーム・スープレックス

書くのに非常に苦労する作品とその反対に、ぜんぜん苦労もなくかける作品があります。『美咲とミサキ』は後者で、なんだかじぶんのなかに漂っていたのを、金魚すくいではありませんが、ヒョイとすくいあげた感があります。いつもいつもすくえればいいのですが、もちろんそれが稀なことは言うまでもありません。

ログイン