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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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クランクアップ

16/03/08 コンテスト(テーマ):第104回 時空モノガタリ文学賞 【 映画 】 コメント:4件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1644

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留吉は流し場で手を、皮膚がすりむけるぐらい何度も執拗に洗いつづけた。
いくら洗っても、目にみえない血が手のひらを流れ出すのを、恐々としながら見守りつづけた。
映画の撮影が終了し、四つ木譲二こと早川留吉は、監督や俳優たちによる打ち上げ会などみむきもせずに、撮影現場から逃げるようにして自宅のマンションに帰宅した。
その迫真にとんだ演技は、一般大衆はもとより、映画関係者の多くをうならせるほどで、とくに、世間を斜にみつめる一癖ありげなアウトローをやらせたら彼の右に出るものはないとまで言われた。今作の、一人の女医を誘拐して全国を逃亡する映画は彼の持ち味をあますことなく発揮したものだった。
早川留吉はタオルで手をふきおえると、強い酒をたてつづけにあおった。
しかし、ちっとも酔いはまわらなかった。彼はいつも、一本の映画を撮り終るときまって、こうして浴びるようにのんでは、映画の中で演じていた役柄から抜け出すことにやっきにならねばならなかった。今回は、特にその傾向が強かった。
クランクインするさい留吉は、役になりきることにいのちをかけた。今作の『血塗られた白衣』に登場する主人公八木は、銀行を襲って逃げるさい、非常ベルでかけつけた警官と撃ち合いのすえ、相手を射殺するが自分も腹部に傷を負う。彼は銀行にいた客の女医を人質にして車で逃亡をはかる。何日もにわたる逃避行のあいだに、最初は逃げ出すことに必死になっていた女医だがそのうち、傷に苦しむ彼を治療するようになり、いつしか二人の間に愛が芽生える。女医は彼に自首をすすめる。彼がそれをいやがり、べつの女のところに逃げるも、おいかけてきた女医との悶着のすえ八木は女医を刺殺する。武装した警官たちがかれらを包囲する。八木はひとり、銃を手にしてとびだしていく。
――とまあ、B級映画もいいとこのストーリー展開だが、主人公の八木を四つ木譲二が演じることで、ぐっと作品に深みがまして、多くの彼のフアンにはこたえられない内容に仕上がっていた。
彼はまだ、女医の胸にナイフを突き刺したときの、生々しい感触と彼女の胸をみるみる真っ赤に染めた血が、いまなおおのれの手にこびりついているように思えてならなかった。彼はあの瞬間、本気で彼女を殺すつもりだった。真剣に愛するがゆえに、またひとしおでない憎しみが、八木をはげしくかりたてた。こちらを見返す女医の、そんな状況にあってさえなお、彼の愛をけんめいにもとめようとしてみひらく目が、彼の脳裏にありありとこびりついていた。彼女はあの瞬間、何を訴えたかったのだろう………。
留吉は、日が暮れるのにも気づかないまま、飲み続けた。彼の中では映画はまだ終わっていなかった。それが完全にクランプアップするのは、まださきなのだ。
留吉が気づいたとき、チャイムはすでに十数回鳴りひびいていた。彼はふらつく足でドアまでたった。入り口にたちつくす女性が誰かわかるまで、しばらく間を要した。
「きみ………」
それは留吉が殺した女医だった。芸名、峰本さおり。すぐにわからなかったのは、ノーメイクだったからにほかならない。彼女もまた個性派で売り出した女優で、役柄にのめりこむことでは四つ木譲二の上をいくとまで言われていた。病的なまでに神経質で、心療内科にもなんどかお世話になったという話しを、小耳にはさんだことがある。
「いいかしら」
返事もきかずに峰本は彼と壁の間をすりぬけて部屋にあがってきた。
留吉はその峰本の姿をまのあたりにして、酒の力でむりやり抑えつけていた衝動が、いままた一気に炎をあげて燃え盛るのがわかっておののいた。
彼女はソファにすわると、彼をひたとみすえた。八木に刺されて、目だけで語ろうとしていたときの女医の表情が、いままた彼のまえに浮かび上った。
彼の手が、小刻みに震えだした。早川留吉は姿をけし、まだ生々しい殺意を心の底にやどした八木がいま、すっくとたちあがった。どうしてもこの女を殺さねばならない。でなければ俺は、いつまでもクランクアップできないだろう。その思いが脅迫観念となって彼を駆りたてた。
彼は、峰本さおりのソファの背後に歩みよるなり、蜘蛛の肢のようにひろげた手を彼女の首筋に絡みつけようとした。彼女が上体をひねらせながらたちあがった。留吉はそのとき、こちらをむいた彼女の手に、細身の刃物がにぎられているのをみた。
「あなたを殺して、わたしも死ぬわ」
その声がきこえたときには彼女のにぎりしめた柳刃包丁が彼の胸に深々とくいこんでいた。
峰本さおりは言ったとおりに、ぬきとった包丁を両手で握り直すと、彼の血にまみれた刃先を今度はじぶんの喉元に渾身の力で突き立てていた。
これでようやくクランプアップできる。そんな安堵の表情が、倒れゆく彼女の顔に浮かんだようにみえた。





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このストーリーに関するコメント

16/03/09 W・アーム・スープレックス

篠川晶さん、コメントありがとうございます。
私もミステリー映画のファンなので、本当に嬉しいです。役になりきる役者魂と、相手女優の存在等を考えているうちに、このストーリーが思い浮かびました。両者が個性の強い、過敏すぎる神経の持主だったら……で、このようなラストになりました。

16/04/30 光石七

拝読しました。
役になりきるタイプの役者さん同士なら、こんなことが起こらないとも限らないかも……
読みながら、まさに映画を観ているようで、ラストはスローモーションで脳内再生されました。
面白かったです。

16/05/01 W・アーム・スープレックス

実生活ではこけてばかりいても、役者としては一級という人がなかにはいて面白いのですが、最近はその手のタイプは少なくなってきたようにおもいます。現実生活よりも虚空の生活にしか自分を十全に表現できない人々のことなど考えているうち、この作品ができました。

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