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Fujikiさん

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ダニューブの漣

16/03/03 コンテスト(テーマ):第104回 時空モノガタリ文学賞 【 映画 】 コメント:0件 Fujiki 閲覧数:1362

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「四年前にサイゴンで観たあの映画を憶えているか? あれは美しかった」
 長参謀長は、ふと思い出したように八原高級参謀に言った。長が突然柄にもなく映画の話を持ち出したので八原は一瞬戸惑ったが、すぐに『ダニューブの漣』のことを言っているのだと思いあたった。
 一九四一年、八原は第十五軍参謀としてインドシナ南部の都市サイゴンに駐留していた。あてがわれた宿は軍の御用達となっている西洋風の高級ホテル。日本ホテルと呼ばれてはいたものの、実際はインドシナを統治していたフランスの金持ち向けに一九二〇年代に建てられたものである。長が南方軍司令部に随行してサイゴンに出征してきた時、八原は既に彼の評判を聞き及んでいた。南京攻略で捕虜の殺害を命じるなど好戦的で血の気の多い危険人物として、長は陸軍の中でも恐れられていたのである。
 ホテルでは何かにかこつけて連夜のごとく政府の晩餐会が開かれていた。賓客一人一人に給仕がつき、洋式のコース料理で始まり談話室での葉巻とウイスキーで終わる格式ばったパーティーが飽きることなく儀式のように繰り返される。
「どうも堅苦しいのはかなわん」と言う長に連れられ、英語が堪能な八原は通訳兼付き添いとして二人でよく街に繰り出した。象牙色の豪奢なホテルを一歩出ると、街は猥雑な雰囲気に満ちている。行き交う自転車が巻き上げた埃をかぶり、路上の物売りはまるで物乞いのようだった。道路を挟んで向かいの川には漁師や果物売りの木舟が浮かんでいた。
 あの夜、なぜ長が映画を観ようと言い出したのか、八原には思い出せない。酒と現地の女にも飽きて、よほど退屈していたのであろう。満月の輝くその夜、二人はホテルの横にある古びた映画館に入った。劇場へと続く重い扉を開けると、タバコの煙の臭いでむせ返るようだった。上映されていたのは『ダニューブの漣』という題の古い無声映画である。生の伴奏音楽の代わりに、レコードに録音されたクラシック音楽がかかっていた。ダニューブがドナウ川を意味することにちなんでか、曲はイヴァノヴィチの「ドナウ川のさざなみ」だった。
 映画の舞台は第一次世界大戦中のオーストリア=ハンガリー帝国。ドナウ川沿いの古城で没落貴族の恋愛物語が繰り広げられる。互いの家の格式の違いや家族の反対を乗り越えて、若き男爵と村の娘が恋に落ちる。ところが男爵の出征中に別の男が策略をめぐらせて娘や双方の家を騙し、娘を自分のものにしようとする。だが娘と男との婚礼が行われた夜、男爵はイサカに帰還するトロイア戦争の英雄オデュッセウスよろしく戦地から城に舞い戻り、恋敵を打ち倒してめでたく娘と結ばれる。
 豪傑として名を馳せる長がこのような陳腐な物語を気に入るとは、八原には到底思えなかった。だいいちあまりに感傷的すぎるし、白人らしく大げさに接吻する主人公たちには鼻白むほどである。だが隣に座る長を盗み見ると、意外にも食い入るようにスクリーンを見つめていた。タバコを口に加え、スクリーンから注がれる光を浴びた横顔が印象的だった。
 首里を退いて南部の摩文仁に司令部を移した時、勝ち目のない戦いであることは既に誰の目にも明らかだった。長は華々しい玉砕を夢見ているようであったが、戦闘を可能な限り長引かせて米軍の本土進攻を少しでも遅らせることが牛島司令官や八原を含め司令部の共通認識であった。玉砕にせよ持久戦にせよ、司令部の移動によって南部に避難している十万人を超す数の民間人が戦闘の巻き添えになることはやむを得なかった。肝心なのは軍官民が一丸となって身を捧げ、この島を本土防衛の捨て石とすることであったからだ。
 六月下旬にはいよいよ戦況が窮し、牛島と長は自決の準備を進めた。司令部は解散となり、八原以下参謀クラスの軍人は民間人に扮して逃げるよう命令が下った。こんな時になって長がなぜ昔一緒に観た映画を思い出したのか、八原には分かりかねた。目を閉じて瞑想にふける長の落ち着き払った様子からは何も窺い知ることができない。それはまるで大和軍人のヒロイズムに陶酔するかのようであった。八原は、長が静かな声で辞世の七言絶句を詠むのを聞いた。

  待敵来攻南西地
  飛機満天艦圧海
  敢斗十旬一瞬夢
  萬骨朽果走天外

  敵攻め来たるを待つ南西の地
  飛機天を満たし 艦海を圧す
  十旬の敢闘 一瞬の夢
  萬骨朽果て天外に走る

「音楽と風景が良かった」
 ホテルに戻る道すがら、長はそう言葉少なに感想を述べ、満月の反射で青白く光る川面に目をやった。映画の情景を幻視しながら、長はサイゴン川にドナウ川を重ねて見ていたのだろうか。あるいは、その目に映っていたのは郷里福岡を流れる筑後川だったのか――英語教員になりすまして司令部を離れる八原の頭の中では、あの夜に聴いた「ドナウ川のさざなみ」がいつまでも流れていた。


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