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冬垣ひなたさん

時空モノガタリで活動を始め、お陰さまで4年目に入りました。今まで以上に良い作品が書けるよう頑張りたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。エブリスタでも活動中。ツイッター:@fuyugaki_hinata プロフィール画像:糸白澪子さま作

性別 女性
将来の夢 いつまでも小説が書けるように、健康でいたいです。
座右の銘 雄弁は銀、沈黙は金

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神は砂塵の彼方に

16/02/29 コンテスト(テーマ):第102回 時空モノガタリ文学賞 【 ギャンブル 】 コメント:10件 冬垣ひなた 閲覧数:1137

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 今朝も、目覚めたのは夜明け前だった。
 洗い場に馬を連れていくと、蹄鉄を焼く臭いが漂っていて、インストラクターの律子は睡眠不足の頭を軽く振り、装蹄師に取り次ぎをする。
 2011年3月11日、東日本大震災は、この仙台市にも激しい爪痕を残した。
 あれから2週間が過ぎ、律子の所属する乗馬クラブは、営業再開のめども立っていないのに、厩舎が満杯で人手も足りない。律子も休日を返上して働いている。
 それでも、と思う。
 あの日、近くにある海岸公園のクラブが津波に呑まれ水没した。
 あっという間の出来事だったそうだ。
 人が逃げるのが精一杯で、50頭ほどの馬達はその場に置き去りにされたのだった。律子たちが救援に駆け付けガレキの山を見た時、生きてはいないものだと思っていた。
 しかし……生きていた、奇跡としか言いようがない。
 30頭以上の馬は救出され、このクラブに収容された。今渡した馬もそうだ。蹄鉄を取り換えるのも忙しい。馬場に出ない毎日が続くと、何かあったらしいことを馬達は肌で敏感に感じ取っていて、食欲も落ちている。
 それでも頑張らなければ。
 休憩に入り、律子は今朝買ったスポーツ新聞をそっと開いた。
「ヴィクトワールピサ&トランセンド、ワンツーフィニッシュで悲願の日本馬制覇!」
 大きな見出しの記事には世界最高賞金レース『ドバイワールドカップ』が記されている。史上初の勝利だったから、こんな時でなけれ大いに話が盛り上がったろうに。
 律子の心は遥か昔を思い起こしていた。

 
 ホクトベガ。
 当時住んでいた神奈川県にある川崎競馬場へ、彼女がやってきたのは1995年。JRAが管轄する中央競馬と、地方自治体が経営する地方競馬が交流戦を始めた年の事だ。
 繊細な性格でデビューも遅く、GTエリザベス女王杯で勝利したものの、その後は泣かず飛ばずで引退も囁かれる6歳馬だった。
 6歳と言えば、同期の牝馬はすでに母となっていく年頃だ。そんな馬だから名乗りを上げたのだろうか?
 物珍しさに惹かれ、まだ若かった律子は競馬場のパドックで彼女を見つめた。
 意外にも牡馬にも見劣りしない巨体で、厩務員に人懐っこそうな仕種を見せる彼女の目は、凛々しく澄んでいた。
 交流レースは土砂降りの中のダート。砂というより田んぼのような馬場であった。それでもナイター照明のもと、各馬一斉にスタートを切る。
 芝に慣れたホクトベガが、地方の泥にまみれで疾走する。
 それでもさすがは中央の馬、先頭て競っている。律子は我知らず馬券を握りしめる。
 だが、先頭で競っていたホクトベガが最終コーナーを回る頃、その走りに目を疑った。
 速い。
 揺るがぬ1着にも満足せず、彼女は泥水を蹴り翼を得たように伸びやかな走りを見せる。
 美しいサラブレッドの体躯が照明の光の中きらめいた。
 まさしく天馬の舞い降りた瞬間だった。
 18馬身差の圧勝、スタンド席に歓声が響いた。
 

 砂上では無敵。
 『砂の女王』と呼ばれたホクトベガの、伝説の幕開けであった。
 大井、浦和、高崎……彼女は次々と地方のダート戦の頂点に立ち、老いないうちに引退し子を生むという牝馬の常識を塗り替え、8歳を過ぎても現役で、交流戦10連覇を成し遂げた。
 そんなホクトベガの有終の美が、ダート最高峰といわれるドバイワールドカップであったのだ。
 最上の花道を走り抜け、母になるはずだった。
 レースに万全の体調で挑んだ、華々しいラストラン。
 しかし彼女は、永遠にゴールへ戻ることはなかった。

 
 レース終盤に差し掛かり、悲劇は起きた。
 第4コーナー直前、彼女の体が大きく沈み、跳ねた。
 そこへ別の馬がぶつかる。
『ホクトベガ、落馬!落馬です!』
 馬場のくぼみに脚を取られ転倒、左前脚複雑骨折。
 巨体を支える脚の骨折は、馬にとって致命傷だ。ホクトベガに安楽死処置がとられたのは、事故の数分後だった。


 そしてホクトベガの遺体は、異国の砂漠に埋められ、たて髪だけが日本へ戻った。先日津波に呑まれた馬の亡きがらをその場に埋め、やはりたて髪だけを持ち帰った現実に、律子は涙ぐむ。
 律子が結婚出産してもインストラクターとして頑張ってこれたのは、ホクトベガが生き様を見せてくれたからだ。
 自然の猛威を前に、神なんていないと恨んだ。
 今は、ただ神を見失っただけだと思う。
「少しだけ、眠ろう」
 蹄鉄を打つ音が鼓動と重なり、律子は椅子に腰かけ目を閉ざす。
 瞼の裏に焼きつくホクトベガの綺麗な瞳は、じっと律子を見つめ、それから彼女は白い砂の海岸を、たくさんの仲間とともに駆けていったが、急に強い追い風の砂塵が吹き荒れ、その姿も見えなくなる。
 夢の中、穏やかに凪いだ海辺。
 彼らの足跡だけが、消えることなく、どこまでも続いていた。


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このストーリーに関するコメント

16/03/01 冬垣ひなた

≪参考文献≫
・ホクトベガ(双葉社・編)
・馬の被災については、私の通う乗馬クラブの仙台での実話をもとにしています。

≪補足説明≫
・左の写真は写真ACからお借りしました。
・右の写真はストックフォトからお借りしました。

16/03/09 滝沢朱音

ホクトベガの話、そして仙台の乗馬クラブの話、知りませんでした…
大震災のとき、日本はもう終わってしまうのかと毎日混乱していたのですが、
まさにあのときの自分は、神を見失っていたのだと。

生き様…
生きなければ。頑張らなければ、ですね。

16/03/12 あずみの白馬

現実をもとにしたお話と言うことに驚きました。
それとホクトベガの姿がダブってくる描写は見事としか言いようがありませんでした。

16/03/15 冬垣ひなた

篠川晶さん コメントありがとうございます。

ホクトベガについては以前から書きたかった題材だったのですが、
報道だけでは伝えられない、こうした震災の姿も残しておかなくてはと思ったのです。
しかし震災には個々の思いがあると思うので、心理描写は控え読み手の方に委ねるような形に
させていただきました。お読みいただき感謝します。


滝沢朱音さん、コメントありがとうございます。

私の親戚はほとんどが東北に住んでいるので、震災の時はやはり祈る気持ちでした。
その後も風評被害が絶えず、神の存在が信じられませんでした。
そんな時でも前を向いて進むよう、どこかしらに神は隠れていてるのだと思います。


あずみの白馬さん、コメントありがとうございます。

競馬はギャンブルであると同時にビジネスなのですが、その百戦錬磨の予想すら越える馬も時に現れます。
今回はいつも以上に丁寧な描写を心がけたので、そういっていただけて嬉しいです。

16/03/15 そらの珊瑚

冬垣ひなたさん、拝読しました。

競馬のことは何も知らない私にも、ホクトベガの雄姿が見えてくるような描写でした。
骨折してしまった競走馬の宿命は非情ですが、その雄姿を見たものの記憶に残り、
死んでしまったらすべてが終わるわけではないと思わせてくれました。
被災した馬が奇跡的に助かったのは、神のきまぐれなのかどうなのかはわかりませんが、
それでも前を向いて生きていこうとする主人公の姿がとてもりりしかったです。

16/03/16 つつい つつ

競走馬にも馬自体が運命を背負っているような馬もいて、ホクトベガもそういう1頭なんだろうと思います。
それぞれのドラマが折り重なり、未来に向けられていて、素敵なお話でした。

16/03/18 冬垣ひなた

そらの珊瑚さん、コメントありがとうございます。

今回はホクトベガのレース映像を見ながら書かせて頂きました。
拙い文章ではありますが、被災地に一日も早く安らかな日々が戻るようにという想いを込めました。
実際その場面にいて自分に何が出来るかなど難しいものですが、馬はどんな時も人間の知恵の先にいる。
私は馬と接するようになって、そんな事を思うようになり感謝しています。


つついつつさん、コメントありがとうございます。

調教師はホクトベガを「彼女はモナリザ。どこまで強いのかは永遠の謎だね」と言ったそうです。
お金や理論の世界に一瞬の芸術を見いだすことも、ギャンブルの本質なのかもしれません。
精一杯書かせて頂きましたが、これからも精進していきたいと思います。

16/03/21 泡沫恋歌

冬垣ひなた 様、拝読しました。

競馬のことはほとんど知りませんが、冬垣ひなたさんの迫力ある筆力でいっきに読めました。

なるほど、実話に基づいているんですか、だからリアリティーがあるんですね。
素晴らしい作品だと思いました。

16/03/26 冬垣ひなた

泡沫恋歌さん、コメントありがとうございます。

競馬はうちの父母の方が詳しいので聞きながら書きました。
今回は2つの話をミックスした構成で、その部分は上手く出来たと思います。
技術的にはもっとこうしたらいいと思う事はあるのですが、
足りない部分は次回作以降に活かしたいです。

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