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佐川恭一さん

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性別 男性
将来の夢 ノーベル文学賞受賞
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僕と彼女の事情

12/08/27 コンテスト(テーマ):【 プール 】 コメント:0件 佐川恭一 閲覧数:1577

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 ねえ、プール行こうよ、と彼女が言った。
 何ということもない言葉だが、それを聞いた僕は驚きを隠せなかった。彼女はこれまで、何度プールに誘っても首を縦に振らなかったのだ。もう僕たちは付き合って五年になる。ずっと断り続けたプールに、どうして突然行きたがるのかさっぱりわからなかったのだ。
「どうしたんだよ、急に」
「何となく、行きたくなったのよ」
 僕はあれこれ聞き出したくなったが、やめておいた。あまり口を挟むと彼女のやる気を削いでしまうかもしれないからだ。結果的にプールに行けなかったところで大した不利益はないのだが、限られた人生において、彼女から泳ぐという行為を締め出したままにしておくよりは、選択肢の一つに組み入れておいて欲しいとも思った。五年以上の間泳いでいない彼女は新しい水着を買いたいと言った。僕たちの職場は近いので仕事が終わってから待ち合わせ、二人で近くのスポーツ店に行った。彼女は露出の多い白のビキニを、僕は青を基調にしたズボンを買った。
「結構攻めるね」
「うん、せっかく決心したんだし、かわいいやつ着たいじゃない」
 とても嬉しそうに笑う彼女を見て僕は幸せな気持ちになった。人の笑顔を見て幸せになれることほど、幸せなことはない。僕にこのような余裕ができたのは最近のことだ。ずっと仕事で大変な状況が続いていて、この一年でやっと落ち着いたというところなのだ。だから彼女のことを本当に考えてあげられるようになってからそれほど日が経っていない。僕たちは五年一緒にいるけれど、僕の中では、四年間の助走があって、本当の付き合いを始めてから今やっと一年経ったという感覚なのだ。彼女の方はこの変化に気付いていないかも知れない。僕は内面を表に出さないタイプの人間だ。
 水着を買った週の土曜日、僕たちは若者たちに人気のある巨大なプールに遊びに行った。話題になっているウォータースライダーに乗ろうね、などと年甲斐もはしゃぎながら、男女別の更衣室へ入った。僕はすぐに着替えを終え、更衣室を出てすぐのところにある自動販売機の横で待った。少しして、彼女が恥ずかしそうにやってきた。
「ごめんね、待った?」
「いや、待ってないよ」
「これ、どうかな?」
 彼女は白のビキニを手でポンポンと示しながら聞いてきた。
「凄く似合ってる」
 僕はお世辞でなくそう言った。実際彼女のスタイルはひいき目でなく抜群で、恐らくすれ違う男たちの多くも足を止めてしまうだろうと思う。僕は彼女が自分の恋人であることを誇らしく思った。
「ねえ、それだけ? 何か気付くことない?」
「ん?」
「水着はかわいいとして、あの、私、何か変わったとこない?」
 僕は彼女を上から下まで、少し嫌な汗をかきながら見たが、正直なところ何もわからなかった。仕方がないので当てずっぽうで「髪切った?」と聞いたら、彼女は不機嫌になり「もういいわよ」と言ってプールに向かって歩き出した。
 ちょっと待てよ、何が変わったんだよ、僕が彼女の肩を掴むと彼女はきっと僕を睨み付けた。
「ねえ、私、この五年で七キロも痩せたのよ。太ってて恥ずかしいからプールに行きたくなかったけど、あなたが毎年誘ってくるから、いつか一緒に行けるようにって目標決めて一生懸命ダイエットしてたのよ、どうしてわからないの?」
 僕は元々彼女のことを太っているなんて思っていなかったから、ダイエットをしているなんて思いも寄らなかった。しかし彼女の努力に気付けなかった本当の原因は、僕が仕事にかまけて彼女をちゃんと見ていなかったことだ。僕は彼女が横にいるのが当然だと考えすぎていて、彼女のために努力をしなかった。そして彼女の方もそうだろうと決めつけてしまっていたのだ。
 悪かった、本当だ、痩せてるよ、凄くスリムになったね、などと慌てて声をかけたが、彼女はぷいっと顔を背けて、一人でプールに飛び込んでしまった。
 失敗したな、悪いことしたな、僕は反省しながら、ゆっくりプールに入り、平泳ぎをして彷徨っていた。若い女性にはどうしても目がいってしまう、もう僕も彼女も二十八だ。三十分ほど経った頃、突然、左足を誰かにつかまれ、驚いて鼻から水を飲んでしまった。振り返って見ると、彼女が楽しそうに笑っていた。
「おい、ゲホッ……やめてくれよ、悪かったって」
「あなたねぇ、十代の女の子のお尻追いかけたってダメだよ」
「追いかけてないって」
「それに、スタイルで私に勝てる女の子がこのプールにいたかしら?」
「いませんでした」
「うむ、よろしい」
 どうやら彼女は僕を許してくれたようだった。僕たちはそうして二人でウォータースライダーに乗った。一年前には乗れなかったウォータースライダー、それは彼女だけでなく、彼女を見てあげられなかった僕の問題でもあったのかもしれなかった。


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