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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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見しらぬあなた

16/02/18 コンテスト(テーマ):第103回 時空モノガタリ文学賞 【 同棲 】 コメント:2件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1114

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トオルは、階下からきこえる食器のふれる、かろやかな響きに目をさました。
それはいつも朝、七時きっかりにキッチンからきこえてくる、いわば目覚ましのようなものだった。
彼は着替えをすますと、あくびをしながら階段をおりていった。
「おはよう」
オーブントースターからこんがりやけたパンをとりだしていた彼女が、こちらをみた。
「おはよう」
おうむ返しにいってトオルは、てんこ盛りの野菜サラダがおかれたテーブルについた。
「よく眠れた」
「ああ」
「いびきをかいてたわよ」
「え、ぜんぜんしらなかったな」
トオルは、いつものようにまず最初に、紅茶に口をつけ、レモンの香りがさわやかに舌のうえにひろがるのを心地よく味わった。
「じゃ、わたしさきにでるわね」
彼女は自分の食器を洗いおえると、彼のそばまでやってきて、ほんとにチュッと音をたてて彼の頬にキスしてから、自分の部屋にもどっていった。
トオルは、彼女の唇の、ほんのり温かな名残をまだ頬に感じながら、こころなし首を傾げた。
あの女性はいったい、誰なんだろう。
いつの頃からか自分の部屋にすみついていて、寝起きをともにし、恋する男と女としてこれまで数か月あまりやってきた。
しかし、彼女が何者で、どこの人なのかは、トオルにはなにもわかっていなかった。
「いってきます」
外出着に着替えた彼女が、玄関からでていくのを見送った彼は、一呼吸おいてから、自分も上着をはおって、靴をはいた。
アパートの前の道にでると、まだ彼女の姿がはっきり目にとらえられた。
広い通りに出て、信号をわたり、バス通りにそって歩く彼女のあとを、一定の間隔をあけながらトオルはどこまでもつけていった。つけられていることに、彼女はまったく気がついてない様子だった。その場に立ち止まることも、一度としてふりかえることもしなかった。
それにしても、どこにいくのだろう。朝、いつもきまった時刻にでかるので、会社にでも行くのかと思っていたが、はたして彼女は密集した住宅地の、まあたらしい民家のひとつの前にたった。まもなく、中からドアが開き、男性が彼女を招きいれた。
トオルはいま彼女がはいっていった家のまえまでちかづいて、表札の名前を確認した。ここが彼女の住いなのだろうか。庭越しに彼は、レースのカーテンがおりた窓を、判然としない面持でながめた。
彼女が再び家からあらわれたのは、案の定、午後の1時のことだった。案の定といったのは、毎日でかけた彼女が帰宅するのがだいたい1時30分すぎだったからで、やはり彼女はここから帰っていたのだった。トオルは、最寄りのコンビニにとびこんで、前の歩道をとおりすぎる彼女をやりすごしてから、彼女がでてきた家にむかった。
インターホンを押すと、すぐに顔を出した男性に、トオルは一礼してからたずねた。
「あの、つかぬことをうかがいたいのですが、いまこちらからでていかれた女性は―――」
すると男性は、いきなり半歩前にふみだし、
「ごぞんじなんですか、あの女性のことを」
「え」
「じつはあの女性、いつのころからか同じ時刻に私のところにたずねてくるようになりましてね、なんというか………これまで愛人関係をつづけてきたのですが、彼女がいったい誰で、どんな素性の持主なのか、さっぱりわからないままなんですよ」
わからないのに、なんでそんな関係を続けているのかと、おもわずといかけそうになったトオルだったが、自分にもこたえられないことをきいてどうするとすぐ自重した。
問わず語りに彼は、ここでの彼女のそれはおもいやりにみちたふるまいを、すくなくともその部分に関しては熱い口調で語った。彼はそしてなおも、トオルにむかって彼女が誰なのかをしきりしりたがったが、自分に対するけちのつけようのない彼女の尽くしぶりを、のろけたところでどうなるものでもないと思い彼は結局、なにもいわずにいた。
これといった収穫もないまま、トオルは相手に丁寧に頭をさげてから、家から離れてあるきだした。
彼女のことは依然として謎のままだった。さっきの男性もいっていたが、謎でも彼女といっしょに過ごせることは、他のなにものにもかえがたい喜びにはちがいなかった。謎は謎のまま、これ以上詮索しないでやっていくのもわるくはないだろう。彼はそうおもいなおすと、これまできた道からそれて、とあるマンションの前までやってきた。
ドアが開き、なかから女が、
「おかえりなさい」
あだっぽい声でむかえいれた。
和室にあがり、座椅子にすわった彼のまえに、お茶がおかれた。
こうしてこれから夕方までのあいだを、彼とこの部屋ですごせることの歓びが、女の顔一面にあらわれていた。この彼が誰で、素性もなにもわからなかったけれど、こうしていっしょにいられるだけで、彼女は心から幸福感にひたれるのだった。


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このストーリーに関するコメント

16/03/05 ヤマザキ

拝読しました。
何者であろうとも一緒にいられて幸せを感じられるならそれでいい。
むしろ情報過多の中で生きる現代人だからこそ、そういう人の存在を一層求めるのかな、と思いました。
まあ実際にこういう人が傍にいたら普通に怖いですが。

16/03/06 W・アーム・スープレックス

ヤマザキさん、コメントありがとうございます。
よく見知っている相手でもときに、ぜんぜん違う顔がちらりとのぞいたりすることがあったりして、男女の関係って本当に、奇奇怪怪なものではないでしょうか。

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