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ゆい城 美雲さん

お目にかかれて光栄です。 まだまだ未熟者ですがよろしくお願いします。 太宰治の富嶽百景が好きです。 コメントや評価、とても嬉しいです!お返事が遅くなることがありますが、ご了承ください。

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楽園を離れて

16/02/17 コンテスト(テーマ):第103回 時空モノガタリ文学賞 【 同棲 】 コメント:0件 ゆい城 美雲 閲覧数:1070

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 ようちゃんは、銭湯の香りをふわふわと漂わせながら、暖かくなってきた風とともに帰ってきた。うちのお風呂が故障してからもう週間にもなるのだけれど、のんびり屋の大家さんは一向にどうにかする気配がなくて、やんなっちゃう。苦肉の策で、徒歩五分のオンボロ銭湯に通い始めた。初めは、今にも朽ち果てそうな外見に不信感を抱いたけれど、住めば都と同じで、入ったら極楽。お湯は曜日ごとに種類が変わる。今日は金曜日だから、ラベンダーの湯だったと思う。昔ながらの水色のタイル張りの大浴場に、おあつらえ向きの富士山のペンキ画が、でんと描かれていて、少しも気取ってなんかない。番台のおばちゃんは無愛想だけれど、本当はいい人だと気付いたし、私もようちゃんも、銭湯に行くのが好きになった。まあ、ようちゃんにはお湯に浸かる以外の目的もあるみたいだけれど。
 ようちゃんは、帰ってくるなりホットミルクを要求した。しぶしぶレンジで牛乳を温めて、ハチミツを少しだけ入れた。ようちゃんはさっさとホットミルクを飲み終わすと、やがて煙草に火をつけた。キッチンからシャンパンも持ってきた。何をする気だ。
「日菜乃、祝って」突飛な言葉だった。
「何を祝うのよ」
「ヒデくんと付き合うこと」
「え、ヒデくんと?本当に?」
「ほんと」
 そう、これがお湯に浸かる以外の目的。好きな男がいるから、銭湯に通っていたのだ。
 ようちゃんはシャンパンの栓を音を上げて抜き、グラスに注いだ。炭酸の泡が、弾けてはグラスに当たって、消えていく。喉に流し込んだシャンパンは、ほろ苦い。
「でもさ、ヒデくんと出会ってまだ三日じゃない」
「運命に日にちなんて関係ないよ。童話のお姫様だって、すぐ結婚式するじゃん」
 それとこれとは違うと思うけど、なんて言うと、十倍になって反論が返ってきそうだから、素直に口を噤んだ。代わりに「あんた、自分のことお姫様だとでも思ってんの」なんて言ってやる。
「日菜乃よりは、お姫様の素質あると思う」
「はあ?調子乗るなよ、ブス」
「どっちが〜?」
 二人して笑った。学生時代から変わらない友達がいることは、大きな財産だと思う。今まで小さないざこざはあったにせよ、なんとか同じ部屋で暮らし、生きて、生活してきた。私の大切なようちゃんの恋ならば、全力で応援してやろう。ようちゃんはスタイルもよくて、顔もまあまあだし、おしゃれだし、香水にもこだわっているから、きっとヒデくんとも、上手くやれる。ヒデくんには、ハチミツ入りホットミルクの作り方を、伝授してあげよう。
「私、銭湯行ってくる」
「おー。いってらっしゃーい。のぼせんなよ」
 ようちゃんは赤ら顔で笑っていた。
 銭湯に続く細い裏道を、頼りない街路灯を目印に歩いて、古びた木の建物を見つけると、不思議とほっとする。番台のおばちゃんに挨拶して、私は女湯の暖簾をくぐる。思った通り、ラベンダーの香りが漂う。ペンキ画の富士山には、到底似合わないおしゃれな香りで、ちょっとおかしい。湯に浸かると、柔らかな眠気と、厭世的な怠惰が私を襲う。一日の疲れ、凝り固まった人間に対する不信感、胃がキリキリする嫌なことが、私の四肢から静かに染み出し、お湯に溶け込んでいく。この時間があるから、今日もなんとか生活している。シャンパンも飲んだし、家に帰ればようちゃんもいるし、とりあえず今日も幸せだと、そう思い込みたい。高望みする人って、滑稽でバカみたいだもん。
 お風呂上りに外に出ると、暖かくなってきたと言っても、冬の置き土産は十分に体を冷やした。ほのかなラベンダーの香りと体温を風がさらっていく。帰路につきながら、ヒデくんのことと、ようちゃんのことを考えた。
 私は、見つめ合うことすら許されない恋をしている。だからようちゃんがルームシェアを持ちかけてくれたのだけれど、花は咲かないまま、部屋の片隅で腐っていった。すべて腐って、跡形もなく消えてしまったら、どんなにいいだろう。しかし、まだ花からはどろっとした血が溢れ出る。高望みはしないって決めた。叶わない恋を追いかけているほど、暇な女じゃないわ。
 私は大股で歩いた。
 ようちゃんはスタイルがいいし、おしゃれでもてるけれど、中身は繊細なのだ。ヒデくんはようちゃんを守ってくれる筈だ。そうして二人で、北欧の白い教会で愛に溢れた結婚式でも挙げてしまえばいい。一番のおめでとうを言ってあげる。
 アパートのむき出しの階段を上って、お風呂の壊れた203号室。
「遅かったな、俺、シャンパン全部飲んじゃった」
 あんたが幸せになるよう祈ってる。私の全ての愛をかけて。
「酔っ払いめ。いいよ、私ビールあるから」
「あっそ。てか、そろそろ風呂直さなきゃな」
「そうだね、電話しとくよ」
 でも、本当はね、未だに、壊れなかったらよかったのになんて思ってるのよ。


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