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草愛やし美さん

時空文学コンテスト開催100回、おめでとうございます。思えば、初めて私が、こちらに投稿したのは2012年5月のこと、もう4年近く経ったのですね。時空モノガタリさまが、創作の場を与えてくださったお陰で楽しい時間を過ごすことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。 また、拙い私の作品を読んでくださった方々に感謝しております。 やし美というのは本名です、母がつけてくれた名前、生まれた時にラジオから流れていた、島崎藤村作詞の「椰子の実」にちなんで……大好きな名前です。ツイッター:草藍やし美、https://twitter.com/cocosouai 

性別 女性
将来の夢 いっぱい食べて飲んでも痩せているっての、いいだろうなあ〜〜
座右の銘 今を生きる  

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私はあの日のお茶を生涯忘れないだろう

16/02/15 コンテスト(テーマ):第101回 時空モノガタリ文学賞 【 お茶 】 コメント:9件 草愛やし美 閲覧数:2058

時空モノガタリからの選評


我が子が行方不明になるということは、母親にとってはこの上ない非常事態でしょう。後悔や無事を祈る気持ちで千々に乱れる主人公の感情が、まるで実体験のような手触りで描かれていて、引き込まれました。長崎という坂の町の情景、近所の人々の優しさ、「何もできなかったはず」の子供の成長ぶりなどもさりげなく伝わってきて印象的です。観念的でない地に足のついた良さは、草藍やし美さんの作品の優れたところの一つではないかと思います。
 叱られることを覚悟していた主人公に「主人」が黙って淹れてくれた一杯のお茶……。どんな雄弁な言葉よりも、それが彼の優しさを十分に語っていますね。「かじかんだ両手のひらが忘れていた体温を取り戻すかのように暖まっていく」感触は、自分が体験しているかのようにリアルに伝わってきました。淹れる者の心を伝え、飲むものを癒すというお茶の“ありがたみ”が伝わってくるという意味で、特に印象的な作品でした。きっと「この日のお茶を生涯忘れないだろう」という主人公の言葉は、決して大げさなものではないのだろうという気がします。

時空モノガタリK

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アパートのノブを見た瞬間おかしいと感じた、隙間がある、出る前にちゃんと鍵をかけたはず……だのに開いている、慌ててドアを開けた。いない、太一がいない。

「雨降ってるしパンツはいてへん子は連れていかれへん、お留守番しときなさい。お母さんはそこの若竹市場まで行ってすぐ帰って来るから」
 そう言い聞かせて外へ出たのは三十分ほど前だった。あひるのおまるに腰かけさせた子は相変わらずぐずぐずしている。外は細かく冷たい雨が降り続いている。坂の町、長崎で雨の中、幼い子を連れて出かけるのは辛いものがある。明日結婚式に呼ばれている主人のカッターシャツをどうしても今日中にクリーニング屋から取ってこなくては。──だけど、この雨の中、傘を差して幼子を抱いて坂道を歩くのはきつすぎる。傘も満足に差せないわが子はまだパンツを自分で脱ぎ着できない。ほんのちょっとの間だけなら大丈夫、置いて行こう。親業をしてまだ二年しか経っていないというのに変な確信をもってしまったのだ。

すぐに隣の管理人Sさん宅のドアを叩くと、「探しに行ってる間に太一が帰ってきたら見ていてほしい」と早口で頼み表に飛び出そうとした。彼女が私を引き留め「まさかとは思うけど便壺見た方がよかよ」
二人で階下へ急ぐ。のしかかるどす黒い得体のしれない不安を押し退け、階下の小さなマンホール蓋を開けて覗きこんだ。汲み取りが終わって間のない汚水面はかなり下に見えた。子供の姿はない、ない! 横にいるSさんに確認しホッと胸をなで下ろすやいなや、アパートの坂道を駆け出した。
坂道を駆けながら道すがら出会う人を手あたり次第に捉まえて聞く。「子供見かけませんでしたか? 二歳の裸足でパンツはいてない男の子を」 後から思うとと怪訝な顔をされていたことだろう。必死の形相の私にどの人も首を横に振るだけだ。誰も見ていないってこの道違うの?。どうしよう、どこ行ったんや。
よく行く市場への道を更に進む。左右見回しながら何度も何度も道行く人を捉まえ同じ質問を繰り返すだけ。静かな住宅街を幾度も行ったり来たりしながら自宅アパートへ駆け戻る。Sさんはアパートの他の住人にも声をかけてくれたのか数人の人が待っていてくれた。一目見て太一がまだ見つかっていないとわかる。「今ね柳谷の方の崖道探しに行ったほうがよかねて相談してたとよ」柳谷の崖から落ちているかも?! 鼓動が更に激しく打つ。「私もう一度赤迫下る道、見てきますわ」震える声で私は今来た道をとってかえした。坂道を下りながら涙が出てくるのを抑えられない。何てことしたんや私は。もしあの子に何かあったらどうしよう。どうか見つかってほしい。祈りながら走ったがやはり前と同じだ携帯などない不便な時代、事態が全く呑み込めないまま必死で走るしかなかった。
再びアパートに戻ると明るい表情のSさんが叫んだ。「今ご主人から電話ばあったとよ、太一君、昭和町の交番に保護されとるとよ」 涙や鼻汁でぐしゃぐしゃの顔でペコペコ頭を下げ昭和町に向かった。
交番に着くと先に主人が来ていた。何もできなかったはずの我が子は、パンツと長靴をはき、傘まで持っていたことに声も出ないくらい驚いた。体中の力が抜けてその場に倒れそうに思えた。おまわりさんが笑顔で頷いている。「坊やは、住吉の電停行く手前の自動車道路を車ば多くてどうしても渡れんかったとね。ずうっと酒屋の前に立っとったのを、酒屋の女将さんが、おかしかぁね思うて、ここば連れてきんさったよ。よか人で良かったとね。坊やば黄色い傘持っとってそれに名前と住所ば書かれとったんでそっから調べ連絡ついたと。いやあ、わかってよかったとねえ」 酒屋に寄りお礼を言いそこから、3人でタクシーに乗りアパートへ戻ると、待っていてくれたSさんやアパートの人々が、みな一様に笑顔で良かったねえと喜んでくれた。

 部屋に戻ってきたが私は不安でいっぱいだった──主人に叱られる。怒っているに決まっている。なぜあの時私は子供を置いて出かけてしまったのだろう。鍵はかけたはずなのにどうして開いたの? 悪いのは私だけどそれでもひたすら言い訳が頭を過る──

 項垂れている私の前でコトリと小さな音がした。恐る恐る上げた目が見覚えのある二つの湯呑と小さなプラスティックコップを捉えた。主人は黙って急須のお茶を注いでいる。太一は嬉しそうに大きな声で「とうしかんない(いただきますの意味)」と言うとコップを取った。
 
 私は黙って湯呑を包み込むように握りしめた。かじかんだ両手のひらが忘れていた体温を取り戻すかのように温まっていく。湯気の揺らぎの中、一口お茶を啜った。ほろ苦さが体の芯に沁みていく。漂う芳香とした茶の香りが私の強張った心を抱きしめていく。湯気の向うに主人の笑顔が滲んで揺らいだ。
 
 この日のお茶を私は生涯忘れないだろう。


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このストーリーに関するコメント

16/02/16 クナリ

この状況でのこの事態を過失だと責めるのは難しいですが、その上で十二分に自身で反省していることが分かり、夫が主人公の人格を従来より信頼しているからこその、静かなる一杯ですね。

16/02/16 南野モリコ

草藍やし美さん、拝読させて頂きました。
旦那さんの子供だけでなく、奥さんも思いやる、優しさの深さを感じました。
子供が見つかった安堵感と、ご主人の優しさへの感謝、家族の幸福感を
一杯のお茶に託したのにジンと来ました。
今回も楽しませて頂きました。ありがとうございました。

16/02/18 泡沫恋歌

草愛やし美 様、拝読しました。

子育てをしている最中は無我夢中でこういう失敗を何度か繰り返して、親も子も成長するものだと思います。
お子さんが見つかって良かったですね。
旦那さんが淹れてくれたお茶は妻に対するねぎらいの気持ちだと思います。
心にしみる良いお話でした。

少しブランクがあったので、心配していましたがまた投稿されて良かったです。

16/02/20 滝沢朱音

緊張感のある書き出しと、その後の展開にハラハラしながらも、
文中に出てくる長崎の言葉、そしてまわりの人々の人情にしみじみとしながら読みました。
怒られると首をすくめていた主人公に、ご主人が何も言わずお茶をいれてくれたとき、
主人公と同じ気持ちで、ホッと息をつきました( ´Д`)=3ふう
白黒の雨の画面に、お茶のラストでぽうっと灯がついた感じ。あたたかい。

16/02/22 石蕗亮

拝読しました。
人の温かみとお茶の温かみがリンクするお話で良かったです。
最後の一文で鼻の奥がツンとする感じがして、心から良かったと胸をなでおろしました。
感情移入がっつり入って最後まで一気に読みました。

16/02/24 やっちゃん

ちゃんと下着をつけて傘まで持っていた。
子供は親の知らないところで成長するのですね。

私もデパートで子供とはぐれて大騒ぎをしたことがあります。
草藍さんの小説を拝読しながら泣いていました。
その時の一口含んだ香気のお茶の味は忘れることがないでしょうね。

16/02/25 光石七

拝読しました。
子育ての中で実際に起こりそうな出来事、太一君が無事で本当に良かった……
主人公を責めずにお茶を淹れて笑顔を見せるご主人、優しい方ですね。夫婦の絆、信頼感のようなものも感じます。
素敵なお話をありがとうございます!

16/02/25 冬垣ひなた

草愛やし美さん、拝読しました。

太一くんがいなくなってハラハラしましたが、一人で迷子になる位成長したんだねと、胸をなでおろしました。
雨の長崎という、情緒と人情溢れた舞台も素敵ですね。
心温まる一杯のお茶が、家族の絆をより強く確かなものにしてゆく。
太一くんだけでなく、お父さんとお母さんもこうして成長してゆくのだなと思いました。

16/03/15 そらの珊瑚

草愛やし美さん、拝読しました。
とってもいいお話ですね。
個人的に、同じような体験をした身にとって、他人事ではないような気がしてハラハラしてしまいました。
入賞、おめでとうございます♪

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