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そらの珊瑚さん

🌼初めての詩集【うず】を上梓しました。  (土曜美術出版販売・現代詩の新鋭シリーズ30) 🌼小説や詩、短歌などを創作しております。 🌼作品を置いています。よろしかったらお立ち寄りくださいませ。 「珊瑚の櫂」http://sanngo.exblog.jp/14233561/ 🌼ツイッター@sangosorano 時々つぶやきます。 🌼詩の季刊誌(年4回発行)「きらる」(太陽書房)に参加しています。私を含めて10人の詩人によるアンソロジー集です。アマゾンでお買い上げいただけます。      ✿御礼✿「馬」のオーナーコンテストにご参加いただきました皆様、ありがとうございました。

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五十度のお湯にひたされ茶葉たちが五月の枝に戻ってゆく夜

16/02/15 コンテスト(テーマ):第101回 時空モノガタリ文学賞 【 お茶 】 コメント:5件 そらの珊瑚 閲覧数:1489

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 ペットボトルのミネラルウォーターをやかんに入れ、火にかける。ぐらぐらと沸騰したら、まず湯呑と急須に湯を注ぐ。茶器をあらかじめ温めておくことで、次の工程で湯の温度が急激に下がるのを防ぐことが出来る。そしてやかんのふたを開けて、湯の温度が下がるのを待つ。
 日本茶の茶葉にもよるのだが、母が送ってきた実家の緑茶は今年の新茶。やや低めの五十度くらいが一番美味しいと私は思う。

 実家はお茶農家だった。
 小さい頃から、母や祖母がそうやってお茶を淹れているのを身近に見ていた。毎回同じ手順を踏んで、お茶が出来ていくのを見るのが好きだった。湯気の中の家族は、幸せそうな顔をしていたっけ。――あの頃は幸せという言葉の本当の意味さえ知らなかったけれど。
 午後三時といわず、一日に何どもお茶の時間があった。小学校から帰るとまず熱いお茶が出てくる。冬は体が温まる。夏でも熱いお茶を飲んだあとは、不思議と体が涼しくなった。飲み物といえば、お茶だった。お茶しかなかった。中学の時、部活帰りに友達とコーラを初めて飲んだ時、あんまりびっくりして吹き出してしまった。二十七歳の今でも炭酸飲料は苦手だ。
 出がらしのお茶も、捨てたりせずに、おひたしにして食べたり、野菜にまぜてかき揚げにしたりして食べた。

 大学進学を機に家を出て、卒業後も東京で就職し、ひとり暮らしももう五年過ぎた。さすがに出がらしの茶葉は捨ててしまうが、夕食を家で食べた夜は、こんな風にゆっくりとお茶を自分で淹れる。

 仕事で疲れた体だけでなく、心までもが安らいでいくような、ぜいたくな時間。
 そう、ぜいたくとは値段の高いものばかりを差すのではない。油温が適温まで下がるを待つほんの数分。何も考えないでボーッとしていることが、なんだかとてもぜいたくに思えてくる。

――疲れているんだろうか、私。

 疲れていないわけがない。でもそれは私だけじゃない。大なり小なりみんな疲れていると思う。帰りの電車に乗り合わせた人のほとんども、たぶん。スマートフォンを手にして下を向いていた人がほとんどだったけれど。

 毎朝、満員電車に乗って小さな会社にたどりつき、事務員としてパソコンの前で一日のほとんどを過ごす。来客にお茶を出すことはあっても、基本ティーバックだった。ティーバックのお茶には味も香りもしない。そんなお茶を出すことに、勤め始めた頃は抵抗があり、茶葉と急須を持ち込んでお茶を淹れて出したことがあった。
「そんなめんどうなこと何でやってんの? 時間の無駄、無駄。それにさ、客だって美味しいお茶なんか求めてないって」
 給湯室で先輩の女子社員に嫌味を言われてヘコんだけれど、笑顔で「えへへ、そうですよね。すみませーん」とおどけて答えた。いちいち傷ついていたら身が持たない。会社は人間関係に一番気を遣う。
 いつのまにか熱湯でティーバックで淹れたお茶を出すことにも平気になった。お茶なんて緑色の色さえついていればいいのだ、と。
 ◇
 そろそろかな。温度計がなくても、長年のカンで大体湯温が五十度になったのがわかる。
 夏はちょっと遅いし、反対に冬はちょっと速く下がる。急須の湯を捨てて、濃緑色の茶葉を茶さじで一杯分入れる。それから湯をそそぎ、そっとふたをする。そのあと1分ほど蒸らす。だから何もしない。何もしない、ということをする。
 茶葉は今、急速に元の自分に戻っていく。自分がこの世に生まれた五月の枝を思い出しているのかもしれない。太陽の光をほんの数日浴びただけの、開き始めた頃の柔らかな一葉であった自分に。そしてそんな記憶ごと、お湯の中に溶かすのだ。
 
 五月の始めに、ふるさとの茶畑は新緑を迎える。少女だった私も、小さな手でお茶摘みを手伝ったっけ。何の憂いもなかった頃が、ただ懐かしい。 

 さあ、もういいだろう。お茶を湯呑に注いでみれば、薄い黄緑色。絵の具には出せそうもない、生きている色。さも滋養がありそうな香しさが湯気と共に立ち上り、まるで、さあ召し上がれと言っているかのようだ。――いただきます。
「はぁー」
 ひとくち飲むと、ため息ともつかない息がもれる。甘い。新茶にはほとんど渋みがない。その甘さは砂糖や甘味料とは違う種類の甘さだ。ふたくち、みくち……全部飲み干す頃には、心の芯まで温かくなる。すでに遠くなってしまったあの頃がとても近くに感じられる。
 あの頃の私に訊いてみたい。ねえ、私は、今の私は、幸せそうな顔をしていますか?

 炭酸飲料のような都会の生活の中にいて、やっぱり私に必要なのはお茶だと再確認する。優しくもどこか凛としているお茶の後味は、私の背中を押してくれるものでもある。
 からになった湯呑を両手で包む。まだほんのりと温かい。

 そして思うのだ。明日もなんとかやれそうかな、と。


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このストーリーに関するコメント

16/02/18 泡沫恋歌

そらの珊瑚 様、拝読しました。

私は本来コーヒー党でしたが、最近は日本茶が本当に美味しいと思うようになってきました。
旅行から帰ると、最初に自分の家のお茶が飲みたくなります。
家のお茶を淹れて「お茶がうめぇ〜♪」と言いながら飲んでいる時に幸せを感じますね(笑)

16/02/20 滝沢朱音

五十度のお湯→五月の枝に戻る、というタイトル、どういう意味なのか興味が惹かれましたが、
「太陽の光をほんの数日浴びただけの、開き始めた頃の柔らかな一葉であった自分」に戻る、ですか…!
このお茶の描写、すごいですね。今までそんなふうに思ったことなかったです。
実際に茶畑でお茶摘みをしたり、お茶を生活の一部として大切にしてきた主人公ならではの目線だなと。

白状すると、慌ただしさにまぎれティーバッグで済ませてしまうことも多いズボラな私です^^;
でもこの掌編を読むと、ちゃんといいお茶を買って、ゆっくりいれてのみたくなりました。
そして、明日もなんとかやれそうかな、って思えるといいなあ。

16/02/22 石蕗亮

拝読しました。
絵の具には出せそうもない、生きている色。
炭酸飲料のような都会。
描写のひとつひとつが鮮やかでまた言い得て妙で感心させられました。
また、茶葉を自身に引用する描写など素晴らしかったです。
先のテーマの純文学を強く感じました。
いつか私もこんなふうに書けるようになりたいです!

16/03/03 冬垣ひなた

そらの珊瑚さん、拝読しました。

はっと目を引くタイトルで一気に読んでしまいました。
お茶を注ぎ入れる間も惜しみ、炭酸飲料に親しんだ
都会に暮らす人は皆疲れているのかもしれませんね。
お茶の持つ安らぎや人の暖かさが文章から滲み出ていて、読後も優しい余韻が残りました。

16/03/15 そらの珊瑚

泡沫恋歌さん、ありがとうございます。
私もコーヒー党ですが、時々飲む日本茶はやっぱり美味しいです。
日本人だからなのかでしょうか。

滝沢朱音さん、ありがとうございます。
実家で昔、お茶を育てていて、小さい頃お茶摘みをさせられたので、
その頃の体験をもとにして書いてみました。
新茶は水でも結構おいしく飲めたりします。
でもティーバックでも美味しいと思っちゃいます。

石蕗亮さん、ありがとうございます。
もったいないお言葉をいただきまして、恐縮です。
気に留めていただき嬉しいかぎりです。
創作への力をいただきました。

冬垣ひなたさん、ありがとうございます。
炭酸飲料、時々無性に飲みたくなるけれど、カロリーを考えて、止めます(笑)
日本茶はそれをいれる手間も含めてほっとできる時間のような気がします。


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