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ゆい城 美雲さん

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保健室の殺人犯

16/02/14 コンテスト(テーマ):第101回 時空モノガタリ文学賞 【 お茶 】 コメント:0件 ゆい城 美雲 閲覧数:1010

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身長計の測定バーを、手持ち無沙汰に上下しながら、学校にきたくないんだ、と、益岡先生に言うと、彼女はコーヒーの入ったポットを持ったまま、目を丸くした。先生の午後のティータイムにお邪魔して、突拍子もないことを言い出したのだから、申し訳ないと思う。先生はどうしてと口だけ動かして、結局声は出さずに、下を向いて黙り込んでしまった。しかし、すぐに意を決したように僕の目を見据え、「何かあった?」と聞いた。
白い保健室が、その純白さを持って僕に襲いかかりそうだ。僕は迷っていた。明確な理由などなかった。先生が心配しているであろう、いじめや仲間はずれなどはなく、なんとなく、居場所がなかったり、生きていく意義を見出せなかったりしていたのだ。それらを上手く説明するすべをまだ知らないから、僕も益岡先生の真似をするように、下を向いて黙り込んでいた。午後の保健室は、僕以外いないから、とても静かだった。
あの頃の僕なんてものは、ひたすらにおかしかったのである。早く大人になってしまいたかった。大人になったら、誰にも踏みつけられず、痛めつけられず、傷つけられないのだと考えた。自立して、自分の力で人生を歩めるのならば、文句を言ううるさい人も、いなくなる。母も父でさえも、簡単に指図することは出来なくなる。学校を辞めて、働くのなら、とりあえず金銭的には自立するのだから、大人になるんじゃないか、と考えては、そんな大胆なことできたものでないと、ぐるぐる同じことを考えていた。一人前が何を意味するのかはわからなかったが、一人前になれば、親に植え付けられたうざったい価値観も、学校の先生と対峙して感じた恐怖も、全て無くなって、初めて僕は僕の人生を歩めるのだ。その日をずっと待ちわびている。父と母にも、わかってほしかった。僕はもう子どもではない。自分の考えを持って、何を貫き何を曲げるのか、ちゃんと思案しながら生きていると。
そんなことを大人に言っても、聞いてもらえるどころか、怒ることや、親に至っては泣き叫んで私の何がいけなかったのと、ヒステリックになるだけだと知っていたから、口が裂けても言わなかった。益岡先生もだ。彼女は他の大人よりは子どもを理解してくれるけれど、本当に、深層心理まで理解してくれているかと言うと、疑わしい。自分のことを、完璧に理解してくれる人などいないことを、心の隅ではわかっていたけれど、子どもという名に甘んじて、欲求していた。
僕の人生におけるこのような不安は、原因が突き止められるような代物ではない。もっと大きな、世界を覆うほどに膨張して暴徒と化した不安なのだ。人生は暗い。希望がそこかしこに落ちている人生もあれば、僕のように、ただひたすらに闇のトンネルを掘り進んで、後退も前進も出来ぬところまできてしまう人生もある。この700万年もの間、よく嫌にならなかったなと、たまに人類に感心する。奈落の底に落ちてしまう可能性のある明日を、ひたすらに信じて生きるなんて、そんな器用なこと、僕にはできる気がしない。
だから僕は、自分が嫌いだ。そして、世界も同時に僕が嫌いなのだ。どうやったら上手く生きていけるか、てんで見当もつかない。
白い部屋の中で、白衣を着た先生は、黙りこくった僕に、
「言いたくないなら、いいよ」と言った。
「私も、学校きたくないな。先生っていう仕事は好きよ。でも、働くって面倒なことの連続で、生きる為に仕方なくしているけれど、もしお金があるなら、ハワイに行ってバカンスしたいもん」
「先生も、嫌なの」
「嫌なこともあるよ。嫌いな先生もいるし、いけ好かない生徒もいるし、緊張する会議も、面倒くさい書類作成もあるし。でも、それを我慢して上手くやっていかないとね」
先生は笑っていた。
ようやくわかった。大人になるということは、相手を一人の人間として、見ることなのか。親も、先生も、世間の人間も、一人の人間で、僕と同じように悩みや苦しみを抱えて、それぞれで生きている。紙芝居なんかじゃなく、確かに生きている。自分の生きたい世界でなくても、妥協しながら、前を向いている。それは諦めとは全く異なることだ。僕は僕を殺せた。僕は親を殺せた。僕は大人を殺せた。この瞬間、僕は一人前になった。
「明日も来るのよ。教室じゃなくて、ここでいいから。さ、お茶に付き合って」
先生は僕にもコーヒーを注いでくれて、とてもいい香りがした。目がくらむような白は、もう襲ってこない。上手くやれるようになったのかもしれない。
「きっとそうします」
コーヒーには、砂糖とミルクを二つずつ入れたいなあと考えながら、背伸びしていたかかとをゆっくり地面に着けた。


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