國分さん

2週に1作、コンテスト作品投稿しますb

性別 男性
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

0

博徒

16/02/09 コンテスト(テーマ):第102回 時空モノガタリ文学賞 【 ギャンブル 】 コメント:0件 國分 閲覧数:994

この作品を評価する


 勝負師の早い朝は神棚に手を合わせるところからはじまる。
 榊の水を取りかえ毛払いを滑らせ、水、米、塩をそなえる。二礼二拍一礼。祝詞を奏上したのちに深々と頭を下げる。これを毎日欠かさない。
 神様にある日突然、人の大きな欲望を願ってしまってはただ驚かせてしまうだけだからだ。

 それから彼は近くのコンビニへと向かう。
 西には木星、天頂には火星、朝ぼらけの東に明けの明星。闇の西にはほとんど満月のお月様が木星に負けじと輝いている。乾いた冷気を纏いながら吐く息は白い。まだわずかに冬の残る朝である。

 甘いコーヒーと梅干しのおにぎり、目当ての騎手の鞍上する馬名が一面を飾るスポーツ紙を買い、駅へと向かう。
 それまでの道のりで朝飯を平らげる。甘さも苦さも、酸っぱさもしょっぱさも舌の上で踊り狂う。この味に、いつしか彼の胸も踊るようになっていた。勝負飯であるからだ。

 日曜日の始発前。閑散とした高架線の駅のホームからようやくお天道様を拝めた。瞬間、彼の目が鋭くなった。気が高ぶったのだ。それを抑えようと彼は静かに目をつむり、心の中で手を合わせる。残光照らすまぶたの裏で、中山の芝を思う。良好と見た。


 ここまで全てが彼のゲン担ぎである。
 四〇年前の府中で得た一万円札の塊が、社会に出て間もない彼の人生を変えたのだ。借金を軽く返済し、別れて久しいが女房も子宝も得た。息子に「天馬」という名前まで付けてしまった。彼の住む、もはや廃屋同然の木造平屋を建てたのもそのときだ。

 得られなかったのは、世間様の常識だけである。いや、あのとき、社会への不平不満とともに吹き飛んでしまったのかもしれない。更地となった彼の常識の地に植え付けられたのは、せこせこ働き薄給を得る馬鹿らしさであった。


 夜露のきらめきが消えぬまま第一レースがはじまった。
 開門直後の陣取りレースは若者たちの前にあっさり惨敗した。位置は最前列から五列目になる。眼光はまだにぶいが、確かなしたたかさを宿す。
 未勝利、新馬と続く午前のレースはじゃじゃ馬ばかりだ。見るべきは馬の足元、馬場状態の最終確認である。

 前方から来る夏の蒸した芝臭さとは一味違い、競馬場の春は人の熱気が後方から押し寄せてくる。
 手すりに寄りかかり、うららかな日の下、妄想じみた夢にうつつを抜かしているといよいよその時が近づいていた。

 振り返ればざっと一〇万超の夢という名の欲の群れ。歓声とも怒号とも言えない独特の喧騒を作り出してる。


 東京優駿日本ダービー前哨戦。七六番目の皐月覇者の称号を授かるのはどの三歳馬か。
 彼はパドックにも券売機にも向かわず、その場で携帯電話を取り出した。あれから時代は変わったが、彼の常識はあの日のままだ。狙いはとうに絞った。単勝一点全額!


 スターター台がせり上がる。旗が振られる。
 ファンファーレに合わせ、場を煽りに煽る手拍子が地響きとなって押し寄せた。かすかに聞こえるのは、それよりも速い自らの胸の鼓動だ。

 サラブレットの戴冠と勝負師の未来は二〇〇〇メートル先にある。
 ゲートが開かれた。各馬一斉にスタート。

「天馬あっ!」

 彼の叫びは、興奮した場内に特別響いているようであった。


(了)


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン