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たまさん

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散文の海へ。2016

16/01/31 コンテスト(テーマ):第100回 時空モノガタリ文学賞 【 純文学 】 コメント:11件 たま 閲覧数:1335

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 作家開高健がサイゴンの河岸の屋台で、熱いモツ粥をすすっていたのは1964年の雨季のころで、わたしはその翌年の夏、日本に生まれた。

「ぼく、わからないです。こんなくだらない人間の、くだらない感情が、どうして小説だといえるのですか?」
「うん、たしかにくだらないかもしれない。でも、丹青ならとおもってさ」
 それで、わたしは丹青に開高の『夏の闇』をプレゼントしたのだけれど、北京の大学をでた言語の秀才にも日本の純文学は理解できないのだと知った。
「だって、ぼくの国には純文学なんてありません。ぼくは信じられないです。こんなのが小説だなんて」
 王丹青(わん・たんちん)は北京生まれの青年だった。わたしが地方大学の文学部に在籍していたころに留学生として日本にやってきた。
「あ、そうなんだ? 中国には純文学ってないのか」
「ええ、ありません。なんの変哲もない男や女が小説の主人公になるなんて考えられないことです」
「なるほど、つまり国民的ヒーローだけが小説の主人公になり得るということか」
「そうです」
「でも、丹青、人間って他人の生き方を真似ることはできないとおもうよ。だから、自分らしく生きるしかなくて、そうなるとくだらない感情であっても、自分らしく書くしかないということになる。日本人ってけっこうくだらない人間が好きなんだよ。丹青はどう? くだらない人間は嫌いか」
「嫌いじゃないけど、そんなのぼくは恥ずかしいです」
「たしかに日本の作家は恥ずかしいことを書くけど、それはさ、読者も同じなんだ。自分の恥ずかしい感情を確かめてるんだよ。それでなんとなく安心して生きてゆけるのだおもう」
「ぼくは違います。ぼくは恥ずかしいことは誰にも見せないし、他人のそれを知りたいともおもわないです」
 三歳年上の丹青は北京での私生活を語ろうとはしなかった。丹青にとって日本人はまったく得体の知れない国民だったのだろう。
「よし、丹青。みそかつ食べにいこう」
「ぼくは貧乏です」
「わかってる。わたしが奢る。でもね、出世払いだよ。OK?」
「なんですか、その出世払いって?」
「うーん、丹青が北京に帰ってさ、小説を書いて、いつかノーベル文学賞をもらうってことかな」
「できません。そんなこと」
「丹青、夢だよ、夢。わたしは丹青の小説が読みたいんだ。ね、書いてよ。そのために日本に来たんだろう? ね?」

 本郷町の下宿をでて、夕暮れの西柳ヶ瀬通りを北に歩いて金華橋通りを渡ると、学生に人気のみそかつ屋があった。味噌と油の匂いが染みついたカウンターに座って、ゴツゴツとした噛み応えのあるとんかつを無心に食って店をでる。
「丹青、GHOSTでコーヒーだよ」
「ぼくには贅沢すぎます」
「だから出世払いでいいって」
 柳ヶ瀬の繁華街を抜けて若宮町通りを歩く。薄明かりの狭い路地に入るとジャズ喫茶があった。黒いペンキを塗りたくった壁に木のドアがあるだけで窓も看板もなかった。店のなかもほとんど真っ暗でタバコの煙とジャズが充満している。壁際の低い椅子に腰をおろす。
「コーヒーとエリック・ドルフィー、いいですか?」
「はい、2枚ほど待ってくださいね」
 陽炎のようなママが笑顔で応対してくれる。2枚というのはLP盤が2枚ということで、それだけリクエストが溜まっているということだけど2枚というと1時間では終わらない。
「丹青は? リクエストないの?」
「ぼく、チック・コリア……」
 丹青は70年代のジャズが好きだった。わたしは60年代だった。
 そのころ、わたしたちは90年代の喧騒のなかにいた。開高健は90年代を見ることもなく逝ってしまったけれど、それは純文学の終焉を暗示するものであったかもしれない。丹青が北京に帰ったのは5年後ことで、留学生たちが持ち帰った日本文化のなかに純文学があったことは間違いないだろう。21世紀に入って中国の文学は全世界に台頭する。そうしてついにノーベル文学賞を手にするのだ。

「ねえ、丹青、日本の純文学が中国の作家を育てる時代が来るかもしれないよ。だからさ、もう少し読んでみないか? 開高……おもしろいよ」
「こんどはなんですか?」
「オーパ! ね、写真もあるよ」
「ぼく、釣りはやりません」
 開高は遅筆だったという。『夏の闇』を開くとなんとなくそれがわかる。シームレスで小説が書ける最後の作家だったかもしれない。その文体はもう(散文の海)としかいいようがない。開高は幾度もその海で溺れたはずだ。バーボンを片手に海辺で嘆息する彼の姿が見えるようだ。
 わたしはいまも開高の海を泳ぎつづけている。それはわたしが詩人であることの反動だとしても、くだらない人間の、くだらない感情を愛する理由なんていらないはずだ。

 ねえ、丹青。人間の感情に国境なんてなかったんだよ。あるのは海だけさ。



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このストーリーに関するコメント

16/01/31 たま

脱字、訂正。

―それでなんとなく安心して生きてゆけるのだとおもう」

16/02/01 松山

たまさん、拝読致しました。散文の海へのタイトルで思わず覗いてしまいました。純文学と言う題材が生かされた作品ですね。そして岐阜が舞台、開高と思わず息子を思い出してしまいました。たまさんは息子の事をご存じだったのでしょうか?作品を通して凄くご縁を感じます。

16/02/01 たま

椋さんのお父さま、ありがとうございます♪

あ、見破られちゃったかな? この小説の主人公は私ではなくて、椋さんですよ^0^

この小説は、椋さんを追悼するテーマ「きっかけ」に投稿するつもりで書き始めたのですが、どうしてもまとまらず、今回の「純文学」で再挑戦したものです。
お父さまの眼に止まるなんて不思議ですね。さすが、お父さまです^^

岐阜の街は私の青春の思い出がぎっしり詰まった街です。そのことを語るとここに書ききれませんので、改めて「自由投稿スペース」に書きたいと思います。しばらくお待ちくださいね。

昨年、お父さまが発行されました、椋さんのご本は恋歌さまから頂いております。ありがとうございました。そのことも含めて書きたいと思います。



16/02/01 松山

たまさん、有難うございました。開高をこよなく愛した椋は、『夏の闇』を上着に入れたままで旅立ちました。今度、また時空さんで椋のメモリアルのコンテストを開いて頂ければと思っています。その際は、宜しくお願いします。椋が読んだら喜んでいたと思います。

16/02/07 滝沢朱音

時代時代の空気感と、さりげない言葉が一つ一つがきらめいていて、とても素敵!
開高健さん、たしか何かのエッセイ?くらいしか読んだことがないくらい、
文学に疎い私ですが、この掌編に影響されて、いろいろ読んでみたくなりました。
これから何を書けばいいのか、いろいろ悩む段階に来ている私にとって、
いろいろと示唆してくれるかのような主人公の言葉がとても響きました。

16/02/10 たま

滝沢朱音さま、ありがとうございます♪

ほんとに、悩みますね。ぼくも何を書いたらいいのか、年中悩んでます^^
まず、言えることは自分にしか書けないもの、ということでしょう。
どんなジャンルの小説であれ、自分らしさを出すことがいちばんだと思います。
その次に言えることは、どうしても書きたいものがあれば、それを書くことかな。

朱音さんのライフワークとも言うべき主題を見つけましょう^^

16/02/12 光石七

拝読しました。
恥ずかしながら開高健を読んだことが無いうえ、中国文学はおろか日本の文学すらよくわかっていない私ですが、純文学ってこういうものなのかと、おぼろげながら輪郭が少し見えた気がします。
くだらない人間の、くだらない感情。自分らしく生きる、自分らしく書く……
ラストの一行も印象的ですね。
造形の深さと内容の深さに感服しました。
コメント欄を拝見して哀悼作品でもあることを知り、更に感動し……
素晴らしい作品をありがとうございます!

16/02/14 たま

光石七さま、ありがとうございます♪

名もない市井の人々のどこにでもある生活を小説にすれば純文学が生まれるような気がします。
芥川も、漱石も、太宰も、そのような人々の生活を描いていたように思います。
日本人の国民性なのでしょうか。ぼくもよくわかりませんけど、ぼく自身が日本人でることを思えば、なんとなく理解できます。
むずかしくないです^^ 七さんも臆することなく純文学を描いてみてくださいね♪

16/02/16 そらの珊瑚

たまさん、拝読しました。

わぁ、いいですね、このラスト。詩人でもあるたまさんらしいなあと感心しました。
最近読んだ村上春樹のエッセイの中に、たしか開高健のことが書かれてました。作家のスタイルはいろいろで、自らそれは模索していくものなのでしょうね。

16/02/18 泡沫恋歌

たま 様、拝読しました。

申し訳ないことに私は作家開高健を読んだことがありません。

釣りが好きなたまさんとはきっと通じあうところのある作家だったのでしょうね。
純文学とは程遠い作品しか書けない私には、純文学という言葉が眩しい過ぎます。

最後のセリフがとても印象的でした。

16/02/19 たま

珊瑚さま、ありがとうございます♪

デビュー作から一貫してスタイルをもっている作家って少ないかもしれませんね。村上春樹はその希少なひとりといえます。
ぼくはといえば、もうめちゃくちゃですよ^^
早く、スタイルを手に入れたいですけど、まだ間に合うかしら・・・(汗)

恋歌さま、ありがとうございます♪

あらま、恋歌さん、なにをおっしゃいますか、恋歌さんの作家としての資質はまちがいなく純文学です。
現代小説は、あらゆるジャンルを淘汰してゆきます。そのなかで、作家の資質だけは生き残ります。恋歌さんはきっと純文学を生むでしょう。
その日は近いです。たまが予言します^^

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