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月村千秋さん

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16/01/29 コンテスト(テーマ):第100回 時空モノガタリ文学賞 【 純文学 】 コメント:0件 月村千秋 閲覧数:796

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 中学二年の冬、ストーブに近い窓際の席で僕は小説を読んでいた。クラスメイトの男子は年中無休でサッカーをしている。わざわざ手袋してまでサッカーしなくても、と僕は思うのだけど、彼らにとって昼休みに身体を動かさないのは罪悪らしい。
「なに読んでんの? そんなことしてないで遊ぼうぜ」
 無邪気に肩を叩いてくる男子がいた。
 はじめの質問は必要なのかな、と首を傾げていると、男子の一人が僕の本を取り上げた。
「えっと、なになに、なんて読むのこれ、ちゃがわ? ちゃがわりゅうのすけ?」
「ばっか、これ、ちゃのかわって読むんだよ」
 男子はじゃれるように笑う。
「は? 俺だって最初から知ってたし!」
「どうだか?」
 僕は控えめがちにできるだけ彼らのプライドを傷つけないよう小声で言った。
「あのこれは、あくたがわって読むんだけど……」
 その発言は大いに不満だったようで、彼らは口をすぼめた。
「なんでもいいんだけど、人が足りないから来てよ」
 数合わせですか、そうですよね、と思う。けど、サッカーのルールが分からない。体育でもやるんだろうけど、体育はお腹が痛いと言えばさぼれるので、保健室で本を読んでいた。
「でも僕サッカーやったことないし」
「まあ立ってりゃいいから」
「じゃあ本読んだままでもいいかな?」
「どうする?」
「まあいいんじゃね?」
 そうしてゴールにもたれながら、芥川の地獄変を読んでいた。グレーのダウンジャンバーに、学校指定の紺色のマフラーをして、とても運動をする格好ではなかったが、それをとやかくいう人は居なかった。手袋をして本のページをめくるのはひどくじれったい。
 グラウンドを駆ける男子は長袖の体操着一枚で見ているこっちが寒くなった。
「それはおもしろいのか?」と同じく数あわせで呼ばれたであろうゴールキーパーの子に聞かれた。背の高いひょろっとした男の子で、肌が浅黒かった。さっきの男子とは違い、興味本位でなく、それはどこか真剣な問いかけだった。もしかしたら彼も本を読むのかもしれない。
「おもしろいよ!」と僕は答えた。けれど、その先が続かない。どうしておもしろいのだろう。続きを促そうとする彼の目線を察知して、早く言葉を紡がなければと焦る。うんうんとうなっても続く言葉は出てこなかった。そこで僕は降参した。
「よくわかんないけど、おもしろいんだよ」
 そうすると彼は言った。
「バカみたいだな」と。
 僕はとても心外だったのだけど、でもここだけ切り取ればそうとしかみえない。だから人と話すのは苦手なんだ、と思った。言葉にできないからおもしろいのに、人は簡単に答えを求めようとする。そうして考え事をしていたら、顔の前に白いボールが飛んできた。
「あぶない!」と男子が言ったときにはもう遅くて、鼻が不本意に曲り、頭の奥でドラが鳴ったような、身体全体がぐわぐわと揺れたように感じて、その場に転んだ。反射的に涙が出て、鼻血も出て、ついでに最近グラグラしていた乳歯まで抜けて、情けなさの極地だった。心の中で人を馬鹿にした天罰だろうかと、僕は痛みを堪えた。
「上向けよ、上」
 という野次を受けながら、僕は保健室に向った。ゴールキーパーの子が付き添ってくれて中に入るが、先生の姿が見えない。僕は勝手知ったるというように、冷蔵庫から氷を取り出し、ビニールの袋に詰めて、鼻を冷やした。やや下を向いて親指と人差し指で鼻の根元を摘む。
「なんだか手際がいいな」と彼は言った。
「この前読んだ本に正しい鼻血の止め方が書いてあったからね」
 きっと自分は今ものすごく物知りのように見えているのではないか、と思ったが、鼻を摘んだ格好では、出てくる声もぺしゃんこに潰れたカエルみたいで、全然スマートじゃなかった。
「これはどうする?」
 彼は後ろ手に持っていた僕の本を差し出した。彼が払ってくれたのか、本に汚れはなく、折れ目もついていなかった。ありがとう、と僕が言うと、彼は照れたようにそっぽを向いた。
 本を読みたいけどこの姿勢じゃ無理だな、と思っていた。すると彼はどこまで読んだのか尋ねてきた。僕は良秀という絵師が鎖で縛られた人間が見たいと弟子にモデルを頼む場面を話した。描きたいという純粋な感情を持て余す良秀と周囲の無理解を語り、おそらく彼はその理想のせいで悲惨な最期を迎えるのではないかという予想を付け加えた。
「楽しそうだな」
 そう彼に言われて僕は本の話をすることを初めて楽しいと感じた。どうしてだろう、分からない。この気持ちにどんな言葉を付ければいいだろう。胸の奥にある自分でも見たことのない感情を盗み見られたような気がした。とにかく早く続きが読みたい。
「俺も読みたくなったな」
 彼がそんなことを言う出すものだから、焦ってこう返した。
「ダメだよ。僕が先に読むんだから」と。


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