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宮下 倖さん

宮下 倖です。 楽しくたくさん書いていきたいです。

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将来の夢 誰かの心にひとつでも響く言葉が紡げたら幸せです。
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玻璃の中

16/01/27 コンテスト(テーマ):第100回 時空モノガタリ文学賞 【 純文学 】 コメント:7件 宮下 倖 閲覧数:1468

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 いつもの書店を出て、いつもの角を曲がったのに、ふと目を凝らすと見覚えのない路地が延びていた。月のない夜空はのっぺりと艶がなく、頼りない街灯の瞬きは奥の闇をいっそう濃くしている。おかしいなと訝しんだものの足を止めなかったのは、ほんの十数メートル先に白い提灯を下げた屋台がぼうっと浮かび上がっているのが見えたからだ。 

 おでん屋かラーメン屋か……。なんにせよ酒でも呑めるなら一杯引っかけて帰ろうかと歩を速めた。しかし近づいてみると、出汁もスープの匂いもしない。数歩手前で足を止め、首を伸ばして覗き込む。腰の高さほどの台の上に並べられているのは、片手で持てるくらいのガラス瓶だった。
 売り物の正体がわからず目を細めながら近寄ると、瓶の向こうから人影がのそりと身を起こした。

「いらっしゃい」

 低いけれど、ちょっと聞き逃せないような耳に残る声だった。少し猫背で、夜空を仕立てたような真っ黒な服を着ている。僕よりいくらか年上に見えるその男は、好きに見てっていいよと並んだ瓶を指さした。

「あの、これなんですか?」
「純文学」
「は?」
「純・文・学。うちの売りもんは純文学だよ」

 意識しなくても首が勝手に傾いだ。純文学を売っていると言うわりには、本はどこにも見当たらない。あるのは行儀よく並んだガラス瓶ばかり。中になにか入っているようだが、男の奇妙さと相まってじっと覗き込むことは躊躇われた。
 胡散臭いものを見るような顔になっていたのだろう。男は小さく舌打ちして「ほら」と瓶をひとつ持ち上げて見せた。

「これは、漱石の“吾輩は猫である”だ」

 眼鏡を直しながら顔を近づける。瓶の中には庭があった。低い垣根があり、小さな池があり、縁側がある。色褪せた座布団の上に猫が寝そべり、ときおり欠伸をしていた。

「……猫?」
「こっちは井伏の“山椒魚”、これが賢治の“銀河鉄道の夜” きれいだろう?」

 男は漱石の瓶を置き、両手で新たなふたつの瓶を掲げる。
 山椒魚の瓶の中には川が流れ岩屋があった。隙間から山椒魚と蛙の悲しげな顔が見えた。一方、賢治の瓶にはいっぱいに銀河が広がり、北十字や蠍の火の間を、列車がなめらかにすり抜けていく。

「なんなんですか、これ?」
「だから純文学だって言ってるだろう」
「本でもなんでもないじゃないですか!」
「どうせ、読まないだろ」

 男は鼻を鳴らして口の端を器用に片方だけ上げた。首を伸ばす山椒魚と銀河に蒸気を吐き出す列車に目を細め、ふたつの瓶をそっと元に戻す。目線だけ動かして僕を見た男は鷹揚に腕を組んだ。

「坪内 逍遥、幸田 露伴、森 鴎外、泉 鏡花……藤村荷風実篤武郎多喜二康成安吾に由紀夫。自発的にどれだけ読んだ? 教科書数ページ“読まされる”のがせいぜいだろう? いっそ潔く純文学なんぞ読まんと背中向けちまえばいいのに、それができねえ中途半端なやつは“見せる読書”を始めちまう」
「見せる読書?」
「娯楽書なんかは鞄に入れっ放しにするのに、純文学買うと手に持って歩きたがる。もちろん表紙が見えるようにしてな。漫画は本棚の奥にしまうのに、純文学は一番手前に並べておく。タイトルが見えやすいようにだ。それが見せる読書。純文学や話題書によく使われるな」

 僕はどきりとした。ついさっき買ったばかりの本が鞄の中にある。ラノベにはいつもカバーをかけてもらうのに、今日は断った。エコを意識したわけじゃない。意識したのは……。

「自分はこんな本を読みますよっていうアピールだよな」

 たいして読まないのに、読んでる自分を見せて飾っておきたいんだよと男は揶揄するように肩を揺らした。鞄の中の本を庇いたくて、いや、本を買った自分を庇いたくて反論しようとするが言葉は出てこない。
 男は「そこでだ」と手をひとつ叩いた。

「どうせ飾るなら、どうせ見せたがるならこっちにしないかって話だよ。半分も読まないままに本棚で背表紙を日に焼くくらいなら、これを飾るほうが絶対見甲斐があるだろう?」

 男が指さしたいくつものガラス瓶の中では、細い蜘蛛の糸に無数の人がしがみつき、羊飼いの青年がひた走り、茂みに隠れた虎がすすり泣く。
 僕はそれらに目を奪われながらも、無意識に鞄を胸に抱き込んで男に言った。

「純文学が好きで読む人もいるじゃないですか。恰好つけるために買うんじゃなくて」
「そうだな。でもそういうやつは、俺とは出会わない」

 言葉に詰まった。熱くなった顔を男に向けていると、彼は僕の鞄をじろりと睨めつけ、また口の端を器用に片方上げた。

「なあ、その大事そうに抱えてる本……こいつと取り替えていかないか?」

 そう言って男がひょいと持ち上げたガラス瓶の中、いくつもの光の粒が螺旋を描き、音もなく“火花”が爆ぜた。




―― 了 ――


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このストーリーに関するコメント

16/01/30 橘瞬華

拝読しました。
とても綺麗な描写ですね。瓶の中身の、本当に短い描写だけで作品の検討が付いて、読みやすく分かりやすく、かつテーマもぶれていない。ラストで主人公の買った本のタイトルが明かされる手腕が鮮やかでした。本当に素敵な作品だと思います。
"見せる読書"には耳が痛くなります。本棚の奥深く仕舞われたラノベ、手前にこれ見よがしに並べられた純文学。身に覚えが……。私の前に彼は現れるか分かりませんが、一本くらいは欲しいなぁと思ってしまいました。笑

16/01/30 ヤマザキ

拝読しました。大変面白かったです。
男の言葉一つ一つに主人公同様どきりとさせられました。
描写や言葉選びも丁寧で美しく作品の雰囲気によく合っていると思います。
完全に宮下さんのファンになりました。
今後も作品を投稿していただけるとうれしいです。

16/01/30 宮下 倖

橘瞬華さま、ヤマザキさま。
作品を読んでくださりありがとうございます。読んでいただけただけでも嬉しいのに、新参者へのあたたかいコメント、心に響きました。おふたりの言葉を励みにこれからもがんばります。

【橘瞬華さま】
描写をほめていただけて嬉しいです。ありがとうございます。読んで映像が浮かぶような文章が書けるようになりたいです。ラストがうまく嵌ったと感じてもらえたら嬉しいです。
“見せる読書”、私もついついやってしまいます。ほかの方も同じような経験があるかも……と思いながら書きました。彼に会えたら私も「ください!」と言ってしまうかもしれません。

【ヤマザキさま】
「面白い」と言っていただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます。男の言葉は、自分で書きながらぐさぐさ刺さっていました。“見せる読書”は私もついついやってしまいますので、「あるある」と共感してもらえたら嬉しいです。
ファンに……なんて、嬉しすぎて足元がふわふわします。とてもやる気が出ました。これからも楽しく書いて投稿していけたらと思っています。

16/02/09 睦月 希結

宮下様初めまして拝読させていただきました。ドールハウスや食品サンプルなど小さな精巧な世界が好きです。「見せる純文学」があれば爆買いするかも?引っ越し後、本棚に本が一冊だけ入らないと言って処分し再びの引っ越しの際に黒歴史共々大量の本(漫画?)を処分してまいりました。そろそろ本当に手元に残す残せる本だけを厳選する歳になりつつありますね。色んな意味で。
でもラストの本は私には面白かったですよ。姪から借りたんですけどね笑。これからも素敵なハッとさせられる世界観のお話を心待ちしております。

16/02/10 宮下 倖

【睦月 希結さま】
作品を読んでくださりありがとうございます。コメントまでいただけてとても嬉しいです。
「見せる純文学」 あったら私も買い漁るかもしれません。一生を共にする本の選別……難しいですね。でも、悩んでいるうちに生を終えるのも本好きには本望かもしれないな、なんて思いました。
私もラストの本は楽しんで読みました。おもしろかったです。
これからも自分の中の世界を楽しく綴っていきたいと思います。

16/02/16 そらの珊瑚

宮下 倖さん、拝読しました。
冒頭、「おいてけぼり」のようでもあり、ちょっとジブリチックでもあり
「純文学」というテーマでこういったストーリー展開があるとは
本当に楽しかったです。魅了されました。
純文学は高尚でそれを読んでいる人のなかみも高尚なんだというイメージに対する皮肉も効いていて。

最後は又吉さんの「火花」ですか? まだ読んでないのですが。

16/02/17 宮下 倖

【そらの珊瑚さま】
作品を読んでいただき、またコメントまでいただけてとても嬉しいです。
「いつもの」から逸脱するほんの少しのずれ……のようなざわざわした感覚が好きです。冒頭、そんな雰囲気に書けていたら嬉しいです。
「純文学」をテーマに、しかも初投稿だったので何か目新しい視点はないかと考えてこのような形になりました。「楽しかった」と言っていただけてとてもほっとしました。

はい。ラストは又吉さんの『火花』です。作品を視覚化させて瓶に入れるなら、「花火」を上げるのが作品に沿うと思うのですが、未読の方にも想起してもらえるようにと考えて「火花が爆ぜた」と表しました。

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