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南野モリコさん

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性別 女性
将来の夢 一生文章を書き続けること。
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自慢のお茶

16/01/18 コンテスト(テーマ):第101回 時空モノガタリ文学賞 【 お茶 】 コメント:3件 南野モリコ 閲覧数:1305

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美術部顧問である醍醐先生の奥さんはいつも和服で、黒髪をゆったりとまとめ上げていた。僕たちの前では「はい」か「どうぞ」しか口を開いたことがなく、先生も「おい」と「あれ」しか言わない。

高校3年生になり、醍醐先生の家を訪ねるのは美大志望の紺野隆と僕だけになったが、それまでは僕たち美術部員は、先生の描いた絵を見ようと自宅のアトリエを訪れていた。

玄関で僕らを迎えると、先生は奥に向かって「おい」と呼ぶ。すると、「はい」という声が聞こえ、アトリエまで和装の奥さんが丸盆でお茶を運んでくるのだ。


「京都に親戚がいてね。祖母の代から付き合いが続いているお茶問屋があって、そこから毎年、お茶を取り寄せているんだよ。うちのお茶は美味いんだよ」



リビングを改装して作ったアトリエ。僕たち高校生が遠慮もせず、先生の昔の絵を見ている時、先生は「おい」と空に向かって叫ぶ。何か小さな声がすると「あれだ」とまた大きな声で言う。すると奥さんがやってきて「はい」とだけ言って、お茶を出したり下げたりして出て行く。そんなことが1日に、3回か4回はあった。

僕たちが絵を一通り見終わると、先生が自分の趣味の話をするのが定番となっていた。
「金沢に行って探しあてた九谷焼だよ。美しいだろう」
お茶から器に話が発展すると他の皆は飽き始めるのだが、僕は先生の話を面白く聞いた。お茶や器の話はさっぱり分からなかったけど、その話をする時の先生は、教師ではなく1人の男になっていることに僕は気が付いたからだ。

先生と生徒の垣根を越え、男同士、人生の先輩と後輩として、僕は茶と器の話を聞いた。1杯の湯呑みに注がれたお茶。先生の自慢のお茶だ。


しかし、奥さんがアトリエに入ってくる数秒の間は、皆、若干の居心地の悪さを感じていた。つきあってくれた紺野隆も来ないようになり、先生の自宅まで行って絵を指導してもらうのは僕だけになった。


ある日、僕がデッサンを見てもらっている時、ドアがノックされた。
「あなた」
外から呼びかけられ、
「ああ、そうだった」
小さくドアが開き、奥さんが何かを手渡した。

絵の指導がひと段落して、お茶に口を付けると、
「いい器が手に入ったんだよ」
話したくて仕方がなかったのだろう。奥さんが運んで来た一揃いの茶器を得意げに見せた。
「明治時代の九谷焼だよ。この時代は、朱色と金を使っているのが特徴らしいんだが、一人の作家の作品がこれだけ揃っているのは本当に珍しいんだよ」

それは、僕にはさっぱり興味が沸かない、古臭い小皿と湯呑みが数点、揃ったものだった。扇や日本刀が描かれているのが明治時代ならでは、なのだろうか。縁が欠けていないとか、表面の傷がいいんだ、とか醍醐先生は熱い口調で話した。その湯呑みにお茶を注いでくれた。お茶が熱くて、手に持っていると薄い磁器が割れるような気がして怖かった。僕の気持ちを知ってか知らずか、先生は得意そうに言った。
「うちのお茶は美味いんだよ」


受験が迫っていた僕は、先生のお宅を訪問するのは、これを最後にしようと小さく決めた。

その後、僕は高校を卒業し、1年間の予備校生活を経て、希望の美大に合格した。現役で合格した紺野隆から、合格の報告をしに、醍醐先生の家に行かないかと誘われた。
久しぶりに屋敷の門に立ち、先生が出てくるのを待っている間、庭が手入れされていないことに気が付いた。

「まずは、おめでとうだな」
醍醐先生は急に年をとったように見えた。しかし、僕たちの顔を見ると懐かしそうに快活な口調で合格を喜んでくれた。

受験勉強から解放されたばかりの僕は、
「ようやく自由に絵を描けると思うと嬉しくて」と清々しい思いで言った。
「そうか、自由か」
先生は笑った。
「自由になったとは、けっこうなことだな。しかし、自由はまた、不自由でもある」

2時間くらい滞在した後、僕たちはお暇しようということになった。
帰る途中、紺野が思い出したように言った。
「今日はお茶、出なかったな」。
当然だよ、と僕は答えた。自慢の妻が亡くなったのだから。


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このストーリーに関するコメント

16/01/19 クナリ

思いの深さ、人と物の関係というもの、無機物を通じた人の心のやり取り、
静かながら奥深い作品でした。

16/01/19 南野モリコ

クナリさん、コメントをありがとうございます。
クナリさんからそのように言って頂けて、とても嬉しいです。

16/02/16 そらの珊瑚

ミナミノモリコさん、拝読しました。

「あ、うん」の呼吸で暮らしているような夫婦にとってどちらかが欠けてしまったあとの喪失感は大きいものがあるのでしょう。
自由はまた不自由でもあると言った先生の胸中がしのばれます。
タイトルの「自慢のお茶」はきっと「自慢の妻」でもあったのかなと思いました。

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