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Fujikiさん

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赤い魚のあざ

16/01/10 コンテスト(テーマ):第九十九回 時空モノガタリ文学賞 【 失恋 】 コメント:6件 Fujiki 閲覧数:1803

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 初めてアンディの裸を見た時、彼の胸には赤いあざがあった。一週間くらい前に上官から銃床で殴られたのだという。海兵隊が訓練所上がりの新兵を迎え入れる目的で行う、手荒い通過儀礼である。
 あざは左肩から胸にかけて広がっていて、彼が腕を動かすたびに筋肉のついた厚い胸板の上でピクピクと動いた。釣り上げられた赤い魚が灼けたコンクリートの上で跳ね回っているようだと美沙は思った。
「新入りを一列に並べて手加減なしで殴るんだ。呼吸が止まりそうになるほど痛いし、鎖骨が折れるのも珍しくないけど、歯を食いしばってこらえなきゃいけない。俺の場合は出血までして、翌朝タンクトップの胸のあたりにピンクの染みができてたよ」と彼が説明するのを美沙は赤いあざを舌で愛撫しながら聞いた。乳首をなめると彼は緊張で硬くなり、言葉にならない唸り声を漏らした。ひょっとすると童貞なのかもしれない――彼の顔は頬骨が突き出て髭の剃り跡が濃く、一見大人びた印象を与える。それでも瞼を閉じた時に見せる無防備な表情や笑顔の柔らかさから、まだ十代だろうと美沙は見当をつけた。
 どれだけ長く続いても一年以上の付き合いはないということは最初から分かっていた。一年間の任期が終われば、新任の海兵隊員は他の国にある駐屯基地へと異動になる。クラブで地元の女を漁る兵士たちが求めているのは性欲の処理と異郷の心細さを紛らわせてくれる存在。島で結婚する者も中にはいるけれど、たいていは本国に帰ったら幼なじみと結婚して郊外に家を買い、ときどき家族連れでショッピング・モールの中のレストランで外食するような生活を送りたいと思っている。親も息子が外国で虫をつけて帰ってくるのは望んでいない。
 だから大学の友だちと踊りに来てアンディに声をかけられた時、美沙は「あまり多くを期待しちゃいけない」と自分自身に言い聞かせた。耳を潰すような大音量で音楽が鳴り響いているのと英語がよく聞き取れないせいで会話はほとんど成立しなかったが、大きな図体に似合わない彼の幼い笑顔を見るとどこか安心できた。たとえ相手が求めているのが一夜限りの関係であっても構わない。そう思って美沙は場の流れとテキーラに身を任せたのだ。
 赤い魚は日が経つにつれて少しずつ薄くなっていったが、演習中にできる小さいあざや切り傷は絶えなかった。一、二ヶ月のうちに手足の筋肉がはちきれんばかりに膨れ上がり、出会ったばかりの頃よりもさらに鋭い顔つきになり、少し無口になった。それでもアンディは演習の厳しさについて決して弱音を吐かず、美沙に対して常に紳士的だった。軍での生活について自分から話すよりも、美沙の毎日の些細な出来事の話を聞いているほうが好きなようだった。美沙は他人の悪口やネガティヴな話題を避け、なるべく明るい話をするように気をつけた。
 彼のイラク行きが臨時で決定したのは、ちょうど梅雨の明けた頃だった。島に来て八ヶ月目のことである。
「戦闘に参加するといっても、今までに派遣された隊の連中も全員戻ってきているから大丈夫。ちょっとした出張みたいなものだって。任務が終わればすぐに帰ってこられるよ」と、彼はベッドの中で美沙をそっと抱き寄せて言った。二本の太い腕に包まれた美沙は彼の胸に頬を当てた。彼の体温を肌に感じながら若く健康な心臓が刻み続ける鼓動を聞いていると落ち着いた気分になれた。
「でも危険がまったくないってわけじゃないんでしょ。怖くないの?」と、美沙は訊いた。
「――怖くないって言ったら嘘になる。誰だって死ぬのは怖いよ」美沙を抱きしめる腕が少しだけきつくなった。彼女も彼の腰に回した両腕を強く自分の胸元に引き寄せた。
「大丈夫。私があなたをずっと離さないから」と、彼女はか細い声で言った。
 瞼を閉じた美沙が目にしたのは、陸に上げられた一尾のグルクンだった。皮膚を傷つけ、血に染まったうろこをまき散らしながら、水を失った魚は目の前でみるみる深い青から赤へと変色していく。釣り針の貫通した薄い唇が酸素を求めてパクパクと動いていた。今は一緒に暮らしていない父親がしゃがみ込んで針を外したとたん、グルクンは突然激しく暴れ出し、ごつごつした手をすり抜けて埠頭から海へと落ちていった。美沙が海面をのぞき込むと、方向感覚を見失ったかのように透明な水の中でふらふらと回転しながら泳いでいた。
 目を覚ますと、アンディはまだ美沙の右隣でシーツをかぶって寝息を立てていた。ことが終わり、深い眠りに落ちた彼の寝顔は子どもみたいだと美沙は思った。彼女はシーツの中で静かに手を伸ばし、彼の左肩から胸にかけてゆっくりとさすった。ちょうど魚の形をした赤いあざがあった部分である。魚になった彼が手から滑り落ちていく場面が頭に浮かんだ。失恋には慣れているつもりだったが、美沙は勝手にあふれる涙を止めることはできなかった。


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このストーリーに関するコメント

16/01/10 かもめ

基地のある街の物語ですね。
初めから別れある女性の心理とはこういったものなのでしょうか。このままでは彼は帰らぬ人になってしまう気がさせられ、切ない気がしました。
いやそうではないのかな? 傷つきながらも、釣られた魚は抵抗し、逃げ出していたのですからねえ。面白く、良い比喩だなと思います。
どちらかというと、キリスト教の影響が強いアメリカ人は基地のある街の女のことはどう捕らえているのでしょうか。気になります。

16/01/11 Fujiki

読んでくださりありがとうございます。「失恋」というテーマがちょっと漠然としていたので、具体的で目に見えるイメージに見立てなければいけないと思いました。手から逃げる魚という比喩は、失恋の喪失感を視覚的に描くために用いました。人が慣れない環境にやって来て戸惑う状態を言い表す「a fish out of water(水から出た魚)」という英語の慣用句にもかけています。

16/01/12 クナリ

彼が帰って来ない…というところまで書かれるのかな、と思いましたが、そこまで書かれないことで、読み手に複雑な感情を与えますね。
それに加えてビジュアル的に印象深いタイトルといい、良作ですね。

16/01/12 Fujiki

何らかの形で読み手の心に引っかかる話を目指しているので、複雑な気分にさせることができたとすればとても嬉しく思います。2000字の中に何を詳しく書き込んで何をばっさり省略するか、いつも悩んでばかりです。

16/01/25 光石七

拝読しました。
物語の舞台・背景までしっかり設定されており、人物がよりリアルに立体的に感じられます。
色彩的にもインパクトがあり、情景がより具体的にはっきりと浮かびます。
ラストの主人公の涙と思いがぐっと迫ってきて、胸が締め付けられるようでした。
綿密な設定と構成、洗練された文章、過不足のない心理描写。感嘆し切りでした。
秀作だと思います。

16/01/25 Fujiki

光石さん、そんなに褒めていただけると、私は嬉しさのあまり木にも登れてしまいそうです。今回の話は調べ物作業に特に時間がかかったので、手間暇が報われた気がします。

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