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W・アーム・スープレックスさん

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純文学的な、余りに、エンターティメント的な

16/01/08 コンテスト(テーマ):第100回 時空モノガタリ文学賞 【 純文学 】 コメント:4件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1603

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直木龍之介は考えこんだ。
自分の書く小説ははたして純文学なのか。それとも大衆文学なのか。いったいこの線引きはどこでつけるのだろう。
自分ではいっぱし純文学を書いているつもりなのだが、よくよく考えてみるとそのちがいが判然としなかった。まるで上半身が大衆小説作家で下半身が純文学作家であるかのようななんとも中途半端な心境だった。人からきかれたときは一応、『もの書き』ですと無難に答える自分だったが、いつまでもこんな宙ぶらりんの状態を続けているのももどかしいかぎりだった。
ウィキペディアでみると、純文学とエンターティメントのちがいは芸術性のあるなしによるというふうなことが書いてある。ところでこの芸術性というものが自分にはもひとつわかっていなかった。面白おかしいのが大衆小説ということぐらいはわかるが、純文学の中にだって面白おかしいものはいくらでもあるだろう。直木龍之介はそこで、過去の純文学作家といわれる作品とそうでない作家による作品を何冊か読みくらべるとともに、ウェブでやはりその手の作家たちのことを調べてみた。
ひとつわかったことは、純文学作家と称される者たちの生活と、アンチ純文学の連中のそれとが明らかに異なるということだった。第一に、純文学作家は生活ぶりが悲惨で、生きることに苦悩したあげく、なかには行き詰まって自殺するものまでいた。大衆小説家のなかには、まあ例外はあっても、およそそういう手合いはみつからないということだった。
エンターティメントの書き手はテレビにもよく顔をだし、クイズ番組の常連にもなったりして、そのままタレントに商売替えしてまう者たちもすくなくないようだ。人気もあれば花もあって、経済的にもおそらくめぐまれているのにちがいない。
とはいえ最近は、純文学の賞をもらった作家たちでもテレビに顔をだしたりしているし、暮らしも決して惨めだとは思えない。
いい加減頭が混乱してきた直木龍之介は、同じ物書き仲間の芥川三十五の住いを訪ねてみることにした。
「やあ、ひさしぶりじゃないか。書くものに困ったのかな」
芥川の言葉にはちょっぴり皮肉がこめられていた。たしかにこれまで、創作に行き詰まるとよく彼の所を訪問しては、いま彼が何を書いているかをそれとなく探ったりしていた直木だったのだ。
「きみは、自分が書いているものは、純文学とおもっているのか、それともアンチ純文学かどちらだね」
とおされた書斎のソファに腰かけてから、直木はたずねた。
「そんなこといままで一度も考えたことない」
「文壇ではきみは、純文学作家でとおっている。ぼくも同感だ」
「その根拠はなんだ」
「はっきりとはわからないんだが、第一に君は貧しい暮らしをしているし、いつか自殺しそうな雰囲気を漂わせているから」
それをきくと芥川三十五は、痩せた顔をほころばせた。
「いかにもきみらしい見解だね。ま、一杯、どうだ」
と芥川は、背後の書棚にかけられたカーテンをひいた。酒好きの彼がいつでもおもいたったら飲めるようにと、そこには洋酒の壜とグラスが並べてあった。
芥川がついでくれる洋酒をグラスで受けて直木は、ぐいと一息にそれを空けた。
「いい酒だ」
書棚の中に酒といっしょにのぞいた数冊の書物を直木は見逃さなかった。彼はその本の背表紙に視線を走らせ、なかばおどろいたように目をまるめた。
「へえ、きみでもそんな本を読むのか」
それはどこからみても大衆文学一色といっても過言ではない書物ばかりで、およそ芥川三十五の書棚に並ぶ代物とはおもえなかった。
「まあね」
芥川はそれ以上なにもいうことなく、ただ小さく笑った。
それをみた直木は、ああ、それでわざわざカーテンで隠していたのかと、いまになって合点した。純文学作家の代表とまでいわれている芥川三十五にしてみれば、これらの本はあまり人の目には触れてほしくないものだろう。
「案ずるなかれ。みなかったことにするよ」
わかったような顔でいいながら直木が、もう一杯酒をのみほしてから帰っていくのを見送ると芥川三十五は、まだ開けたままの書棚にしばらく目をむけていた。その口から、背表紙に記された著者の名が出た。
「申木寅也」
じつはそれこそ、彼のもう一つの筆名にほかならなかったが、そのことは世間には伏せていた。
純文学を書くかたわらエンターテイメントも手がけているかというと、そうではなく、彼自身は名前のほかはなにひとつ変えることなくまったくおなじ調子で書いていた。が、純文学が専門と大衆文学専門の出版社に作品をわけて出すだけで、なぜかそうなってしまい、世間もまた『芥川三十五』のときは純文学作品に、『申木寅也』は大衆小説として扱うというわけだった。
「それはそれで、べつにかまいはしないさ」
芥川はグラスにのこっていた酒をのみほすと、どこか虚無的な笑みをうかべた。


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このストーリーに関するコメント

16/01/09 クナリ

自分はふたつのジャンルの違い、ぜんーーーーぜん分かっていませんねー…。
言ったもの勝ちになってしまうのかなあなどと思っています。
売る側の理屈によったり、宣伝の際の都合によったりもするのでしょうし。
芥川神が後期におっしゃっていた(というかタイトルの元になった談義ででしたか)「筋の無い小説」というのはおそらく純文学なのでしょうけども、でもそれをエンタテインメント性でジャンル分けできるのかな…とか。
書き手にすれば、わずらわしいのかもしれませんね(^^;)。

16/01/09 W・アーム・スープレックス

確かオスカー・ワイルドだったと思うのですが、小説は、よく書けているかそうでないかのどちらかだというようなことを言っていますが、純文学でもなんでもとどのつまりは、それにつきるのではないでしょうか。芥川龍之介だって、確か「鬼婆」でしたか、ストーリー重視の作品も書いていますし、何を書こうと、それがよくかけているかそうでないかの問題だと私は思います。

16/02/04 光石七

拝読しました。
今回のテーマだったので一応純文学について調べたものの、やっぱりよくわからないというのが正直なところです。純文学と大衆文学の線引きも然り。
書き手は「こういう話を書きたい」「こういうことを伝えたい」と思うから書くわけで、ジャンル分けはさほど重要ではないのかも、なんて思ったり。
なるほど、出版社の都合というのもあるかもしれませんね。
ラストの芥川三十五の表情がすべてを物語っているような……
興味深く読ませていただきました。

16/02/05 W・アーム・スープレックス

光石さん同様私もですが、やはり純文学とそうでないものとは画然としないようですね。どちらに属するかは読んだ人におまかせでいいのではないでしょうか。そんなこと考えている時間があったら、一字でも多く創作に打ち込みたいという人たちがおそらく大半だと思います。しかし今回あらためてこのジャンルに目をむける機会をあたえてくれた今回のテーマには、拍手を贈りたいです。

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