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Fujikiさん

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ポテトヘッドの死

16/01/06 コンテスト(テーマ):第100回 時空モノガタリ文学賞 【 純文学 】 コメント:0件 Fujiki 閲覧数:1336

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 ここ二、三年ばかり、何をするにもやる気が起こらない。
 頼まれていた原稿は締め切りに間に合わず、返信が必要なメールも返すあてのない債務のように溜まっている。先日は卒業した教え子と会う予定だったのに風邪だと嘘をついてキャンセルしてしまった。以前ゼミで卒論指導を担当したその学生は現在アメリカの大学でスタインベックについての博士論文を書いている。彼が島に帰ってくるのは十年ぶりだった。
 大事な約束を反故にしてしまう度に、自分はなんてダメな人間だろうと思えてくる。教壇に立ってものを教える資格などあるはずもない。最近は講義準備にも身が入らず、昔書いた講義ノートをつっかえつっかえ読み上げるのが精いっぱい。新しい論文のアイデアを出そうにもすぐに気が散ってしまい、朝ベッドから体を起こすのさえ辛い。もはや学部から重要な仕事を任されることは一切なく、ゼミ生たちは口ひげをたくわえた容貌にかこつけて私を「ミスター・ポテトヘッド」と陰で呼び、馬鹿にしている。
 こんな無能な人間などいなくなったほうが世の中のためだ。死は危険な誘惑のように心を虜にし、存在のひそやかな抹消が私の唯一の生きる希望になった。さっそく病気療養の名目で長期休暇を取り、身辺の整理を始めた。家具はリサイクル店に引き取ってもらい、蔵書は束にして古本屋に持っていく。着古した洋服のたぐいはゴミに出す。さいわい家族はいないので、後には何も残さずに済むだろう。
 洋書の棚を整理していると、背の焼けたペーパーバックの小説が出てきた。初めて最後まで読み通した英語の本。高校生の頃、仲本という若い英語教師に夏休みの間に読んでみろと勧められてもらったものである。米兵が読み捨てた古本をただ同然で手に入れてきたのだろう。当時から表紙は擦れてくたびれていた。パラパラとめくると仲本先生がひっきりなしに吸っていたタバコの臭いがした。
「今より若く繊弱だった頃、父からある忠告をもらった。以来、その言葉をずっと頭の中で反芻している……」高校生の私は頭の中で英語をぎこちない日本語に直しながらその小説を読んでいった。ページの下には仲本先生が読んだ時の書き込みがある。辞書で引いた単語を書き留めてあるのだが、冒頭はみっちり鉛筆の字で埋まっているのに途中からは二、三ページに一語程度しか見られない。話に引き込まれるにつれて辞書を引くために手を止めるのが鬱陶しくなったのかもしれない。分からない単語は適当に見当をつけて、とにかく前に読み進めていったのだろう。
 ページを繰るうちに、先生の後を追って山道を歩いている気分になった。緑の匂いを胸に吸い込み、見慣れない花に足を止める。深く生い茂る木々の中に迷い込みそうになった時には先生の足跡が手がかりになった。夏の夜に辞書と灰皿を脇に置いて本に没頭する先生の姿が目に浮かんだ。たぶん外国文学専攻の大学生か、あるいは高校生だったのかもしれない。心は外国を舞台にした未知の世界に運ばれており、彼を邪魔するものは何もない。純文学を愛する文学青年とは彼のような人を指すのだろうかと私は考えたものである。
 ようやく山の頂上に登りつめた時の気分は、数十年経った今でも忘れていない。夜明け前、気だるい疲労を全身に感じながら最後のページにたどり着いた瞬間、先生の後ろ姿が私の目に映った。若き彼の青臭い情熱を紙に触れる指先から感じ取り、彼と同じ風景を眺めていたのだ。その後も多くの小説を読み続け、彼と同じ教職に収まったのは何の因果だろうか――
 私の葬儀は事前に手配したとおりに近所の寺で行われた。病気療養中の死という形で新聞に小さな記事が載った。弔問客の中には記事を読んだ学生や卒業生の顔が多くあり、どうしても処分できなかった本を箱に入れて出しておいたら意外にも一冊残らず持って行ってもらえた。仲本先生のペーパーバックを持ち帰ったのは、クラス全員で参列してくれたゼミの学生の一人である。
「それ、フィッツジェラルド?」彼が手に取った本を見て、他のゼミ生が言った。
「そう。ポテトヘッドが一番好きって言っていた本」
「先生のお気に入りは授業で取り上げたヘミングウェイだと思ってた」
「違うよ、マーク・トウェインでしょ? アメリカの小説は『ハックルベリー・フィン』から始まるみたいなこと言ってたし」と、また別の学生が口を挟む。
「ポテトヘッドって、いつも何かしら本を紹介してたよな。あれ読め、これ読めって」
「翻訳なんかに頼るな! とにかく原書を読破しろ!」
「そうそう。そんなこと、よく言ってた。解説書なんか無視していいから作品をしっかり読めって」
「講義は適当にお茶を濁して、後はひたすら『読め! 読め!』のスパルタ式一辺倒」
 当たり前じゃないか。文学の授業で教師が学生にできることは、良い本をたくさん読めと言うことぐらいのものだ。


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