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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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尻軽女

15/12/30 コンテスト(テーマ):第七十一回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1142

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手ひどい失恋を味わって以来自暴自棄に陥った私が、心機一転をはかって一人旅にでたときのことだった。
あてもなく訪れたその土地は、大気は香しく、空もあくまで澄みきって、私の落ち込みがちな気持ちをずいぶん快適にしてくれた。なんでもこの地方だけに育つ酵素や善玉のウィルスが畑の作物や飲み水に好影響をもたらしているとかいう話を、ふらりと立ち寄ったパブ風バーでカウンターの隣にいあわせた男性からきかされた。
「あなたもここに一週間も住めば、心身ともに健康になってきますよ」
「それは願ってもないことです」
私の切実な口調に彼は感じるものがあったらしく、地ビールのジョッキをグイと傾けてから、
「どうしたのですか。憂さ晴らしに、よかったら心の中のものをうちあけてみてはいかがです」
私もそのころにはいささか酔ってもいたので、失恋でこうむった痛手を彼に語ってきかせた。恋愛なんだから、男女どちらかがふったりふられたりするのはよくあることで、誰がいいとかわるいとかの問題でないのはわかっている私だったが、さすがにふられた腹いせについ、「あの尻軽女が」と、憎々し気に吐き捨ててしまった。
すると、二杯目の地ビールに口をつけていた隣の彼が、ジョッキを離して、白い泡を髭のように唇にこびりつかせながら、あろうことかこんなことをいった。
「慎ましい女性だったのですね」
古色蒼然とした作りのパブ内ではみな、黙々とグラスを傾けるものばかりで、ときおり靴音やグラスの底がカウンターに当る鈍い音がする程度で、彼にききまちがえをさせるようなどんな騒音もたってはいなかった。
「私はいま、尻軽女といったのですが」
必要もないのに私はむきになっていい返していた。
「だから、慎み深いのでしょう」
「なんで尻軽女が慎み深いのですか」
となりの彼は、唐突に、
「時間はありますか」
「ええ、宿屋に門限はありませんから」
「それなら、これから私についてきてください」
「どこへ」
「実例をおみせします」
彼が旅の人間を鴨にするような非道な輩とは思えなかった。むしろ、なぜ尻軽女が慎み深いかを理解できずにいる私を、このまま帰してしまうには忍びないといったおもいやりにも似た気持ちが、その真摯な態度の上にうかがえた。
「ぜひ、みたいものですね」
私と彼が肩をならべて暗い夜道を歩きだしたのは、それから30分後のことだった。地ビールの心地よい後味に気持ちも浮かれた二人の頭上には、きらめく満天の星が流れていた。
なだらかに蛇行する細い石畳の道をしばらく歩いたところで、彼は足をとめた。壁に一匹のコウモリが張りついたその建物は、どうやらレストランらしく、前にまわるとはたして穏やかな照明のこぼれるガラス扉があらわれた。
「開店まぢかのようです。どうですかあなた、かるく食事でも」
「かまいませんが………」
すると彼は心得顔で、とにかく待ちましょうといって、二人いっしょに店内に入り込んだ。
大きなテーブルをとりまく何脚もの椅子にはまだ注文した料理を待つ数人の客が座っているばかりだった。彼と私もテーブルの片隅にすわり、ワインとこの店の名物のイカスミのカルボナーレをオーダーした。その料理が出てきて、私たちが食べだすころには、ぽつりぽつりと来店した客たちでテーブルは次第に埋められていった。男女半々ぐらい、年代もまちまちで、子供の姿はなかった。
ワインのビンがそろそろ空になるころのことだった。
「―――ほら、あれを」
ふいに彼が私たちと対角線上に座る女性客の方を顎でしゃくった。私がみると、その四十がらみの小ぎれいな身なりの女性が、たちあがろうとしていた。いや、そうみえたのは錯覚で、その婦人はいきなり腰が浮きあがったと思うと、そのまま空中に上半身を下にしてぷかりと浮かびあがったのだった。
するとまた別の席から、こんどは若い女性がやはり腰を上にした姿勢で白いモルタルで塗り込められた天井間際まで浮かびあがった。
「こ、これは」
空中に浮かぶ二人の女性をあぜんとして見守る私に、彼がいった。
「あの、両手でしっかりスカートの裾をおさえつけているお二人をごらんなさい。なんとも慎み深いではありませんか」
彼はそして、女性たちの浮遊する理由を簡潔に語ってくれた。生まれたときからこの土地の水を飲んで育った女性たちの腸内には特別な酵素をうみだす善玉菌がすみつき、おなじくこの地で採れた作物を食べるとそれを分解するさい、特殊なガスを大量に発生し、ちょうど水素をつめた風船が浮かぶように、体が宙に浮かびあがるのだという。男性にはそれがないところから、どうやら女性ホルモンが影響しているのではとの有識者の見解だった。
そんなばかなと反論した私だが、いま目でみているものをばかの一言で打ち消すわけにはいかなかった。事実彼女たちは、腹にたまった特赦なガスで、人々の頭の上に浮かんでいるのだ。
「尻を上にして浮かんでいるから尻軽女というわけですか。そしてスカートをおさえているから慎み深いと、しかしそれはちょっと、こじつけのきらいがありますね」
客のなかにはズボンをはいた女性もいることを私は暗にほのめかした。
「私のいう慎み深いの真の意味は、それではありません」
「というと」
そのとき突然、テーブルのどこかから大きな放屁の音がきこえた。もちろん誰も、その音を発した本人を探すような無粋なことをするものはいなかった。しかし人一倍耳のいい私は、その張本人が私の正面に座る美貌の婦人だということを見抜いていた。
すかさず横から彼が、
「ほら。浮かびたくないものは、いまのように体内のガスを放出して防ぐのです」
「どうしてトイレにいかないのですか」
「いったん浮いてしまうと、空中を移動するのは至難の技なんですよ」
彼の言葉がおわらないうちにも、またあらたに一人の女性がうかびあがった。その女性は浮遊の途中で放屁したので、たまらず頭から落下したのを、とっさに男たちがいっせいに腕をのばして受け止めて彼女を最悪の結果から免れさせることができた。
「この町ではいつも、いまあなたがみたような光景が、あちこちでおこっています」
それを聞きながら私は、この町の男女がよそにはないぐらい仲がいいのをどうしてだろうと不思議に思っていたのだが、いまようやくその答えらしいものを見出したような気がした。
「ここは、いい町ですね」
そういうほか私には言葉がみつからなかった。



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