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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
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失恋保険

15/12/25 コンテスト(テーマ):第九十九回 時空モノガタリ文学賞 【 失恋 】 コメント:10件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1628

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カフェのテーブルの向うから、彼女が決意したようにいった。
「別れてほしいの」
風太は、彼女が本気なのをみてとると黙ってうなずき、鞄からとりだした書類を差し出した。
「すまないけど、ここにきみの名前と印鑑を押してもらえないだろうか」
「なんなの、これ」
「失恋保険なんだ。失恋すると保険金がおりるようになっている」
彼女は書類に目をとおしてから、彼の言葉に嘘がないのを確認すると、素直に署名と捺印をした。
「ちなみに、いくらぐらいおりるのかしら」
「今回なら、そうだな、一万円といったところかな」
「ランクがあるの」
「そりゃあるさ。ショックのあまり茫然自失に陥り、歩いて帰ることもままならなくなったときはロードサービスもつくし、万が一絶望のあまり自殺したら遺族に百万円がおりるようになっている」
風太はアパートに帰ってくると、彼女に署名してもらった書類を、同じような書類が入ったケースに収めた。月末に保険会社に渡すつもりだった。
まとめて支払われる金額は結構なもので、彼の生活はそれでまかなえるほどだった。たいして好きでもない女と交際しては、わざと捨てられる方向に自分をもっていくという小賢しいテクニックを弄して失恋したそれが代償だった。
とはいえ、いつまでもこんな詐欺まがいのようなことをしていていいのだろうかと、風太は最近自戒の念にかられることがあった。本当に心から愛せる女性と巡り合うことさえできたら、こんなぬかるみのような生活からはぬけだせるのだが………。
そんな風太が、ネットでしりあった牧園弘美という女性と初めて会ったのは、それから一週間後のことだった。これまでもやはりネットを通じてしりあった女性が大半で、今回の相手もその一人ぐらいの気持ちで彼は、落合い場所のカフェに出向いた。
「牧園です」
店の片隅に座る彼女をひとめみたとたん、風太はたちまち恋にとらわれた。
牧園弘美の方も彼のことを気にいった模様で、第一印象でこの人だと思いましたと後で正直に気持ちをうちあけてくれた。
2人はそれから時のたつのも忘れて話しあった。はやくも結婚の言葉が互いの口に上るようになった。
それからというもの風太は、もうこれまでのような保険金で生活するようなことはやめて、車の部品工場に勤めて額に汗して働くようになった。彼女のためなら、どんな辛い仕事でもやりこなす覚悟でいた。
毎日のようにメールを交換し、また電話で連絡をとりあい、休みの日ごとにデートをした。
離れていると、気になってどうしょうもなくなり、たとえ真夜中でも彼女のところにかけつけていきたい衝動と彼が闘っているとき、夜中に玄関をノックする者があり、出るとはたして彼女だった。
彼女はそれからも、会いたいと思うや否や、それがいつであろうが会いにやってきて、隣近所のことなどおかまいなしに風太をもとめた。さすがに風太もそれには閉口して、休みの日か、せめて宵のうちにあうようにと促してみても彼女は、一向に耳を貸す様子をみせなかった。
だんだんと彼の中に、彼女を疎ましく思う気持ちが募りはじめた。そのうち彼女の電話に応じなくなり、メールも3回きて1度の割合で返事するのがやがて6回に1度、ついにはまったく返信しなくなった。さらに、深夜に訪ねてくる彼女に対して、ドアをあけなくなった。何日もの間、はげしいノックの音が静かな辺りの空気を震わしつづけた。
風太は、もう限界だと思った。これ以上牧園弘美のファナティックな行動には、とてもついていけそうになかった。最初にあれほど魅了された彼女のすべてが、いまでは不快で、おぞましいものにさえ感じられだした。もはや恋の持続は不可能だった。
そのことを告げると、彼女は泣き崩れた。最初に顔を合わせたカフェの隅の席でのことだった。
周囲の客たちに気がねもせずに泣き続ける彼女のふるまいが風太には鼻持ちならなかった。彼女も彼の冷えきった胸のうちをみぬいたのか、ひとしきり泣きつづけると、ハンカチで涙をぬぐっていった。
「ほんとうに、これまでなのね」
風太は厳しい顔でうなずいた。もう彼女に対して、なにもいうつもりはなかった。しかし相手にはあるようだった。
「これ、よろしく」
目の前にさしだされた書類は、まぎれもなく失恋保険の証書だった。新規のものらしく、署名と捺印以外に、失恋の度合いを1から10の数字のどれかにチェックするようになっている。
「あなたにまだ、ひとかけらの愛情が残っているなら、10にチェックをいれてほしいの。もうそれも残っていないというなら、私、これからもしつこくつきまとうけど」
風太が数字の10を丸でかこむと、涙で濡れた彼女の顔に笑みがうかびあがった。少なくない保険金の額が、その頭の中にはじきだされたことはまちがいなさそうだった。










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このストーリーに関するコメント

15/12/26 クナリ

読み進めていくうちに、嫌な予感がしていましたがッ…!
面白い発想から話のまとまりまで、仕上がりのいい掌編ですね。

15/12/26 W・アーム・スープレックス

こんな保険が本当にあったら、私も今じぶんもっといい暮らしができていたかもしれません。ほろ苦い後味とか、詩ができるとかいいますが、そんなもんじゃないですよね、失恋は。

16/01/09 石蕗亮

拝読しました。
保険というのも面白かったですが、ロードサービスなど内容の設定もリアルで良かったです。
片想いなら自損とか、2次元なら対物とかありそうですよね。
想像が膨らむ面白さでした。

16/01/09 W・アーム・スープレックス

石蕗亮さん、コメントありがとうございました。
テーマの『失恋』をみたとき、保険が思い浮かび、後はご覧のとおりの流れになりました。なるほど、片思いというのがありました。その分も保険対象になると、保険会社の査定は相当厳しいものになるでしょうね。

16/01/23 光石七

拝読しました。
失恋保険、私もアイデアとして言葉は浮かんだのですが、具体的に詰めることができずに断念しました。
お金のために失恋……うーん、なんとも世知辛いですね。
面白かったです。

16/01/23 W・アーム・スープレックス

現実に失恋保険があったら、いまの恋愛形態もかわってくるかもしれませんね。失恋の痛手が現金に変わるなら、みんな安心してもっと盛んに恋愛して、人口減少化に歯止めをかけ………るわけないかな。

16/01/30 つつい つつ

失恋保険! 発想がすごくおもしろかったです。
しかし、上には上がいる。怖い保険です(笑)

16/01/31 W・アーム・スープレックス

つつい つつさん、コメントありがとうございました。
失業保険があったら失恋保険もあってもいいのではという、じつに安易な発想からこの作品はできました。とはいえ、本当に失恋で傷ついた人を慰めるためなら、こんな保険もあってもいいかなと失恋経験豊富な私は後になって思いました。

16/02/05 海人

読ませていただきました。
失恋保険、ぜひ欲しいものです。切実に。

16/02/07 W・アーム・スープレックス

海人さん、コメントありがとうございました。

私も、こんな保険、誰かが企業して作ってくれないかなと願っている一人です。

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