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土井 留さん

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愚者の経験

15/12/05 コンテスト(テーマ):第九十七回 時空モノガタリ文学賞 【 他山の石 】 コメント:2件 土井 留 閲覧数:1283

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 第一次世界大戦ほど、学ばれなかった、あるいは誤った教訓が得られた戦争はまれであろう。この戦争は、想像を絶する数の死傷者を出して当事者たちを呆然とさせたが、20年後に、全く同じ当事者たちが第二次世界大戦をやって、人間の愚かしさをさらけ出した。

 「一度決定されたことは、変更してはなりません。」
 1914年8月1日、攻撃目標をフランスからロシアに変更せよ、という皇帝ヴィルヘルム二世の言葉に、モルトケは初め呆然とし、しばらくして、決然として反論した。

 「帝国軍がフランスを攻撃しなければ、イギリスもフランスも中立を守るのだぞ。」55歳の皇帝の眉間に深い縦皺が寄った。

 皇帝を睨み返したモルトケの眼は充血していた。主君より11歳年長の参謀総長は、今まさに、帝国軍の主戦力を、宿敵フランスに叩きつけようとしていた。

 「動員を止めることは、もはや不可能です。今、軍を返してロシアに向けようとすれば、全軍が混乱し、戦争するどころではなくなるでしょう。」

 純技術的には、軍を返して東に向かうことは可能であった。ロシアに向けた東進作戦は準備されており、不測の事態に備えた予備計画もあった。しかし、主力の方向を転換すれば、混乱を招くのは必然である上、参謀本部が長年構想してきた短期決戦が、極めて困難になるのだった。

 「先の戦いで、フランスが我が帝国軍になぜ敗れたのか、陛下は十分に御存じのはず。」
「確かに、劣勢な我が軍がフランスに勝利できたのは、動員の速さのためだ。しかし、その計画を作ったそちの叔父は、西ではなく東で戦おうとしていたではないか!」

 1870年、普仏戦争の勝敗を分けたのは、兵隊を戦場に送る速度の差だった。招集された兵士たちは、モルトケの偉大な叔父、大モルトケが考案した計画に沿って鉄道で輸送され、フランスの機先を制して圧勝した。

 「お分かりでしょう。時代が変わったのです。モルトケ元帥の時代は、ヨーロッパがフランスを包囲していたのです。いま、ドイツは包囲される側にある。長期戦になれば勝ち目はありません。そして、広大な領土を持つロシアに、短時間で勝つことはできません。西のフランスを撃つ以外にないのです。」

 この人は、ここで駄々をこねるのか、とモルトケは思っていた。これまでの半生を通じて、ヴィルヘルム二世は、自分の国が十分な尊敬を受けていない、と強く思ってきた。ドイツの偉大さを誇示するために、海軍を拡張し、世界の海を支配するイギリスに挑戦した。その結果、列強を警戒させ、英・仏・露が連合してドイツに対抗することになった。ドイツの孤立を招いたのは、まさにヴィルヘルム二世の責任だった。にもかかわらず、土壇場で全面戦争の恐怖に駆られた皇帝に、モルトケは、いまさら浮つくな、と言ってやりたかった。

 「ここに至っては、フランスとの戦争は避けられません。既にフランスも動員を始めているのです。機先を制されれば、こちらが敗れる側になるでしょう。」

 皇帝同様、モルトケも精神的な重圧を受けて視野が狭まっていた。普仏戦争の先例や孤立したドイツの現状が、モルトケに、最終的な敗北を免れる方法は短期決戦しかない、という固定観念を植え付けていた。

 「そちの叔父なら、別の答えをくれただろう。」皇帝は、モルトケが最も嫌う捨て台詞を残して、憤然と部屋を出て行った。

 翌日の夜、「ドイツがフランスに宣戦しなければ、イギリスは中立を守る」という報告は、誤報であったことが判明した。

 寝巻に軍服を羽織った皇帝は、モルトケの機嫌をとるような笑みを浮かべて言った。
「さあ、これで君は思い通りにやれる。」

 ドイツ軍の攻勢は、結果的には失敗し、西武戦線は膠着した。独仏どちらの軍も、鉄条網に守られた塹壕に突撃を繰り返し、機関銃でばたばたと倒されていった。戦争が長引く中、塹壕には雨がたまり、兵士たちは、泥水の中でシラミにたかられ、疫病で死んでいった。参謀本部が構想した短期決戦は、新時代の兵器体系の下では、土台無理な作戦だったのである。

 第一次世界大戦の前夜、戦争は、ロマンチックな冒険として語られていた。しかし、歴史上空前の死者数と、不潔で悲惨な戦争の実態は、このような戦争への楽観を吹き飛ばした。

 第一次世界大戦の後、戦争は二度とやるまい、と多くの人が考えた。しかし、20年後、英仏は戦争を嫌って、小国へのヒットラーの侵略を黙認し、第二次世界大戦のきっかけを作ってしまうことになる。


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このストーリーに関するコメント

16/01/06 光石七

拝読しました。
戦争という愚かな行為がなぜ繰り返されるのか……
改めて考えさせられます。
興味深く読ませていただきました。

16/01/06 土井 留

>光石七様
 コメントありがとうございます。
かなりマニアックな話題に食いついて頂き、大変うれしく思っています。

 お題を頂いたときに、真っ先に頭に浮かんだのが、「人間がどれだけ学ばないか」を示したこの事例でした。日本ではあまりなじみがないのですが、ヨーロッパでは、第一次世界大戦は「悲惨で愚劣な戦い」というイメージがあります。

 そんな第一次世界大戦で、とんでもない目にあいながら、懲りもせずに第二次世界大戦をやってしまったことは、人類史上の愚行というしかないのですが、同時に、それが当時の人間社会の限界だったのではないか、とも思います。

 第一次世界大戦に関することは、また何か書いてみたいと思っています。

 繰り返しになりますが、たて続けの暖かいコメントをありがとうございました。

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