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クナリさん

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将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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舌が半分の少年

15/12/03 コンテスト(テーマ):第九十八回 時空モノガタリ文学賞 【 革命 】 コメント:9件 クナリ 閲覧数:1466

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 舌が半分しかないその少年の名前を、私は今でも知らない。
 出会ったのは、私が十四歳の時。彼も同い年だった。
 一大革命を成しえた直後の首都の街道で、私達は邂逅した。
 革命団員だった彼は、得意そうに革命旗を振り回していた。
 どうして舌が欠けているのかと尋ねると、彼は独特の滑舌で、
「度胸試しに、自分で噛み切ったのさ。舌が丸まる前にスプーンで押さえれば、窒息死はしない」
と得意げに言った。そして、どうして私には右目がないのかと聞いて来た。
「子供の頃に、眼病でなくしたの」
「下層市民は、医者にもかかれなかったからな。でもこれからは違う。仲間もたくさんいる。何もかも良くなるのさ」
 私は彼に、言わなかった。舌を噛み切るなどという度胸試しはないし、舌を噛んだ直後の人間がスプーンで的確に舌を抑えるなど、できるはずがないことも。
 政府軍の兵隊が、面白半分に下層市民の子供を痛めつける光景は、珍しいものではなかった。彼の舌も、恐らくは兵士に押さえつけられて、無理矢理に切られたのだ。けれど、それを指摘しても意味はない。
 彼がもう少し私の眼窩をよく見れば、目の傷は新しい外傷だと気づいただろう。
 革命団と政府軍の小競り合いで、クロスボウの流れ矢が私の右目を貫いたのは今年のことだった。矢羽には政府軍ではなく、革命団の印がついていた。けれどそのことも、私は彼に言わなかった。
 彼は、優しい目で私を見ていた。その瞳の奥には、無限の空が広がっていた。それを、私のせいで曇らせたくはなかった。
 ただ、とにかく彼が眩しかった。

 旧政府の役人が追い払われた後の街には、政治の経験者も、その才覚がある人物も残っていなかった。
 革命団の中枢人物達は、あまりにも早い首都の荒廃を目にして、旧政府の高官に次ぐ早さで街から脱出していた。
 動乱の中で孤児になって後、街をさ迷っていた私は右目がないことで面白がられ、ある好事家の養女となった。
 彼と再会したのは、そんな頃だった。
 義父のお使いでパイプとアブサンを買いに出た私は、恐ろしく痩せこけた彼をベーカリの軒下で見つけた。
「やあ、君か、……よく覚えてるよ。違う、片目がないからじゃない、……」
 私は、小さく悲鳴を上げた。彼に、左腕がなかったからだ。
「舌が半分ないくらいじゃ、だめなんだ……誰も憐れんでくれない。見ろよ、腕がないと、こんなにお恵みがもらえるんだぜ」
 彼は、ひん曲がった銅貨ばかりが数枚入った布袋を見せると、よたよたと路地裏に消えて行った。

 街はなおも荒れて行き、危険だからと私は外出を禁じられ、翌月になってようやくあの路地の奥を見に行った。
 今会わなければ、取り返しのつかないことになるような気がした。
 けれどそこにはただ、いくつもの壊れた木靴が転がっているだけだった。
 木靴にはどれも、人の名前らしきものが彫ってあった。

 不摂生がたたり、義父はその後数年して他界した。いくばくかの遺産を渡されて、私は小さな花屋を開いた。
 街はようやく落ち着き、新しく貧富の差が構成され始めた。
 家のある者は路上生活者に施すことが美徳とされ、私の店も繁盛したので、よくパンや小銭を浮浪者に与えた。
 その日も私は、ソーダ水を施そうと浮浪者の群れの前に膝まづいた。
 最前にいるのは、ぼろぼろの毛布を体に巻いた、けれど両腕と片足がないことの明らかな男だった。ぼさぼさの髪から覗くその顔には、両目もない。これほどの状態の浮浪者は、初めて見た。
「ソーダ水です。どうぞ」
 そう声をかけると、浮浪者は少し体を震わせた。しかし瓶を咥えようとはしない。
 耳も悪いのだろうかと、私は浮浪者に耳打ちするような距離で告げた。
「私も片目がないんですよ。両目では大変でしょう。口を開けて下さい、飲ませてあげますから」
 けれど男は、口を開こうとしない。
 女から施されることに、屈辱を感じるタイプなのかも知れない。
 私は瓶を男の足元に置き、
「よかったら、誰かに飲ませてもらって下さい」
 ともう一度囁いて、その場を離れた。
 そして十数歩も進んだ時、ようやく、なぜ彼が口を開けなかったのか、ひとつの可能性に気づく。
 振り向いた瞬間、目の前の街道を馬車の群れが駆け抜けた。
 それが通り過ぎると、既にあの浮浪者の姿はなく、ソーダの瓶だけが土煙の中に佇んでいた。

 私達の時代は後世に、どれだけ愚かしさを嗤われるのだろう。
 愚かしいほどの懸命さは、どこまで伝わるものだろう。
 愚者の屈辱と誇りは、誰が汲んでくれるのだろう。

 馬車は走り去って行く。
 街道には、怒号交じりの喧騒が行き交う。
 家々の屋根を猫が渡って行く。
 その空を、鳥が舞う。
 更に見上げた先には、太陽。

 私の片目に映るのは、誰かが求めた、無限の空。


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このストーリーに関するコメント

15/12/05 タック

ものすごく巧い、と思いました。
少年の舌の欠損から、主人公の目の欠損に、自然的に繋げているところも。
堂々とした革命の場面から、少年の悲劇的な現状へと、落差を持たせ繋げているところも。そして最後の、浮浪者の正体の、その推測のさせ方も。
素晴らしく巧みで、本心から、素晴らしい作品だと感じました。感服し、拝読しました。ありがとうございました。

15/12/05 クナリ

タックさん>
2000文字の中で何ができるか、ということに向き合った場合、とにかく「構成」というものの大切さを毎回思い知らされるのですが、作者の作意ととられて厭らしくなることとのバランスを考慮しつつ今回もまとめましたので、評価していただけて嬉しいです。
心理描写を少なくして展開の描写に字数を使うのは結構勇気がいるのですが、上手くいっていれば幸いです。
コメント、ありがとうございました!

15/12/18 滝沢朱音

掌編とは思えない、まるで長編の大河小説のような読後感。すばらしいです。
革命前夜、そしてその後。
主人公の片目に映り続けたものを、同い年の男の人生に集結させたような…

馬車列が通り過ぎた後、土煙にまぎれ姿を消した男と、残ったソーダの瓶が
ものすごく映像的で、印象深いです。

2000字でこんなことができるのだと、あらためて。掌編の可能性は無限大ですね。

15/12/18 冬垣ひなた

クナリさん、拝読しました。

バブル前は日本もこの状況でした。私の子供の頃は彼らのような浮浪者が大勢いて、
炎天下の路上に「三日も何も食べていません」とチョークで書かれていたのを思いだしました。
破壊された街は復興し、荒廃したものはただ消え去るのみ。
主人公と少年を隔てる革命の誤差は、多分ほんの少しに過ぎないのでしょう。
巧みな筆運びと隅々まで張りつめた言葉が、容赦ない現実を描き出していて、
革命というテーマをより深く導いていると思いました。

15/12/19 クナリ


滝沢朱音さん>
ファンタジーっぽいところが舞台の時には、特に「時の経過」というものに気を使っていたりします(実は…)。
その世界観の構築には、「世界の細かい描写」と「歴史」が必要だと思うのですが、前者は文字数がかかる割に全体的な効果は大きくはないと思うので、主に後者を有効に働かせるようにしていると言いますか。
同じく映像面でもなるべく演出を強化しようとしているので(現代の学校が舞台の時などよりも、ファンタジーの方が、映像を意識すると話のインパクトが強調されると思うので)、上手く行っていれば嬉しいです。
そうなのです、「掌編で大河ロマン」が最終目標なのです。そのための「歴史感」と「映像感」ですね〜。

冬垣ひなたさん>
革命って基本的に肯定的なイメージで語られることが多いと思うのですが、歴史の教科書や年表でなく、実際の現場となった街の街道ではどんなことが起こっているんだろう…というのは昔から思っていたんですよね。
最近でも、起きた革命は多くの場合混乱と貧富の差を広げているという一面もありますし。
自分が書くものはあくまでフィクションですが、登場人物達の行き方自体には生命感が宿っているといいのですけども。
あまり楽しい話ではありませんが(^^;)、これが自分なりの「革命」の物語なのでした。

16/01/11 光石七

社会をよくするため、理想を掲げて革命がなされるわけですが、影の部分もあるわけで。旧政府軍と革命軍、それぞれから体の一部を奪われた二人の出会いが鮮烈です。
革命で歴史に名前が残る人はほんの一部だけれど、名もなき人々もそれぞれの人生を必死に生きている。そこにスポットを当てられた着眼点、濃い内容、さすがです。
“私達の時代は後世に、どれだけ愚かしさを嗤われるのだろう。愚かしいほどの懸命さは、どこまで伝わるものだろう。愚者の屈辱と誇りは、誰が汲んでくれるのだろう”、この一節にハッとさせられました。
最後の一文も秀逸ですね。
とにかく完成されていて、素晴らしかったです!

16/01/12 クナリ

光石七さん>
革命による余波で、「それまで」と「その後」が劇的に変わってしまい、「その後」に対応できない生活をしている人々の苦しみは、現代でも見られますよね。
そんな時、英雄はもう役に立たなくて、実務能力のある官僚みたいな才能が必要なわけですが、たいていそれらは革命のときに槍玉に挙げられた人たちが持ってたりして、なかなか能力が活用されずに日々の負担だけが増して行く…ということはあると思います。
革命という行為の性質上、後から「あの革命は結局、悲劇だけを生み出した」とか「あんな革命なら無い方が良かった」とか「無意味なことをした」と言われてしまうことの方が多いような気すらします。
でも、そこに至るまでの過程に眼を向けていない人々に知ったようなことを言われるのもまた、悲劇のひとつでして…。
グルーピングやカテゴライズできない(してしまえば、本質を含んだ多くのものを見落としてしまう)悲しみというのが、ここにもあると思います。

16/02/05 草愛やし美

巧い、さすがクナリさん。

どんどん上手くなられますね。

内容が濃くて素晴らしい作品だと思います。

現実にこういう少年が世界のどこかにいると思うととても切ないです。

最後の〆文、深い意味合いが示唆されていてとても上手いと思いました。

16/02/05 クナリ

草藍やし美さん>
ありがとうございます。
自分のよさを持ち味として出して生きたいという気持ちと、ワンパターン化をいとう気持ちの間で揺れ動きつつ、何とか書き続けています(^^;)。
2000字の中にどれだけのものを詰め込めるか、という挑戦はこれからも続けて生きたいとは思っているのですが、いつまでできるでしょうかッ。
最後は、映像的に広がりを持つ形で終わりたかったのです。うれしいお言葉、ありがとうございます。

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