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ふたさん

今ほしいものはまず表現力、そしてきちんとしたプロットを立てられる計画性と、勢いを保持したまま最後まで書き続けられる頭の力。あと、しなやかな脚を持ったうるわしいおねえさまがほしいです。蹴り倒されたい。

性別 女性
将来の夢
座右の銘 ジェントルマンな馬車馬であれ。

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いしださん

15/11/28 コンテスト(テーマ):第九十七回 時空モノガタリ文学賞 【 他山の石 】 コメント:0件 ふた 閲覧数:923

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 何年も前にテプラで作った名前シールは角の粘着がとれていて、すっかり弱々しくなった石田さんの手でも簡単に剥がすことができた。その部分だけ汚れのないロッカーを見つめ、石田さんは微笑む。
 ありがとな、と唇が動くのを見て、僕は慌てて目に力を入れた。ロッカーを羨ましく思う。
 だって、こんな簡単に。
 だって、この店に二十年以上も人生を捧げてきた石田さんが。
 だって、こんな理不尽な。
 どんなに悔しくても涙をこぼすことのないロッカーがうらやましいと、心底おもう。
 じゃあ、と言って振り向いた石田さんが一瞬おどろいた顔をして、やさしく微笑んだ。誰かがミスをするたびに見せてくれた温かな笑顔が、今日もそこにある。
 明日からは、ないもの。

「おう、石田まだいたか」
「店長。いま挨拶に行こうと思って」
 突然聞こえた野太い声に、石田さんは大きく股を開いて移動し、僕の視界をその広い背中で遮った。
 彼の人生ではほんの少しの時間かもしれないけれど、それでも五年間一緒に働いてきた自分だ。石田さんの気配りをすぐに察して、ふたたび涙がこぼれそうになった。うしろを向いて、ティッシュで水分を拭う。鼻もかむ。
 僕の泣き顔が店長に見えないことを確認すると石田さんは、深くお辞儀をした。
「お世話になりました」
 店長はただでさえ大きな鼻の穴を膨らませ、無駄に大きな目を見開き、やり慣れていないとできない悪人面で笑っている。
 咽の奥を痛めつけていた悲しみが怒りに変わり、僕の体内を巡って頭へと昇ってゆく。
 あんたのせいじゃないか、すべて。
 現場を知らない本社の人間が押し付けてくる無理難題を、あんたがハイハイとなんでも受けるから。
 そうして、苦しむみんなを代表して社員に立ち向かってくれた石田さんをひとり悪者にして、クビにするなんて。
「おっ。おまえ目ェ赤いぞ。もしかして泣いてたのか?お世話になった先輩がいなくなっちゃって」
 毎朝欠かさず蜂に刺されているかのように腫れ上がった分厚い唇をみにくくゆがませて、自分の出世のことしか頭にないクズが笑っている。
 石田さんがさりげなく、身を寄せてくる。あたたかな体温を分けてくれる。痛みが目を刺激する。
 その温もりに、従おう。ぶくぶくと泡を立たせはじめた頭を宥める。
「おまえも、石田を他山の石として大人しくしてろよ」
 警戒音だ、と思った。
 複雑な構造をしているはずの僕の頭も、ヤカンと同じだ。泡を立て、沸騰して、警戒音を鳴らす。ほとんど無意識に動いた僕のからだを石田さんが止める。
 ピーッ。警戒音が鳴る。ぼこぼこと、泡が暴れる。
 熱を冷まそうとしているのか、口が勝手に開く。大きく開く。けれど、出た声はまるでしぼり出したような情けないものだった。
「石田さんは、他山の石なんかじゃありません。あれは失敗じゃない、石田さんは、石田さんはぼくらのために必死に戦って、」
 ぽかんと口をあけた店長は間抜けな動物のようだ。言葉が通じないことは分かり切っている。
 動物は笑いながら、両手を上げ、なにかを言う。ゆがみきった顔を、一発殴ってやろう。そうして僕も石田さんと一緒にこの店を辞めてやろう。
 こんなやつのもとでなんて、働いてやるか。
「そうだな、石田さんは他山の石なんかじゃないな」
 突然、動物の口から穏やかな声が聞こえた。
 なにが起こったのか。もしかしたら、石田さんのいるこの場だけでも心を入れ替えることにしたのかもしれない。
 疑いの隙間にほんのすこしの期待をしのばせて、店長の顔を見ると、そいつは僕の期待を見抜いたらしく、口元のたらこをぐいっと引き伸ばした。
 ちがう。
 こいつは僕をからかって遊んでいるだけだ。
 石田さんのことなんて、微塵も考えていない。
 警戒音が、ふたたび鳴り響く。僕のどこかについているフタが、ばたばたと暴れる。
「石田さんは石田さんだな。他山の石じゃない。たざんのいし、いしたざん、いしださんってな。おっ!うまい!」
 フタが、沈黙する。警戒音も消えた。
 先程までの怒りはなんだったのかと思うほど、すうっと頭のなかが冷えてゆく。
 顔を上げると、僕が見る前からこちらを見下ろしていたらしい石田さんは、細い目でぱちぱちと大きく瞬きをしてみせた。それを見て、僕は笑う。
 くだらない。
 本当に、くだらない。
 怒る意味なんて感じられないほど、あの男はくだらない人間だ。
 もしかしたら石田さんは、すでにそれを知っていたのかもしれない。だから少しも怒らず、お世話になりましたと頭を下げさえしたのだ。
 にこにこと微笑み合っている石田さんと僕を見て、なにを勘違いしたのか調子に乗った店長が明るい声で笑っている。

 石田さん、お元気で。
 そう言って頭を下げると、おおきな手が伸びてきて温もりで僕を包み込んだ。


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