W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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禁句

12/08/13 コンテスト(テーマ):【 猫 】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1996

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 道に迷ったらしい。
 旧友の住まいをたずね、時間を忘れて話し込み、気がついたら夜になっていた。泊って行けとうながされたが、友には妻もいて、さすがに遠慮して暗がりの中を歩みだした。
 いつのまにか辺りはくろぐろとした森におおわれはじめた。
 ぼくは繁みの間にのぞく星々や、どこかからきこえるかすかな流の音に導かれて、いつしか灯のともる一軒家のまえにやってきていた。
 玄関にたって、扉に腕をのばしたときふいに、友達の言葉が思い浮かんだ。
「もしもきみが、道に迷って、森のなかをさまよい歩いているとき、窓から明かりがもれる家にでくわしたら、ためらうことなくドアをたたきたまえ。森で一夜をすごそうなんてことは、まちがっても考えてはいけない。森にはおそろしい生き物たちが、きみが歩き疲れて眠るのをまっている。だからその家にはいり、一晩とめてもらうようたのみこむんだ。朝になれば、もう安全だ。しかしひとつだけ、注意するんだ。いいかい。その家にはいって、けっして口にしてはいけない言葉がひとつある。それをもしいってしまったらさいご、きみの身にとんでもないことがおこるだろう」
 ぼくは友の、もってまわった言い方に業を煮やして、そのいってはならない言葉というのをはやくいえとせがんだ。友は、きゅうに用心深くなって、こちらが耳をこらさなければきこえないほど小さい声でこたえた。
「猫」
「なんだって」
「二度はいわない。かんべんしてくれ」
 ほんとはぼくにもはっきりきこえていた。だが、なぜ『猫』をいってはいけないのか、理由がぼくにはわからなかった。
 ぼくは、友が案じたとおり、夜の森で道に迷い、窓から明かりのもれる家をみつけた。
「どなた?」
 やさしげな婦人の声がドアのむこうからきこえた。
「あのう、道に迷ったものです。今夜一晩、泊めてもらえないでしょうか」
「それは大変ですわね。どうぞ、おはいりください。歓迎しますわ」
「ありがとうございます」
 ぼくは深々と一礼した。こんな夜に、どうやら婦人一人が住んでいるらしい家の中に、よくぼくのような男をいれてくれたものだと、心から感謝しながら顔をあげた。
 金色の目がぼくをみつめた。鼻の両側でひげが、ぴくりと動いた。ぼくは、猫と顔をあわせた。
「どうか、なされたの」
 その、おもいやりにみちた暖かな声音が、ぼくをたちなおらせた。
「い、いえ、なんでもありません」
 婦人はぼくのまえにたって歩きはじめた。足をだすたびにゆれる彼女の腰に目をむけていたぼくは、その厚めの生地のスカートの下には、やっぱり尻尾が左に右にゆれうごいているのだろうかと、想像をたくましくしていた。
 室内の、豪勢な椅子にぼくを座らせると婦人は、ぼくのために料理を一人前、テーブルに用意してくれた。
 皿には煮魚がもられ、ごはんにはカツブシがかかっていた。小皿になにやら木の実のようなものがはいっているので、これはなにかとたずねると、婦人はなぜか魅せられたような調子で、
「マタタビですわ」と、その木の実にじつにいとおしげに頬をなすりつけるのだった。
 婦人との穏やかで楽しい時間を過ごすうちにぼくは、あの禁句を口にするおそれはないだろうとおもうようになっていた。
 だが、時がたつうちに、だんだんと、禁句が重くぼくの胸をふさぎはじめた。咳払いすれば簡単にとれてしまいそうな喉のつかえも、いったん咳を禁じられると、たまらなく不快におもえるのと同じだ。
「どうかなさったの、なんだか、いいたいことがあるのに、それが口にできない人のようよ。がまんはいけないわ。遠慮なくおっしゃって」
「いえ、本当になんでもないのです」
 ぼくは婦人から、寝室が二階だときくと、口に手を強くあてながらいそいで、階段をかけあがっていった。
 朝、目をさましたぼくは、ほとんど極限状態にあることをしった。もう自制はききそうもなかった。ちょっとしたはずみでぽろりと、『猫』が口からころがりでそうだった。ぼくはいそいで身づくろいをおえると、階段をかけおり、お礼のあいさつもせずに家をとびだそうとした。
 しかし、階段の下に、婦人がたっていた。猫の顔と鉢合わせしたぼくは、おもわず、「猫」
 と叫んでしまった。
 とたんに、婦人の顔から毛という毛がぬけおちて下から、白くすべすべした肌がうかびあがり、たちまちそれは美しい女性の顔にかわった。
 きゅうに顔がむずむずした感覚にみまわれたぼくは、おもわず顔に手をやった。顔一面やわらかな毛におおわれ、突きだした鼻の両側には鋭く長い毛がのびているのがわかったた。ぎょっとしてぼくが、玄関横の鏡に目をやるとそこには、こちらをみかえす雄猫の顔が映っていた。
「ありがとう。あなたのおかげよ」
 あいかわらず優しい口調で、婦人は感謝の気持ちをあらわした。 


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