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Mahyさん

自分が書いた作品について、自分自身が最高の読者であれるような、そんな作品を書き続けることが僕の理想です。

性別 男性
将来の夢 創作活動を通じて、現在の自分の日常生活を、より豊かなものにしたい。将来というよりは、今まさにこの瞬間を豊かにしたい。そのために書きたいと思う。
座右の銘 エキストラ・ワンマイル もう一歩踏み込んだ努力を

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体毛を数える

15/11/26 コンテスト(テーマ):第九十六回 時空モノガタリ文学賞 【 奇人 】 コメント:0件 Mahy 閲覧数:950

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「ちょっと君、もし時間があったら、私の首の後ろの毛を数えてもらえないだろうか?」
 と迫田先生が、放課後の静まり返った理科室でひとりフラスコを洗う僕に唐突に投げかけた一言は少し異様だった。
「毛を数える?」
「そうだよ。今朝からどうも気になって仕方がないんだ。自分じゃ後ろに目がついていないもんだから、はかどらなくていけない」
 迫田先生は僕の学校の理科の先生だ。少し変わり者で通っているが、直接会話をしたことがなかったので、何がどう変わっているのかは知らなかったし、わざわざ人に聞いてまで知ろうとしたこともない。つまりは特に関心がなかった。
 実験中、友人らから間断なく送られてくるメッセージに返信しているうちに、いつの間にか後片付けがクラスで最後になってしまい、理科室では迫田先生と僕だけになった。 
「今日は首の後ろ側の部分だけでいいんだ。私の目の届かないところはどうしても誰かにお願いするしかない。どうか頼むよ」
 脂ぎった中年男に懇願されても気味が悪い。自分の体毛であれ、他人の体毛であれ、体毛を数える行為自体が馬鹿げているし、これ以上ない労力の無駄遣いであることに違いはなかった。
「毛を数えると言ったって先生。失礼ですが、そんなものを数えて、一体なんになるって言うんですか?」
 変わり者の噂が確信へと変わる。僕は半ば呆れながらも、諭すようにできるだけ平静を装う。面倒臭い事にはできるだけ巻き込まれないようにしたい。
 迫田先生は僕の投じた疑問に答えるでもなく、まったくコイツも解っちゃいないと言いたげに天井を見上げると、今度はおもむろに自身の鼻の穴に指先を二本突っ込んで、強引に鼻毛を数本むしり取り、理科室の真っ白なテーブルの上に整然と並べてみせるのだった。
「いいかい、ただ単に数えているんじゃない。1本ずつ数えるということはつまり、1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+…ということだ。どうだね?美しいとは思わないかい?この世の中で究極に美しい数式は1+1だと私は考えている」
 静まり返った理科室の中で迫田先生の一方的な話は続いた。
「丸8年を費やし、今日までに自分の体に生えているあらゆる箇所の体毛を1,213,864本数えた。人間の体毛は一般的に140万本ほどあるらしいが、予定通りに数えることができれば、今年中にはなんとか数え終えるところまで来ているんだ」
 140万本を数え切るというよりは、140万本を数える過程にこそ価値があると、その後何度も強調した。1+1が際限なく続く数式を頭の中でイメージし続ける事に、止めどなき高揚感を覚える、人生の青春を謳歌しているようだと。
「100万本以上も数えたんですか?」
 僕は素直に驚いた。感心したというよりは、もちろん逆の意味で。
「そりゃ凄いことですが、結局どうして数えるのかやはり意味がわかりません。一般的に140万本だとわかっているなら、それで十分ですよね」
「意味?」
 少し間を置いてから、迫田先生は言った。
「この世の森羅万象にそもそも意味など無い。生命があるがままに生きるように、私はただ無心に数え続けるのみだよ。仮に140万本あったとするならば、140万本分の幸せがあるだけの話さ」
 と不思議と安堵の表情を浮かべ、
「そして心の平穏が訪れる」
 と付け加えた。
 
 閉め切られていたカーテンを引き開けると同時に、夥しい陽光が理科室じゅうに差し込み、僕は目の奥がジンと痛んだ。少したって振り返ると、脂ぎった迫田先生の禿頭が、陽光に反射して光り輝いているように見えた。脂ぎっているがゆえに、より輝いて見える。眩い禿頭を目の当たりにしていると、ふいに思い至る。
「なんだ、そういうことか」
 僕は思わず口走ったが、迫田先生には気づかれてはいないようだ。まだ140万本もあるのならば、確かに心の平穏が訪れるのには違いない。


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