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土井 留さん

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明治3年、東京麻布付近の料亭にて

15/11/21 コンテスト(テーマ):第九十六回 時空モノガタリ文学賞 【 奇人 】 コメント:0件 土井 留 閲覧数:1140

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「近頃の薩長の傲慢には目に余る。運が良かっただけの連中が、自分には才能が有るんだと勘違いして増長し放題だ。」

「全くです。無能な小人物が、薩長閥だというだけで大きな顔をしている。御維新だ、御維新だ、などと飾り立ててはいるが、世の中は徳川様の世を懐かしむ声に溢れているじゃないですか。」

「ご存知ですか?下屋敷の近所に、洒落たお旗本の屋敷があったのですが、ご主人が公方様ご退去に同行されて、しばらく空き家になっていたんです。」

「ああ、あの白壁の。」

「この間、そちらに長州のなんとかという男が入ってきたんですが、どうせ町人からの成り上がりか何かでしょう。高い地位に慣れていないのが見え透いていて、人力車に乗り込むときなぞ、嫌味ったらしいくらいにもったいぶっていますよ。」

「無能者が不似合いな地位に就くほど悪いものはないな。肩が凝って疲れるだろうに。」

「ところが、そうでもないらしい。下賤な人間にとって、金と地位なんてものはあればあるだけいいんでしょうな。地位に伴う品格と教養が無いと、芝居がかって大物ぶっても見苦しいだけだ、なんてことは考えもしないんでしょう。ついこの間、妾らしい若い女と、にたにた笑いながら車から降りてくるところを見かけましたよ。」

「まあ、それは羨ましいご身分だ。」

「その話は、私も聞いたことがあります。その妾というのは、旗本のご息女だったらしいですね。公方様が駿河に移られて以来、お旗本の生活は傾く一方。どうにも生活に窮した御旗本の御姫様が、成り上がりの薩長の連中に買われていく、というわけです。」

「まったくひどい話だ。私は、世の中が悪い方に、悪い方にと進んでいくような気がする。徳川様は二百六十年の太平の世をお造りになったが、その間に士道は廃れ、町人連中が大きな顔をするようになった。ついには薩摩の田舎者や長州の百姓どもが世の中をひっくり返してしまった。世も末だ。」

「奇兵隊、ですね。」

「何が奇兵だ。片腹痛い。銃の力で成り上がった百姓ではないか。」

「もっとも、隊を作ったのは長州の上士らしいですね。名前は忘れましたが、嘉永の黒船来航の折に黒船に乗り込もうとした、吉田松陰という男の門弟だったとか。」

「それ見ろ。やはり、武士でなくては駄目なのだ。百姓に世の中を動かせるものか。」

「で、その吉田何某は、どういう男だったのです?」

「藩の上士で、兵学者だったらしいですね。攘夷を叫んで幕府ににらまれ、井伊様の大獄で刑を受けて死んだとか。まあ、そんなことだから、大した仕事もしないで死んだのですが、近ごろは、長州の連中の間で神様のようにあがめられているようです。」

「奇兵の元は奇人か。ふん。今の長州の連中と同じだ。能がなくとも、勝った側につけば神様になる。」

「まあ、それでも徳川様がご健在の頃に、攘夷を唱えて黒船にまで乗り込もうとした、というのは痛快ですね。長州者ながら天晴だ。」

「何をいう。貴様は知らんかもしれんが、我が藩は攘夷については老舗だ。吉田何某なんぞ小僧に過ぎん。」

「ほう。それは知りませんでした。」

「天明の頃に、藩の御典医だった工藤平助様というお方が、御老中の田沼主殿頭様に建白され、ロシアの南下を警告されていた。吉田某が生まれるよりずっと昔のことだ。」

「それはすごい。」

「それだけではないぞ。藩では容れられなかったが、工藤様の知り合いに林という男がいて、海からの脅威を防ぐべし、と唱えた。江戸の海を守るべし、とも説いていたから、黒船の脅威を五、六十年も前に予見しておったのだ。」

「もっとも、その林様、林子平という方は、若いころから腰の定まらない軽薄なお方だったので、色々と意見を言っても、周りからは与太話程度にしか受け取られなかったようですね。奇人ぶりでは、長州の吉田と似たようなものだったのでしょう。」

「奇才があっても、人々からの信望が無ければそれまで、ということですか。」

「つまるところ、長州の吉田松陰もその林、」

「林子平殿です。」

「林と同類の軽薄な奇人に過ぎんのだ。ろくな仕事をしなくても、時流に乗り、勝ち馬に乗っていれば極道者でも神様になる。」

「いっそこちらの奇人も神様にしてしまってはどうでしょうね。攘夷や御維新は薩長の専売特許ではないのですから。」

「ふん。それもよいかもしれんな。奇人、神様の林子平様か。」  (完)


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