冬垣ひなたさん

時空モノガタリで活動を始め、お陰さまで4年目に入りました。今まで以上に良い作品が書けるよう頑張りたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。エブリスタでも活動中。ツイッター:@fuyugaki_hinata プロフィール画像:糸白澪子さま作

性別 女性
将来の夢 いつまでも小説が書けるように、健康でいたいです。
座右の銘 雄弁は銀、沈黙は金

投稿済みの作品

5

愛昧

15/11/02 コンテスト(テーマ):第九十四回 時空モノガタリ文学賞 【曖昧】 コメント:9件 冬垣ひなた 閲覧数:1236

この作品を評価する

体育の授業で膝に出来たかさぶたをめくると、痛みと血がにじんだ。治りきらないまま、傷口に逆戻りした跡は、今も脚に残っている。
その足先に、オレンジがかったピンクのペディキュアを添えると、私は古傷をストッキングに包み、地味なパンプスを履いた。
それは郷里の母が誕生日にくれたものだったが、念願の専業小説家になった夫はにべもなく捨て、ゴミ箱から拾い上げたら涙が出た。
ゴミは私だ。
夫は泊まりの取材で留守にしている。閉めた家の鍵は冷たい音がして後ろめたくもなったが、迷いを振り切り私は大股で駅へ向かった。
途中、銀杏の色づき始めた公園の遊具が、子供たちを乗せて回るのを見た。
くるくる、ぐるぐる。
さようなら無邪気な者たち。
幸福を誤魔化した身体で、私はこれから夫の友人に抱かれに行く。


ホテルの窓から西日が射す。テーブルに置かれたワインボトルは、いつの間にか殆ど空になっていた。グラスは二つ、これも久瀬が持ちこんだものだ。
「あなたはこのまま泊まるの?」
貴子はブラウスに袖を通し、帰り支度を始めていた。そろそろ帰らないと、束縛の強い夫の三河から電話が入る。家にいなければまた揉めるだろう。
「しばらく休みがなかったしな」
ガウンのまま椅子に座った久瀬は、初めて疲れたような表情を見せた。
「君はどうなんだ?三河と上手くいっている?」
情事の後に、不倫相手の夫を伺う久瀬は優しいのか無神経なのか。
「うまくいっていたら、あなたとは会っていないわ」
寡黙な三河が信頼を置くだけあって、久瀬は面倒見の良い男だった。
パンプスを抱えて久瀬の店を訪ねた時、貴子は泣きごとの半分しか言わなかったが、彼の同情は貴子に向き、男女という世俗の理に埋没してもその心は形状を失わず、今も存在している。
彼には裏表がない。そんな事は試さなくても分かっていたが、後悔を隠す程、意地悪な気持ちになる。
「あなたはどうして結婚しないの?」
貴子は聞いてみる。
「……家庭的じゃないから、かな」
「そんなことないと思うけど」
「基本的に、俺の相手は水商売の女しか無理だ」
「そうなの」
「抱けないんだ。酒が入らないと」
久瀬が光の射したグラスを傾けると、赤でも白でもない、貴子のネイルと同じロゼワインの色が揺れる。
「嫌な所ばかり、飲んだくれの親父に似た」
久瀬はつぶやき苦笑した。
ロゼはフランス語で薔薇色のことだ。
彼もまた幸福でないが、装う術を嫌という程知っている。


三河が興信所を使って、久瀬と貴子の関係を洗い出したのはそれからすぐの事だった。
夫は怖いくらいに穏やかで、責めるようなことはなかったが、あのパンプスは憎悪をもって無残に壊された後、貴子の代わりにゴミ収集車に連れて行かれた。
三河の束縛は続いたが、買い物の合間を縫って電話ボックスから久瀬に連絡出来た。
交わす言葉は少ないが、修羅場を避けたのは三河なりの打算があったのだろう、と久瀬は言った。
『あいつも有名人だからな』
彼の中で、貴子はすでに三河貴子に戻っているのだ。
が、これだけは伝えようと思った。
『……私、子供を堕ろした事があるの』
貴子は淡々と話した。
中学の時に塾の講師に凌辱されたこと。
妊娠したが、その男も行方をくらましたこと。
母親に連れられ、病院で堕胎したこと。
それがもとで、子供を産めない身体になったこと。
『無論、母が悪いわけではないのだけど、三河にとっては憎しみの的になっているようで……』
三河は貴子を育んだ環境に攻撃的になり、そうするうちに彼は先生と呼ばれる身になった。
夫の夢を一緒に祝いたかった。
けれど出来なかった。
くるくる、ぐるぐる。
幸福の遠心力に弾き飛ばされた貴子の脚など、人間性も残っておらず、砂漠の熱砂に埋まり太陽の断罪で焼却されるのを待つだけであった。
だから三河は悪くない。
あの人は少し歪んだ所もあるけれど……。
ひとしきり聞いた後、久瀬はぽつりと呟いた。
『……あいつらしい』
受話器を置いてからも、久瀬の声が耳に残る。
『また、何かあったら相談してくれ。貴子……さん』
互いの口から別れの言葉は出なかった。
電話ボックスを後にした買い物帰りに、公園を見ると、三河がベンチに座っていた。待っていた私の姿を認めると、口角を上げて笑顔を作る。
あの人らしい……か。
三河は自身しか理解不能な世界で、愛の定形を持たず、幸福も求めず、転がるゴミを気に入ったというだけで宝箱にしまう蒙昧な子供なのだ。
くるくる、ぐるぐる。
あやふやな存在の貴子は思う。
ごめんなさい、あなたにつらいと言うべきだった。
私は娘に、女に、妻に、母に、なりたかった。
貴子が見上げた銀杏の枝の向こうには、飛行機雲が見える。
沈んだ日のこぼした残照は、この混沌の世界をほんの少しの間だけ、美しい薔薇色に染め上げた。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

15/11/03 冬垣ひなた

《補足説明》

テーマ「憂鬱」に投稿した『優鬱』の続編になります。
『優鬱』は貴子が久瀬に電話する直前の話です。
未読でも差支えない仕様ですが、良ろしければご覧ください。

左の写真はストックフォトからお借りしました。
右の写真は写真ACからお借りしたものを加工しました。

15/11/03 クナリ

主人公の人格や感性には惹かれますし、辛い過去の経験も印象的でしたが、事実(設定といいますか)が露わになり読者に紹介された段階でストーリーが終わっている印象がありました。
登場人物はみんな個性的で魅力がありますので、彼らの行動や思いがもう少し見てみたかったです。

15/11/05 冬垣ひなた

クナリさん、コメントありがとうございます。

前回もそうでしたが、作品に対する自信のなさが反映するのは私の悪い癖です。
自分でもそれは以前から感じていて、克服課題の一つでもあります。
そんな中、登場人物に魅力があると言っていただけて嬉しいです。
お言葉に甘え、続きは来年あたりに自由投稿でもう少しやれたらなと思っています。

15/11/06 泡沫恋歌

冬垣ひなた 様、拝読しました。

この作品は、前作の「優鬱」とつながる話なんですね。
とても丹念に書かれていて、貴子という女性と夫の三河、愛人の久瀬、三人の人間模様が
よく見えてきました。
情景描写もきれいで「くるくる、ぐるぐる。」この言葉が印象的でした。

とても印象深い作品に仕上がっていると思います。
作品に対する自信のなさとか、おっしゃらず、自分が面白いと感じるままに筆を進めれば
いいんですよ(`・ω・´)ハイ!

15/11/08 冬垣ひなた

泡沫恋歌さん、コメントありがとうございます。

小説は乱読傾向の私ですが、恋愛小説は避けて通る程に苦手なので、
不倫の話だけど美しく仕上げていいのかなど悩んだ末の
「くるくる、ぐるぐる。」でした。印象深いといっていただけて良かったです。
掌編でこの話は無謀な気はする、と毎回毎回思いながら書いてますが、
まず自分の感覚で書く事が大事と思いました、自信つくよう頑張ります(`・ω・´)。

15/11/12 そらの珊瑚

冬垣ひなたさん、拝読しました。

男女の愛の形、それが様々であるがゆえの葛藤が、
随所にちりばめられた詩的フレーズ、美しい文体で、
見事に描き出された素晴らしい作品だと思いました。

15/11/13 光石七

拝読しました。
『優鬱』の貴子サイドのお話ですね。
なるほど、不倫という関係性は曖昧なものがあるし、貴子自身も曖昧、夫もどこかつかみどころが無くて…… テーマに合っていると思いました。
美しく詩的な文体も切なさやもろさを仄かに感じさせて、雰囲気を出していると思います。
もしや三河サイドのお話もあるのでしょうか?
この三人の人間模様とそれぞれの思い、もっと知りたいと思ってしまいます。
素敵なお話をありがとうございます。

15/11/17 草愛やし美

冬垣ひなたさま、拝読しました。

憂鬱の続編ですね、これも深い内容で素晴らしい作品だと思います。
ひなたさまの作品は言葉がとても素敵。言い回しなどハッとする上手さがあります。文学的で感心します。
この設定で、まだまだ読んでみたいですね、長編になる作品だと思います。良かったです。

15/11/17 冬垣ひなた

そらの珊瑚さん、コメントありがとうございます。

愛が同じ形というのは幻想で、だからこそ努力というのが必要なんだと思います。
捉え方というのは大いに悩んだのですが、
今回は女性を丁寧に書く、というのが一つの目標だったので、
リリカルな表現にこだわってみました。


光石七さん、コメントありがとうございます。

衝突の起こる状態はそもそも三角関係とは違う、というのを以前何かで読んで、
人間関係のバランスは書く際に一番気を使っている部分でもあります。
雰囲気が出ていると言っていただけて嬉しいです。
やはり三河サイドも書いた方がいいでしょうかね。
構成力に必要な読みは、一人では限界があるものだと最近感じます。
貴重なご意見を糧に、頑張ってみたいと思います。


草藍やし美さん、コメントありがとうございます。

あのまま終わると何かみんな不幸になりっぱなしのような気がして、
テーマタイトルも丁度いいし、続けさせていただきました。
私は頭の中に詩が閃くタイプではないので、書き終えた後に文章練ります。
文学的と言っていただけると、やり甲斐があります。
もう少し続たいと思いますのでよろしくお願いします。

ログイン