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れいぃさん

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ヤメル、ヤメナイ。

15/10/31 コンテスト(テーマ):第九十四回 時空モノガタリ文学賞 【曖昧】 コメント:0件 れいぃ 閲覧数:1204

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 いっそ曖昧なままにしておくというのはどうだ。
 久しく笑っていない自分の顔を鏡の中に見ながら、岸本は己に提案した。
 やめる、やめない、やめる。
 この仕事についてここ最近迷い続けているのだが、答えを出すにはまだ早いような気もする。非正規の事務員として雇われて三か月、仕事の流れは覚えてきたものの、人間関係が最悪の職場だ。何でも白黒二色に分けて、気に入らない側を糾弾するタイプの女がいる。
正社員だけど、仕事より社内の空気を悪くすることに力を入れていて、ヒトのあらを探しては、陰口仲間に吹き込む。完全なるクソババア。ババアといってもまだ三十前半なのだがその行為が小じわの浮いた顔をよりいっそう老けて見せている。岸本はできれば、この女・塩木と関わりたくないのだが、同じ課に配属されているからしかたない。お茶当番の仕事を終えて給湯室から戻ったら、塩木とその子分の広川がつつつと寄ってきた。
 岸本は最近、この二人が来るだけで、某ゾンビゲームの主人公になった恐怖を味わう。
(なんで二人で来る?)
 年下で立場の弱い岸本に何か言うのに、いちいち二人でぞろぞろ来る。
「岸本さん、お茶のことなんだけど」
 いかにもいやなババアという感じの声で塩木が言う。
「岸本さんのいれたお茶、薄くてまずいのよね。水から沸かしてるんでしょ。お湯いれて沸かさないと。そのほうが消毒になるし」
 後ろの広川は何も言わず、非難するような目で見ている。
「すみません」
 岸本は言い返さずに、いれてきたばかりのお茶のボトルを、こそこそと課内の冷蔵庫にしまう。
 しんとしたフロアで、端まで聞こえるように叱責されて、みんなの視線が集まっているのを感じる。
 一度だけのことなら、「自分のためを思って言ってくれた」のだと考えられるけれど、毎日のように些細なことで注意しにくるから、気が滅入るだけのイベントになっている。
 それも、タオルの干し方とかこまごまとした、仕事とは直接結びついていないような件ばかりだ。
 未だに女性社員にだけそういった家事的なことの当番が回ってくる古い体制が、主婦業に固執するババアたちの執念に油を注いでいる。それぞれの家でそれぞれのやり方があるのだからと、寛容な人は自分以外の当番の日は口出ししないが、塩木はヒトのやることをいつもじとっと見ている。
 課に出入りする業者に対してさえ、あらばかり探している。
 真夏の昼間にコピー機を直しに来た男性スタッフが帰った後には、「臭い」と消臭剤をまき散らし、弁当を届けてくれる業者の女性のことは、「いつもへんな眼鏡をかけている」「帽子が臭そう」と嘲笑う。女性にはそれが聞こえたのか、以前はにこにこして入ってきていたのに、このごろ笑わなくなった。
「弁当でーす」と明るい声もなくなり、黙って置いていくようになった。
 きっと、塩木たちには、「曖昧」というのがないのだろう。
 グレーだけど笑って許そう、という柔らかい気持ちが。
 彼女たちが憎いからと退職してしまうことは、自分もまた「正しいかどうか」で世界を二分する人間に堕ちることと同様だと岸本は考えている。
 だからまだ、やめるという決断はしない。
「やめたい」と思いながら「やめない」という曖昧をふらふら漂ってみせることが、他人に厳しい塩木たちへのささやかな反抗だ。


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