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空乃星丸さん

私がこの時空に現れて、地球は太陽の回りを60周しました

性別 男性
将来の夢 ピンピンコロリ
座右の銘 われ思う、x”&%

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イリュージョニスト太郎

15/10/26 コンテスト(テーマ):第六十七回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 空乃星丸 閲覧数:1036

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 太郎は日本でも有名なイリュージョニスト、大技を得意とする手品師であった。週に何度もテレビに顔を出すほどの売れっ子でもあった。彼の売りは、手足を丈夫な鎖で縛り、鍵をかけ、更に完璧に密閉された鋼鉄の箱に閉じ込められ、この箱にも鍵をかけた状態で二メートルほどの深さの、水で満たした透明で頑丈な水槽に沈められる。鋼鉄の箱は小さく空気の量が少ない。素早く脱出しないと窒息死するか、爆薬が爆発し、水槽もろとも木端微塵になる。しかし、彼は無傷で何処からともなく現れ、残り数秒で起爆装置を止め、事なきを得る。その後、安全な場所に移ると、景気づけにイリュージョンのセットを爆破するというものであった。この派手な演出がテレビで受け、何年も今の座を維持してきた。
しかし、最近は若手が、ガラスの箱で太郎と同じ様なイリュージョンを行う者や、ロープの上に五メートルほど登り、突然消えるなど、太郎より高度な技のイリュージョニストたちにその座を奪われつつあった。テレビ関係者から、引退をほのめかすようなことも、言われる様になっていた。三十歳前後のイケメンの方が、禿げかけた五十代の親爺より、当然テレビの絵面も受けが良い上、ギャラも安く済む。また視聴率が若手より確実に落ちてきていることが、太郎にとっても認めたくはない現実であった。もう引退しようか、と太郎は考え始めていた。どうせ引退するなら、ド派手なイリュージョンをやって区切りを付けたいものだ。太郎は長い付き合いのテレビ関係者に相談した。
 このテレビ関係者は太郎の番組で成り上がり、今では某テレビ局で重鎮となっていた。しかし、太郎には頭が上がらない。面倒くさい太郎の願いであるが、何とか格好だけでも付けなければ、週刊誌なんぞにあることないことしゃべられては、もっと面倒な事になりそうだ。彼なら、やりかねないから始末が悪い。しかし、落ち目とはいえ、まだ十分知名度がある。特別番組で放送すれば視聴率も稼げるだろう、という彼なりの計算もあり、大々的に太郎の引退イリュージョンを特番で放送することにした。放送は日曜日のゴールデンタイムに決まった。善は急そげとばかりに、二週間後には、深さ五メートルの水槽、従来の三倍の量の火薬を用意し、これらを郊外の採掘場跡地に大掛かりなイリュージョンのセットを、十数人の太郎の弟子達がセッティングし始めた。放送日の早朝には、鋼鉄製の箱を水槽に入れるための大型重機、水槽の水を常に満タンにするための大型ポンプ、カメラ十数台、照明機材、音響機材など、テレビの撮影機材が続々と設置されつつあった。また、太郎のイリュージョンを長年支えてくれた、この道数十年の火薬専門の親方も、彼の弟子と共に粛々と準備を進めている。昼過ぎには今まで見たこともない巨大なイリュージョンのセットがその雄姿を現し始めた。テレビ局の重鎮はセットの出来栄えの良さと大きさに満足し、これなら視聴率も跳ね上がりそうだとニコニコ顔で太郎に話しかけた。
「これだけの仕掛けなら太郎先生も本望でしょう」
「あ、ああ。ありがとう」
 正直なところ、太郎は自信がなかった。自分から言い出した事とはいえ、水の深さがいつもの二倍以上、火薬が三倍もある。最近は体力も落ちてきた。セットの大きさにも太郎は気おされ気味であった。しかし、ここまで来て「出来ない」とは、今さら言えない。少なくとも、総勢百人はこれらの作業を進めている。その上、自分の弟子が十人ほどいる。これらの大勢の人々の手前、みっともないことは絶対できない。太郎は腹をくくった、と言うよりは、やけっぱちになった。
 ……ええい、死んだるわい……
刻々と本番の時間が迫ってきた。あたりはすっかり暗くなっていた。女性アナウンサーと数人のタレントがイリュージョンの始まる一時間前から、今回のショーが如何にすごいものであるかについて、お茶の間に向かって何度も強調し、番組を盛り上げていた。その頃、太郎は関係者とイリュージョンの段取りの入念なシミュレーションとチェックを終え、万全な状態で待機していた。ついに、今回の主役、太郎の出番となった。テレビカメラの前で、太郎は恐怖と緊張で若干引きつる顔をあえて笑顔にしつつ、アナウンサーと二言三言何かやり取りし、タレント達のたわいのない質問に答え、十分ほど経った。ついに太郎のイリュージョンが行われる時間となった。  
 スポットライトが太郎だけに当たり、彼がイリュージョンのセットに歩いていくところをテレビカメラは追いかけていた。セットの水槽は一メートルほどの高さの頑丈な台の上にあり、ポンプから水が常に供給されていた。水槽の前面を水がしたたり落ち、ちょっとした滝のように見え、これに虹色の光を当てて美しいカーテンのような効果を演出していた。水で地面が濡れ、足場が悪いので、四段ほどの階段が付いたアルミ製の頑丈な台が設置されていた。太郎が入る鋼鉄の箱と男が五人乗るには十分な広さがあった。太郎はこの台に向かって進み、軽やかに駆け上り、台の上で立ち止まった。そして、両腕を差し上げ高く広げ、関係者に開始の合図を送った。この合図とともに、クレーンがゆっくりと鋼鉄の箱を台上の太郎の前に下ろした。数人の助手が鋼鉄の箱の分割された扉を開け、太郎は中に入り、立ったまま両腕を差し出した。助手たちが太郎の両腕と両足を鎖で縛り、鍵をかけた。太郎は観客たちに見せるように縛られた両腕を差し上げ、テレビカメラも彼の両腕をアップにした。太郎が箱の中に横たわると、助手たちは手際よく鋼鉄の箱の扉を確実に閉め、南京錠をかけた。クレーンが箱を持ち上げ、水槽の水面に運んだ。ここで女性アナウンサーが一言二言何か言った。その後、クレーンは静かに水槽の中に鋼鉄の箱を沈め始めた。水を豪快に溢れさせながら鋼鉄の箱は水槽の底に密着した。
これを合図に助手たちが大きな幕で水槽とアルミ製の台の前面を覆った。テレビの画面では水没した鋼鉄の箱は見えなくなった。同時にカウントダウンの大きなデジタル時計が映し出され、刻々と残り時間が減って行く様子を示し、視聴者らの緊張感を高めていった。残り二分となった。
 いつもなら、この頃には太郎は幕の後ろにずぶぬれになって立ち、余裕をもって残り二十秒ほどで幕を開け、リモコンで起爆装置を停止するとともに、デジタル時計も残り三秒で止まり、事なきを得た太郎が無事生還した様子がテレビに映るはずである。しかし、今回は一向に現れない。起爆装置はすでに押されて一分以上が過ぎている。一分半後にはいつもの三倍の量の火薬が爆発する。

 この手品のタネは、鋼鉄の箱が水槽の底と密着するやいなや、幕で隠し、助手が水槽の底の気密性の高い扉を開ける。次に鋼鉄の箱の中で太郎の頭近くにある、気密性の高い鋼鉄の扉を太郎が開き、頭から水槽の下に出る。太郎はほとんど濡れていない。水槽の扉は箱の扉より大きく、出入りは簡単である。また、鋼鉄の箱の底は、水圧と箱の重さで水槽の底とは、ほぼ完全に密着しており、多少水が漏れるにしろ微々たるものであった。しかし、その水を隠すため、あえて滝のように水を水槽の正面に流していた訳である。従って殆ど濡れていない太郎が出てくるため、予め水で満たした、数個のバケツを用意し、助手がこれらの水を太郎の頭から浴びせ、十分濡らし、水中を通ったかのように見せる。その間三十秒ほど。いつもは、二分以上の余裕があった。
しかし、今回は水槽の扉を開けても太郎が顔を出さない。助手たちもしばらく待ったが二分経過し残り一分を切り焦り出し、今回の爆薬の量に怯え、バケツを放り投げ持ち場を逃げ出した。幕を持っていた助手たちも逃げる者らに続けと言わんばかりに、彼らを追いかけるように幕を放り投げ、逃げ出した。爆薬の親方は予備のリモコンを押し爆破を止めようとした。しかし、その予備のリモコンが手から滑り落ち、闇の中に消えてしまった。彼らの異変に気付いたテレビスタッフの一人が大声で         
「みんな、水槽から逃げろ」      
と言って十秒も経たないうちに、大音響を立て、水しぶきと共に鋼鉄の箱を十メートルほどの高さに吹き飛ばし、水槽は粉々に砕け散った。この様子は一部始終お茶の間に届くこととなった。幸い怪我人は出なかった。太郎の安否を除いて。
 
 一方、水中の太郎は鋼鉄の扉を開けようともがいていた。しかし、びくともしない。起爆停止のリモコンを押したがこれも反応しない。何が何だかわからぬ間に、大音響と共に、若干の浮遊感を感じた後、強い衝撃を受け、頭を鉄板に打ち付け気を失った。生身の人間が十メートル投げ上げられ、地上に落ちたらまず死ぬであろう。今回、太郎は鋼鉄の箱に入っていたのが幸いし失神で済んだ。しかし、このままだと酸欠でいつ死んでもおかしくない。不幸中の幸いは、気を失っている分だけ酸素の消費量が少なくて済む程度のこと。しかし、これも長くはもたない。
 太郎がこのような状況になったのは、いつもより大型の水槽を作り、出口の位置が五十センチほどずれていたからであった。打ち合わせでベテランのクレーン操縦士に、いつもより五十センチずらすことを告げ、操縦士も了解していた。しかし、本番になるや、操縦士はこの仕事を何十回も行った癖でいつもと同じ場所に鋼鉄の箱を沈めてしまった。このため、水槽の出口と鋼鉄の箱の出口が一致せず、太郎が中から箱の扉を開けられなくなっていた。またリモコンの電波は金属の箱を通過することはできず、微弱な電波のエネルギーは鋼鉄に吸収されてしまい、起爆停止装置の受信機に電波信号が届かなかった。爆破の親方の予備のリモコンも闇に消え爆発を未然に防げなかった。これらが重なったことが、今回の惨事の原因であった。
 
 しばらくして、消防隊のレスキュー隊員が到着した。鋼鉄の箱は出口の扉を下に向け、岩の上にあり、扉から太郎を引っ張り出すことは不可能であった。クレーンで引っくり返すには段取りに時間がかかりすぎた。一亥の猶予もならない。太郎を救うには、大型のカッターで鋼鉄の箱の足のほうを切り開き、彼を引っ張り出すしかなかった。しかし、この作業も想定以上の時間を要した。なにせ上等な鋼鉄を使ったため必要以上に固く、強靭なカッターの刃でも少しづつ切ることしかできなかったからである。結局小一時間ほどかかり、やっと足先が見え、数人がかりで力任せに鋼鉄の底をめくりあげ、やっとの思いで太郎を引きずり出した。救急車に載せられた太郎は虫の息。心電図もかろうじて心拍を示しているが心もとない。やっと病院に着いたころ、太郎の心電図は直線になっていた。

 テレビ局の重鎮はこのような惨状を放映してしまい、世論からの突き上げを危惧し始めた。テレビ局に戻ると、案の定、内部はごったがえしていた。苦情、問い合わせの電話が殺到し、職員たちはこれらの対応に追われ、蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。テレビ局の公式サイトや、太郎のサイトなども炎上していた。しかし、重鎮は思った。
 ……これだけの反響があるとは、太郎も捨てたものじゃなかったんだねえ……
先ほどの危惧もどこへやら。さすが生き馬の目を抜く業界で成り上がるだけの、したたかさの持ち主である。
 ……この際、最初からこのような筋書きでやったことにし、太郎の弔問会を大々的に開催し、これをまたテレビ中継し、故人の望んだお別れの会という番組にしよう……
と思いつくやいなや、番組編成会議を行うことにした。
 ……公開弔問会をテレビで放映すれば、まだ数字はとれそうだな…… 
世間への道義的責任以上に数字で考えるところはいかにも彼らしかった。さらには、太郎の家族にはギャラと一緒に適当な香典を渡し、公開弔問会を開き、放映することで道義的責任も果たしたと言えるじゃないか、と彼なりに納得した。この番組の企画は御多分に漏れず、すんなり通った、というか通した。

 一方、救急車で絶命したはずの太郎の意識はしっかりしていた。ただ、不思議な感覚であった。家族が心配だった。自宅に行きたいと思った。その瞬間、自宅近くの見慣れた街並みが現れた。不思議なのは見慣れた街並みの屋根を見ていることであった。地図サイトの航空写真のようである。何故だか飛べる。自宅を見つけ、中に入ってみた。誰もいない。   
 ……待てよ、俺はどうやって中に入った。壁をすり抜けたよなあ。出らるのか……
やってみた。壁をすり抜け家の外に出ることができた。何度か入ったり出たりしてみた。
 ……何じゃこりゃ。俺は幽霊になったのか。ええっ、これが幽体離脱という奴か。ところで、女房たちはいったい何処なんだろう……
と思った瞬間、結構大きな寺院に飛ばされた。自分の意志なのか、何なのか分からないが、まあ、便利は便利だ。寺の屋根の上空から眼下の様子が見えた。
 ……大勢集まっているなあ。見慣れたテレビ局の放送車も数台。何か中継しているようだ。降りてみよう……
と思うと、今度はふわふわとゆっくり降りた。
 ……立派なお通夜のようだ。いったい誰のだ。あれは女房の花子。隣は息子の五郎と、娘の良子……
自分の家族たちが並んで、来る人々達に頭を下げている。
 ……俺の親父はもう五年前に他界したし、叔父はまだぴんぴんしていたからなあ。
この間会ったばかりで、最後のイリュージョンの話をしたら頑張れと言ってくれたっけ。最後のイリュージョン?やったような、やってないような。ええっ、俺は死んじまったのか。これって俺のお通夜か……
突然、女房の花子の前にいた。 
「おい、花子」
声をかけたが返事がない。無視するかのように弔問客に頭を下げている。
 ……どうも俺の声が聞こえていないようだ。姿も見えていないらしい。何しろ弔問客が俺を素通りして行く……
ふと、後ろを見るとテレビカメラが花子たちを映していた。いつもの女子アナウンサーの声が聞こえた。       
「ええ、このように、かの大イリュージョニスト、太郎さんの死を偲んで大勢の方々が弔問にみえております。こちらは太郎さんの奥様、花子さま、ご子息の五郎さま、お嬢様の良子さまです。先ほどから御弔問にお見えの方々に、ぺこぺこされております」        
 ……ぺこぺこ?まだほかに言い様があるだろう。よくこんな語彙力でアナウンサーに成れたものだ……
傍らでアナウンサーの説明を聞いた太郎は思った。
 ……あんな奴でも重鎮になれるのだから、こんなんでもアナウンサーに成れるんだろうなあ……
と、太郎は心の中で妙に納得した。中に入ってみようと思った瞬間、お別れの会の会場の天井の隅っこに、太郎の視点が移った。弔問の人は千人以上いるようだ。
 ……よく来てくれたものだ……
(ほとんどはテレビに映りたいためであったが)
太郎は大勢の弔問客の中、久しぶりに次郎を見つけた。
 ……彼も来てくれたのか……
ガラスの箱抜けのイリュージョンを行う、今売り出し中のイケメンイリユージョニストであり、もともとは太郎の弟子であった。次郎は中学を卒業すると太郎の弟子になりたい一心で、単身、太郎の自宅にやってきた。彼のテーブルマジックは中学生にして、すでにプロ並みであった。太郎の得意な大仕掛けのイリュージョンをテレビで見て、大仕掛けのネタも習得したいとの思いで弟子になった。十年近く一番弟子として太郎のイリュージョンのアシスタントを続け、次郎という名を与えたのであった。しかしある日、次郎が言った。  
「いつも師匠の腕の鍵かけばかりで何も得る物がございません。今日限りで辞めさせていただきます!」
「勝手にしろ!」
売り言葉に買い言葉。それっきり次郎は姿を消し、疎遠となった。しかし次郎は、四、五年経って天才イリュージョニストとしてマスコミで取りあげられるようになり、今ではイケメンマジシャンの筆頭株としてテレビに出るようになっていた。太郎は、ああ、彼も来てくれていたのかと懐かしく思い、彼のそばに飛んでゆく時、彼の頭が見えた。頭のてっぺんの毛が薄い。苦労したのか遺伝なのか。
 ……とにかく当時、俺も売りだして軌道に乗った頃だった。確かにあいつにろくな技も伝授せず、苦労をかけた。喧嘩別れになってしまい済まないことをしたなあ……
太郎は、次郎にすまないと思う気持ちがこみ上げていた。一方次郎は、
 ……今日はオフでよかったねえ……
今朝、テレビの重鎮が次郎に電話した。
「太郎の後釜としての仕事の話をしたいから、ギロッポン当たりでチャンネエはべらして飲もうじゃないの。ただし、太郎の弔問、そこんとこよろしく」
 ……と言われて来たんだが、早く終わんねーかなあ。辛気臭せなあ。線香のにおい浸みこんじゃうじゃないの。俺にはギャバンの38がお似合いさ……
と思っておるのでありました。
 太郎は正面の祭壇に目をやった。なんというでかい写真。
 ……あれが俺らしい。しかしなんか、もっと良い写真なかったのかねえ。しょぼいね。菊に囲まれて、バラの方が良かったなあ。あの重鎮、予算ケチりやがったな……
ふと、棺桶に目をやると、とんでもなく白いきらびやかな布に覆われ、照明のおかげで燦然と輝き、棺桶が浮き上がって見えた。
 ……うわー、俺の今までのステージよりも数段見栄えがする……
太郎は神々しく輝く棺桶に近づいた。その瞬間、太郎の意識は自分の躯を見る間もなく、自分の体に吸い込まれた。

 太郎は意識をとりもどしたような気分であった。しかし、先ほどまでとは違う。どうも洞窟のようなところにいる。しばらくの間、前と思われる方向に進んだ。要するに前後の判断は真っ暗な洞窟ではできないのであった。時々振り返り、後ろと思われる方向に戻ろうとしても体が跳ね返され、前と思われる方向にしか進めなかった。従って、自分が進む方向が前ということになる。しばらく、暗い中を前へ前へと進んだ。少し明るくなりだした。さらに進むと、暗い洞窟の先に眩いほどの光が見えた。とても心地よく幸せな気分に包まれた。さらに洞窟を進むと、明るい広場があり、一面花で埋め尽くされていた。こうする間も、えもいわれぬ幸福感と安心感に包まれ、ずうっとここにいたいと思うのであった。ふと向こうに人影のようなものが見えた。なんだろうと思い、さらに進むと川があり、向こう岸で手招きする姿が見えた。あっちへ行こうとしたとき、突然、
「帰ってきて」
という声がしたと同時に、ジェットコースターを背中から落下するような勢いで、正気に戻った。なんだか暗い。箱の中。太郎は思いだした。
 ……俺は鋼鉄の箱の中だった。早く出なければ。死んでしまう……
太郎は渾身の力で目の前の箱を足で押した。すると、箱はいとも簡単に開き、すなわち棺桶の蓋が、舞い上がった。太郎はむっくりと起き上った。同時に悲鳴ともつかない声があちらこちらで上がり、弔問客たちが後ずさりした。そしてあたりはしばらく静かになった。が、すぐにざわめきと共に拍手が鳴り始め、やがてそれは渦となった。弔問客たちの口々から、 
「なんと素晴らしいイリュージョンなんだ」 
「ここまで手の込んだイリュージョンは初めてだ。ブラボー」 
と口々に皆叫んだ。
 ……太郎はそうじゃないんだけどなあ……
と思っていた。突然、花子が抱きついてきた。
「よかったあ、生き返ったのね」
テレビの重鎮がやってきた。         
「太郎さん、人が悪いなあ。ここまでやるなんて思いませんでしたよ。最初から話してくれれば良かったのに。それならそれ相応の対応をさせていただいたものを。人が悪いなあ」
重鎮は人さし指で太郎の右肩をツンツンと突いた。次郎が重鎮に近づいてきた。
「例の私のテレビ番組…、ギロッポンでチャンネエの話なんですが……」 
重鎮はうるさそうに、
「何だね。私は大先生と大切な話があるんだよ、君い」
次郎は重鎮の部下二人に両脇をつかまれ、寺の外に追い出された。

 結果的に重鎮の企画は大当たりとなった。一度テレビ界で死にかけた(実際本当に死にかけたのであるが)太郎は重鎮のあくなき欲望のおかげでテレビ界で息を吹き返した。公開弔問会のテレビ放映の評判のおかげで、他局からも引っ張りだことなり、イリュージョンの真相について根堀り葉ほり問いただされながらも、あれは営業秘密と、のらりくらりとかわしつつ、テレビ界を再び泳ぎだしていた。鋼鉄の箱抜けより数段ちんけな手品でも、太郎と言うだけで大イリュージョンとなり、毎日テレビに映る日がまた訪れた。そのような日々が三年ほど続いた。家に帰るのも、半年に一回あるかないかという生活に、さすがに疲れが見え始めていた。年齢も五十歳半ばを過ぎ、普通のサラリーマンならまだまだやれる年齢であるが、業界の不規則な生活がたたり、精根尽き始めていた。やがて目眩がするようになっていた。いくらちんけな手品とはいえ、それなりに神経も使えば、体力も使う。太郎は各テレビ局に出かけると、体力不足を補うため、階段を使うことにしていた。ある日、重鎮のテレビ局でイリュージョンの収録があり、階段を四階まで登っているとき、突然の目眩と共に、後ろに転倒し、後頭部を強打したまま滑り落ち、太郎は気を失った。たまたまこれを目撃した、語彙力に欠ける女性アナウンサーが救急車を呼んだ。彼はまた救急車のストレッチャーに乗せられ運ばれた。そして救急車の中、心電図の波形が間もなく真っ直ぐになった。外因性くも膜下出血だった。今度は本当に死んだ。

 太郎の意識は再び、洞窟の中にいた。見覚えのある洞窟。今度は何も考えずひたすら真っ直ぐ進んだ。前回と同様、広いお花畑に明るい光が見えた。えも言われぬ心地よさと、至福感に満たされた。しばらくそこにたたずみ、前を見ると前回と同様、川があり、手招きする姿を見つけた。川の方に進んだ。手招きする人の顔が段々はっきりしてきた。川岸まで来ると顔立ちが明確になった。太郎は、どこかで見たことがある。良く覚えている。悪い人ではない。むしろ私の人生を作った人だと感じた。子供のころ、毎日この人の手品をテレビで見て私は育ち、修行し、大人になってイリュージョンで成功を納めた。そうだ、この人を目標に生きてきた。そして少しでも近づこうと努力してきた人だ。いや、私にとってこの方は神様だ。少なくとも直接会って一言御礼を言わなければ、と太郎は思った。太郎は川を渡ろうとした。すると向こう岸から手が伸びてきて、太郎の手の甲をつかむと同時に引っ張り、あっという間にその人の横にいた。こんな場所でもイリュージョン? さすがイリュージョンの神様。太郎はひれ伏した。
「君、よしなよ、そんなこと」     
太郎は面を上げた。
「僕は君と話がしたくて仕方がなかった。この世界の居心地は素晴らしいのだが、僕のような寂しがり屋にはお話しに付き合ってくれる人が必要だったんだよ」
太郎は声の主の顔をまじまじと見つめた。間違いない。小学生の時に毎日、夕方テレビでマジックをやり、晩年は大仕掛けのイリュージョンを見せてくれた方。弟子もアイドルのような女性でありながら二代目を継ぎ、世界的なイリュージョニスト。その名は、 
『引田手乃甲』
まぎれもなくこの方だ。
太郎も一時代を築き、一世を風靡したマジシャンでありイリュージョニストであったが、彼の前では憧れのアイドルを前にした女子高生のような心になっていた。純粋と言えば純粋であがるが、五十過ぎのオッサンにしては少々薄気味悪い。
「これから君とたくさん、イリュージョンやマジックについて語り合えると思うと、心がときめくよ」
そう言うと引田手乃甲は太郎に手を差し述べ、二人手をつないで神々しい光の方へスキップをしながら消えていった。


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