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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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怪盗アラベスク

15/10/25 コンテスト(テーマ):第九十五回 時空モノガタリ文学賞 【 秘宝 】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1906

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北風の吹く夕暮れ時、コートの襟をたてた男がひとり、ガード下にみつけた屋台のラーメン屋の暖簾をくぐった。
「親父さん、豚骨ラーメン頼むよ」
「いらっしゃい」
男は椅子にゆっくりと腰をおろした。
髪はほとんど真っ白で、体も痩せているが、暖簾をすりぬけるように入ってきたその身軽な物腰と、ちらとこちらをみたときのその眼光の鋭さから親父は、この客はただ者ではないと踏んだ。
「きょうは冷えるね。客の入りはどうだい」
「さっぱりでさあ」
「もう長いのかい、この商売」
「ええ、まあ、そこそこ」
「親父さんは、転職組だね」
「わかりますかい」
客は短く笑った。
「一杯、もらおうか。冷でいいよ」
「へい」
親父は客の前にコップを出すと、一升瓶を手にしてそのコップにとくとくと酒をついだ。
彼はコップは握ったものの、しばらく透明な液体に目を凝らしてから、
「おごるから、親父さんも一杯つきあってくれないか」
「いいんですかい。それじゃお言葉にあまえて」
親父は自分の分をコップにいれた。
「私の退職祝いだ」
そういって彼がさしだすグラスに、親父もそっとグラスをあてた。二人、一気に酒を飲み干した。
「会社を退職されたので」
「いや、ひとりでやっていた稼業を引退するのさ」
「きいてよろしいですか、その稼業ってのは」
まさか泥棒だったらどうしようと親父は、こういうとき都合よく上を電車が通ってくれないかなと、祈るような気持ちになった。
「なに、探偵さ」
「探偵」
「そうなんだ。もうかれこれ50年近くつづけてきたんだが、さすがに寄る年波でね、気力も体力も尽きてしまった」
親父はそれにはただ小さくうなずいた。最初みた印象にまちがいはなかった。隙のない身のこなしといい、注意深いまなざしといい、なるほど長年探偵家業に勤しんできた人間なら、それも道理だ。
「これまでにも、かなりの数の難事件に携わってきた。警察でお手上げになると、必ずといっていいほど私のところに回ってくるんだ」
男はそして、過去に起こった数々の盗難事件の犯人たちを悉く捜しだしたことを、べつに自慢するわけでもなく話した。
「それはたいしたもんだ。おみそれしました」
親父は、これから使おうとしていたラーメンの器を急遽、別の上等な器に取り換えた。何もない屋台だが、せめていい器で食べてもらいたいという親父の気持ちだった。
「ながいあいだお疲れさまでした。それだけの業績をおあげなさったあなただ、もう探偵として思い残すことはないでしょう」
男の顔がいまいましげに歪むのを親父はみた。
「それがあるんだ。親父さんもしってるだろう、南東泥炭坊の生涯最高の傑作といわれ日本の秘宝とまで謳われた山草鉢盗難事件を」
「もうだいぶ前の話ですね。ええと、たしかあれは、犯人が見つからずじまいで結局、迷宮いりになったとか」
「そうだ」
彼は、握りしめた拳をふるわした。
「それじゃ、その事件もあなたが………」
「私がもっとも油がのっていた時期で、絶対の自信をもってとりかかったが、ついに犯人を捜しだすことはできなかった」
「たしかそいつの名は、怪盗アラベスクとかいいましたっけ」
親父はそこで、ラーメンの出汁を入れおえ、ネギと卵と厚めのチャーシューを乗せて、
「へい、お待ち」
客は、湯気がたちのぼるラーメンを前に、急に食欲をかきたてられたらしく、箸を握るなり、ずるずるとやりはじめた。
「うまい。親父さん、本場の博多ラーメンにもひけはとらない」
「嬉しいことをいってくれますね。―――お客さん、これはあっしのおごりだ」
親父は身を乗り出して客のコップに、一升瓶を傾けた。
「こうして名探偵さんの晴れの引退の場にめぐり合わせたのも何かの縁だ、長い間本当にご苦労さまでした」
「ありがとう」
胸に迫るものがあるのか彼も、思わず声を詰まらせた。
彼は一滴の出汁も残さずラーメンを食べ終えると、椅子からたちあがった。親父が声をかけたのはそのときだった。
「よろしかったら、お名前を教えてもらえないですか」
彼は酒の酔いに、目のふちを赤くしながら、
「名前か、名前は、あ―――」
そのときちょうど真上を電車がとおりかかった。電車が通過してからもう一度親父が聞き返そうとしたときには客の姿は、揺れ動く暖簾の向うに消えていた。
親父は、まあいいかといった顔で、客が食べていた鉢を洗いはじめた。
そのくちもとにふと笑みがもれた。
「あの名探偵さん、確かに焼きがまわったようだな。自分の眼前に、捕えそこなった怪盗がいたとも気がつかないとは」
この店の屋号が『からくさ屋』で、暖簾の下半分にカラクサ模様が描かれているのも、アラベスクを名乗った泥棒時代のせめてもの名残のつもりだった。洗い終えた南東泥炭坊作の器を布巾で拭うと親父は、もとの棚の上に大切そうにもどした。


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