冬垣ひなたさん

時空モノガタリで活動を始め、お陰さまで4年目に入りました。今まで以上に良い作品が書けるよう頑張りたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。エブリスタでも活動中。ツイッター:@fuyugaki_hinata プロフィール画像:糸白澪子さま作

性別 女性
将来の夢 いつまでも小説が書けるように、健康でいたいです。
座右の銘 雄弁は銀、沈黙は金

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優鬱

15/10/19 コンテスト(テーマ):第九十三回 時空モノガタリ文学賞【 憂鬱 】 コメント:10件 冬垣ひなた 閲覧数:1336

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初めてカフェへ行った日を覚えているだろうか?
居心地の良いソファーに肩を並べ、小難しそうなメニューを片手に囁き合う、12歳の少年だった冬を。
見晴らしの良い高台からは、木枯らしの吹くお前の家が見えた。
母親はとうに男を作ってあの家を出て、酒乱の父親はよくお前を殴った。ノロマだ愚図だと罵り続ける声が、近所に住む俺の家にまで届いたが、誰も警察に言う者はなかった。
「あの子も年頃になれば、グレて家を飛び出すだろう」、谷底から這い上がった獅子の子に気概があればいずれ親を倒すと、しかめ面で言う俺の親は、要するに腰ぬけだった。
あの日はお前の誕生日だった。
二人で一つのケーキを分け、俺たちは目を白黒させながら砂糖とミルクで風味を殺したコーヒーを飲んだ。
奢られて悪いと思ったのだろう、お前が苦味に耐え最後まで飲み干したのを見て……。
俺の胸は、砂礫が混じったようにざらついた。


「お待たせいたしました」
ウェイトレスが食後のコーヒーを運んでくる。
カップを口元に運ぶと豊かな香ばしさが鼻腔を通り、久瀬の脳裏にあの日の事が蘇る。
地上24階のガラス越しに、排気ガスでくすんだ街を見下ろしながら、三河も同じ思いがしただろうか。向かいに座る彼は、いつにも増して神経質な面持ちであった。
久瀬の微かな鼻息に、コーヒーは黒い波紋を描く。口にすると心地よい酸味が舌の上でふわりと広がってゆく。
久瀬も今は小さな飲食店を経営し、三河は世に小説家として名を知られる身になった。
道を違えてからも定期的に交流を続け、もう人生の半ばを過ぎる年になったが、三河は酒を一滴も飲まない。結婚式や授賞式も彼のグラスだけは、ノンアルコール飲料だったそうだ。だからこうして陽の高いうちに会う。
自分から呼び出したわりに、三河はほとんど口を聞かない。元々寡黙なたちだが、今日は殊更であった。コーヒーに手をつける様子もない。
貴子の事か、久瀬は思った。


この男と共に暮らした貧乏時代、生活の染み一つ感じさせない、晴れやかなケニー・Gのソプラノサックスをよく聴いた。
「俺はな、この社会を書き換える」
三河はいつだったか、そんな事を呟き社会の頂点を目指し飛び立った。
彼が一握りの成功者になることを、久瀬は予感していたが、妬みというのをおおよそしない男だった。だから長らく信頼を得て付き合っていられたのだ。口に残るほろ苦さに、親友に逆らい抱いた女の、石鹸の香りが紛れ込む。だが罪は洗い流すことはできず、後ろめたさに俯く。
三河が唐突に口を開いた。

「貴子から、話は全て聞いた」

「今、俺が何を考えているか、知りたいか?」

「お前の殺し方」

久瀬はカップを落としそうになった。白磁の中で揺れた液体が、慣れないスーツの袖口を汚す。火傷はしない、だが皮膚の下を熱さがじわりと伝い、客商売で鍛えた久瀬の平常心を崩した。
三河は、少し口角を上げた。
「冗談だ。お前が、全部なかったことにするなら」
久瀬は押し黙るしかなかった。
三河の妻である貴子と、過ちを犯したのは昨年の冬だった。
元々貴子は久瀬の店の客で、貴子が選んだのは常連の三河だった。
しかし結婚してからの貴子は、三河の束縛の激しさに疲れていた。いまだ独り身の久瀬は慰めるうち、どちらからともなく、何度かそういう関係になったのだ。
貴子は責められたのだろうか?久瀬は彼女を案じた。
何事もなかったかのように、三河はウェイトレスにおしぼりを持って来させる。そして、有無を言わせず久瀬の手首を掴んで袖口を捲ると、おしぼりで汚れを拭った。


コーヒーを初めて飲んだあの日。
この苦さは毒で、死んでしまうのではないかと思った。
死ぬのもいいかもしれない。
あんな父のいる家に帰るのは、もう嫌だ。
そう言う久瀬を見て、三河はやはり口角を少し上げ笑ったのだ。
それからしばらくして、久瀬の父親は泥酔して用水路に落ち死んだ。
誰もが事故死として片付けたが、家に転がる酒の空瓶が見知らぬ銘柄だった事を、久瀬は警察に黙っていた。
父に酒を飲ませ、用水路の前の道に誘い出し……突き飛ばした。本当にそんな事をしたのか?
三河には怖くて聞けなかったので、久瀬は近所の酒屋を訪ねた。
酒の出所はやはり三河だった。
彼はわざと瓶を残したのだ。


俺か?貴子か?
無言で問う三河という男を、未だに久瀬は分からない。
憂いしか持たなかった自分が、この男の人生から祝杯を奪った理由も、混沌とした感情の海に、散り散りに破り捨てられて永遠に漂うのだろう。
残りの半生が締め付けられ窒息する様を思い描き、陰鬱な面持ちの久瀬に、三河はそっと自分のカップを勧める。
次に貴子と会う時は他人だろう。俺の思い出の中の三河は殺せない。
だが、信じてほしい。
ケニー・Gに焦がれた一瞬だけは、俺達はまともな人間だった、と。


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このストーリーに関するコメント

15/10/19 冬垣ひなた

≪補足説明≫

上の写真は写真ACさまからお借りしたものを加工しました。

15/10/20 クナリ

少し表現が回りくどく感じる箇所もありましたが、内容が濃くて面白かったです。
最後の一文が印象的ですね。

15/10/20 滝沢朱音

うまく言えないけど、ハードボイルド?でかっこいい。渋くて苦くて。
「皮膚の下を熱さがじわりと伝い、客商売で鍛えた久瀬の平常心を崩した」
こういう表現、劇画っぽくてすごく好きです。
12の少年だった頃からの二人の関係性と「優鬱」というタイトル。深いですね。

15/10/23 泡沫恋歌

冬垣ひなた 様、拝読しました。

とても興味深いお話なのだけれど、少し登場人物についての説明が分かり難いように
感じました。
子どもだって、殺意は芽生える。
そういう気持ちが強く伝わってきました。
もう少し長い話にすれば、登場人物たちの話がよく見えると思います。

15/10/23 冬垣ひなた

クナリさん、コメントありがとうございます。

ご指摘ありがとうございます、文章表現にもっと気を使わなくてはと思います。
メンタルの調子が上がってきたので、濃い話にも時折チャレンジしていきたいです。
彼らにとって精神年齢と身体年齢が一致した時期が、一番幸せだったんじゃないかと考え、
ラストをそこにしました。


滝沢朱音さん、コメントありがとうございます。

一番最初20歳くらいの設定だったのですが、自分と同年代に落ち着きました。
劇画っぽい描写は私も好きですね。今回は大人向けの話なので、
熱が伝わるような表現を心がけました。
自分の引きだしの限界近い作品ですか、お読みいただけて光栄です。


泡沫恋歌さん、コメントありがとうございます。

彼らの年に、私の友人は父親の無理心中で亡くなりました。改めてみると三河は自己投影が入っていると思います。
人間の暗部というのを小説として昇華できればよいのですが、まだまだ未熟者です。
小説とは他者と喜怒哀楽を共有するものだと思いますので、分り難い所はご指摘頂けると嬉しいです。
確かにこの話は長めにした方が良いですね、ありがとうございます。

15/10/23 光石七

拝読しました。
とても濃い内容で、読み応えがありました。
対峙する二人の描写が渋くて、コーヒーを袖口にこぼしたくだりには息をのみました。
コーヒーの使い方が効果的ですね。
最期の一文は秀逸だと思います。
面白かったです。

15/10/30 冬垣ひなた

光石七さん、コメントありがとうございます。

読み応えがあるといっていただけて良かったです。
コーヒーは以前のテーマにあり、いつか書いてみたいと思っていまして、
普段場面転換の多い動の作品が多いので、今回は静の作品に挑戦しました。
タイトルもありますし、最後にやっぱり「人」は入れたかったのです。

15/10/31 草愛やし美

冬垣ひなたさん、拝読しました。

うーむ、厳しい友情ですねえ。切れやしない繋がり、なぜこういう事態になってしまったのか?──人生にはこういうどうしようもないことが時に起こるものでしょうね。二人の腐れ縁が真に迫るもので、一気に読み進みました。
何とかならないのかなるわけない、呪縛のように絡まった関係、憂鬱そのも、逃れたくても、死ぬまで続くのでしょうねえ。

15/11/04 そらの珊瑚

冬垣ひなた様、拝読しました。

三河はあえて瓶を残して久瀬のことを試したのかもしれないと思いました。
久瀬が黙っていたことで二人は罪を共有してしまった。
単純な友情とも違う、人の心の闇の重さでつながれてしまった二人という気がしました。

15/11/08 冬垣ひなた

草藍やし美さん、コメントありがとうございます。

何分リハビリの名目で書いている身ですので、この内容は冒険だったりしますが、今まで頑張った自分へのご褒美として趣味全開で書きあげています。
世の中のどうしようもない事に直面したとき、
社会や大人に救いを求め裏切られたと感じるのでしょうが、二人にはそういう部分がないのかもしれません。


そらの珊瑚さん、コメントありがとうございます。

三河の行動は献身的ともいえますが、その根源は独占欲なのでしょうね。
瓶を残していった理由は今回一番読者に問いかけたかった所なので、汲みとっていただけて嬉しいです。
私には珍しい作品かもしれませんが、泥沼化した人間関係というのも一度書いてみたかったのでチャレンジしました。

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