智宇純子さん

思いつくままに綴りますが、読む方が好きです。 『素人の読み手』としておじゃまさせていただきますので、至らぬ点が多いかと思いますが、どうぞご容赦ください。 ※諸事情により、登録当初から使っておりましたニックネーム『ポリ』を『智宇純子』に変更しました。引き続きよろしくお願いいたします。

性別 女性
将来の夢
座右の銘 自由になりたければ自分の言動や行動に責任を持て

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15/10/15 コンテスト(テーマ):第九十四回 時空モノガタリ文学賞 【曖昧】 コメント:10件 智宇純子 閲覧数:1056

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 薄暗い店内、うっすらと流れてくるマイ・ファニー・ヴァレンタイン。タバコの煙とアルコールのにおい、そして人の吐息が漂うカウンター。
 ああ、ほっとする。三橋は腕時計を外すと、スマートフォンと一緒にそっとカウンターの上に置いた。

 この継ぎ目のないカウンターはマスターが一本の古い木を削って造ったものらしい。木の温もりと時間の重みを感じさせてくれるこのカウンターが三橋はたまらなく好きだった。この木の一本一本の年輪がイライラした心を和ませてくれる。だから三橋が面談をする時はこのカウンターを利用する時が多い。

『すみません、一時間ほど遅れます』

 先程、相談者からそんなメールが届いた。待つのは慣れている。一時間くらいなんて事はない。ドタキャンされるよりよっぽどマシだ。

『承知しました。お待ちしております』

 三橋は灰皿から落ちそうになっている煙草を横目に、丁寧に、しかし事務的にメールを打った。

 その返信は恐ろしいほど早かった。おまけに「私、なかなかイケているでしょう?」そう言いたげに露出度の高い写真を添付してきた。こんな綺麗な私のためなら頑張って仕事をしたくなるでしょう?そんな気持ちでいるのだろうか。男はみんな、女であることを匂わせれば快く動くと思っているのだろうか。

 依頼人は調査が終わると人が変わる。二年近く毎日のようにやり取りをしていても、その後は嘘のようにぱったりだ。道で偶然出会っても『その頃のことは思い出したくない』と言うように気付かないフリをされることも多い。大事な人生の選択時に携わっているのに、その功績をたたえるどころか存在すら一瞬にして消されてしまう。
 それなのに、不幸が訪れると「お久しぶりです」などと、数々の無礼がなかったことのように親しげに連絡をよこしてくる。

『女を餌にせずに、きっちり金を払えよ?オバハン』

 そう打ち込んだ文字を眺めながら、三橋はこらえきれずにうつむきながら肩を震わせて笑った。後ろをOL風のメガネの女が怪訝な顔をして足早に通り過ぎる。パンプスの音の後に残された甘い香水とアルコールの混ざったにおい。そんなちょっとしたハプニングが昔の思い出とリンクして、それがまた心地よい。

 時々対象者だった人を見かける時もある。相手はもちろんこっちのことを知るわけもないのだが、こちらからしれみれば妙な親近感がある。仕事として動いている時は依頼人に絶対服従だが、こうして契約から解かれてしまえば普通の人間になる。

 そうなった時に思うこと。

 今は何をやっているのだろうか。元気にしているのだろうか。今、幸せなのだろうか。

 三橋はチェット・ベイカーの歌声に合わせ、ほんの少しだけ顔を左右に揺らした。酒を呑んでいるわけではないのに彼の歌声はなぜかこんなにも心を酔わす。

 カウンターの隅の方にグレーのスーツを着た男が座っているのには最初から気付いていた。ただ、男はひたすら反対方向の入り口の方を気にしていて顔が見えず、「マスター。もう一杯同じものを」と、振り向いたときに始めてその男が小林であることに気がついた。

 一年ほど前に一ヶ月尾行した男。誰かと待ち合わせだろうか。三橋は視界ぎりぎりでそんな小林の姿を捉えながらウーロン茶を口に運んだ。

 口の端を親指でさする癖、しかめた顔をして煙草を吸う姿。相変わらず絵になるいい男ぶりだ。しかし、前のようなギラギラした鋭さはなくなっていた。やはり、あの一件が彼に大きなダメージを与えたのだろうか。

 三橋の脳裏に地味だがとても気高く清楚な女の姿が浮かぶ。その間を割るようにカップルの場違いな笑い声がキンキンと響き渡った。三橋は記憶を辿るように一瞬目を細めると、眉間に皺を寄せながら煙草に火をつけた。

 三橋は一年前、小林の妻から愛人の存在や居場所、その子供の学校などの調査を受けていた。報告した時のあの妻の態度を思えば、愛人はただではすまなかったであろう。しかし、小林の左手の薬指には一年前と変わらないプラチナの指輪が光っている。三橋は胸の奥に鈍い痛みを感じた。

 確か、小林元幸だったよな。

 約束の時間まであと十分。三橋は氷がすっかり解けてしまったウーロン茶を横に頬杖をつきながら、

「あの人は今、幸せなのだろうか」

 そんな思いを巡らせていた。


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このストーリーに関するコメント

15/10/16 W・アーム・スープレックス

面白い世界をお持ちですね。全編に大人の香りがふんぷんと漂っています。マイ・ファニー・ヴァレンタイン。まさにこの物憂げで深みを帯びた曲そのもののように三橋の回想が繰り広げられ、詩情に流れることなく、しっかりした文体でストリーが展開していくところなどは見事で、可能性を感じさせる作品です。『きっちり金を払えよ?オバハン』このフレーズ、気に入りました。

15/10/16 智宇純子

W・アーム・スープレックス 様
最後まで読んでいただき、更にコメントまでくださいまして、ありがとうございます!
マイ・ファニー・ヴァレンタイン、ご存知でしたか!
たまたま家で独り呑みしながらこの曲を聴いていたら、ふと、こんなシーンが思い浮かんできたので作品にしてみました♪
もしも、一人でもこの作品を読むことで「どんな曲だろう?」と興味を持って検索していただけたのなら、書いた甲斐があったというものです。

15/10/19 6丁目の女

冒頭から独特の雰囲気があって引き込まれました。
描写が丁寧なので、情景が鮮明に浮かびます。
展開が面白く、飽きさせません。小説の舞台とストーリーがマッチしていて素敵な作品でした。

このモノガタリを読んで…ハッとして部屋の中を探してみると…買ったまま開封していないCDを発見しました!
チェット・ベイカーさま、ファンの皆様、本当にごめんなさい。
マイ・ファニー・ヴァレンタイン、大好きになりました!

15/10/19 智宇純子

6丁目の女 様
読んでいただき、コメントまで!本当にありがとうございます。
私、酒と煙草と音楽と色事。この組み合わせがなぜか大好きなんです。
マイ・ファニー・ヴァレンタイン。いろいろな人が唄ったり、奏でたりしていますが、私はダントツでチェット・ベイカーが唄っているのが好きです♪
酒の肴にぴったり。ドライ・ジンが数倍美味しく感じる(笑)

15/10/20 6丁目の女

酒と煙草と音楽と色事の組み合わせが大好き、共感します〜!

今度、飲みにいきたいですね!(笑)

15/10/20 智宇純子

6丁目の女 様
共感していただき、嬉しいです。呑みですか?いいですね(笑)
『時空モノガタリオフ会』とかあったらいいですね♪

15/10/25 メラ

智宇純子さん、拝読しました
いいですね。チェットベイカー、僕も大好きです。
雰囲気のある物語でした。短い空間を切り取った中に、想像力を刺激する情景。
探偵物は王道ですが、こういう短い回想ややりとりも面白いですね。

15/10/25 智宇純子

メラ 様
読んでいただき、コメントまでくださいましてありがとうございます!
探偵モノをはじめとした職業が絡む物語というのは、本職の方たちの願望や理想が詰め込まれているような気がします。
だからこそ、思い存分語らせてあげたい。良い音楽にのせて。

15/11/08 光石七

拝読しました。
恥ずかしながらマイ・ファニー・ヴァレンタインを知らず、YouTubeで探して聴いてみました。雰囲気のある素敵な曲ですね。この曲から着想を得られた作品とのこと、聴きながら読み返して深く納得しました。
ある探偵の日常のほんの一コマ、大きな出来事が起こるわけでも動きがあるわけでもないけれど、舞台設定もちょっとしたしぐさの描写も見事で、探偵ゆえの漠然とした切なさ、業のようなものを感じ、心に残るお話でした。
素晴らしかったです!

15/11/08 智宇純子

光石七 様
最後まで読んでいただき、感想までくださってありがとうございます!
曲も検索していただいたとのこと。とても光栄です。
なんでもない日常が視点を変えることでドラマティックになっていく。その人の当たり前が他人の心をハッとさせることがある。だから書くことは面白い(笑)

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