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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
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たそがれ時

15/10/12 コンテスト(テーマ):第九十四回 時空モノガタリ文学賞 【曖昧】 コメント:2件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1773

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 この辺り一帯で続発している殺人事件の知らせが入ったときも弥生は、バルコニーのロッキングチェアにゆったりと腰をおろしていた。
 弥生の家は、まちのはずれを流れる河の手前にあって、彼女の位置から広々とした河川敷がながめられた。
 いまじぶんともなれば、折からの夕日に血のように赤く染まった川面と、河川敷に疎らに点在する人影が相まって、どこかムンクの絵のような病的な印象を漂わせている。
 弥生は毎日バルコニーから、そんな川沿いの風景をみるのを楽しみにしていた。
 その知らせは、隣家で一人で暮らす根矢という老女がもたらした。
「何人もの人が、ひどい殺され方をしてるんだって。猟奇殺人ってやつかね。ああ、なんて惨いことを。本当に、神も仏もあったもんじゃないわ。警察が大勢の警察官を投入して、懸命に犯人を捜しているらしいけど、さっぱりみつからないんだってさ。まったく近頃の警官も地におちたねえ。おかげで善良なあたしたちは、恐怖で縮みあがらなくちゃならない。いまにもそこらあたりから、凶悪な殺人犯がのっそり姿をあらわさないかと、まったく生きた心地もしないよ。弥生ちゃん、本当に気をつけるんだよ。こんなバルコニーなんて、あたしでさえとびこえられるぐらいだ。前方の河川敷からだったら、誰でもやってこれる。もうじきあたりはたそがれ時だ。たそがれの意味をしってるかい。日が落ちて、あたりが薄暗くなり、ちかづいてくる人の顔があいまいで判別できなくなることをいうんだ。そんなたそがれにまぎれてやってくる誰かが、殺人犯だったりしてね。ああ、恐ろしい………」
 弥生は、老女にむかってにっこりとほほえみかけた。
「ご忠告、ありがとう。いつも親切で優しい根矢おばあさん。だけどわたし、ここで夕方をむかえるのが好きなの。だからもうしばらくここで、アンナちゃんといっしょにいるわ」
 いま弥生の口から出たアンナちゃんは、彼女の足元の床に置かれたクーハンのなかに横たわっていた。
 根矢は、近頃とくに聞こえが悪くなった耳を一心にそばだてて、なんとかいまの弥生の言葉をききとることができた様子で、
「可愛い、アンナちゃん」
 と、バルコニーの外から、アンナちゃんに向って歯の抜けた口で笑いかけた。そして弥生にも手をふると、もう一度念を押すように、
「くれぐれも用心を怠るんじゃないよ。この外にでる扉にも、しっかり中から鍵をかけておおき。なんだ、はずれてるじゃないか。すぐにもかけておくんだよ。いいね。わかったね」
 くどいぐらい繰り返してから根矢は、腰を丸めた姿勢で隣の自分の家にもどっていった。
 その老女の後ろ姿を目で追いながら弥生は、やれやれといった顔で、ロッキングチェアにもたれかかった。
「年寄って、どうしてあんなに心配性なのかしら。あらあら、おかけですっかり日が落ちちゃったわ」
 さっき根矢が蘊蓄を傾けたたそがれが、ぼちぼち河川敷一帯にたれこめようとしていた。
 川面をわたって吹いてきた風が、弥生の髪を爽やかになでつけた。
 彼女は腕をのばすと、クーハンの中で眠るアンナちゃんに、布団をかけ直してやった。
 その彼女が顔をあげたとき、青黒い影がおおいはじめた河川敷から、こちらにむかってゆるやかな傾斜地をあがってくる人影が目についた。
 どうやら男とだけはわかるものの、あとはいくら目を凝らしても、顔の見分けまではつきそうにない。
 弥生は、あいだに木立をはさんだ根矢の家を見やった。河川敷に面した窓には灯りも見えず、おそらく老女はあの人物には気づいていないにちがいない。
 辺りをみまわしても、誰もいそうになかった。大声をあげても、耳の遠い根矢はもとより、 聞き取れる者など一人もいないだろう。
 男は、確かな足取りで、弥生のいるバルコニーにちかづいてきた。
 弥生はロッキングチェアからたちあがると、アンナちゃんの上に身をかがめた。
 そのとき男の影に包まれた顔がぬっと、バルコニーの手摺の上にあらわれた。
「すみません、ちょっとものをたずねたいのですが」
 バリトンの声が、弥生の耳の奥をふるわした。
 弥生は、アンナちゃんの布団の中からなにかを取りだすと、バルコニーの柵のところまで歩みより、鍵のかかってない扉を開けた。
「なんでしょうか」
「この辺りに、田中さんという方のお住まいは―――」
 男の目がそのとき、かっと見開いた。ふりあげた弥生の包丁が彼めがけてふりおろされた直後のことだった。男の胸に深々と突き刺さった刃の周囲からいま、思いだしたように血が噴き上がった。
 男がベランダの下に崩れ落ちていくのをみとどけた弥生の顔に一瞬、凄みのある笑みがよぎった。
 彼女はそして、クーハンから人形を抱きあげると、すでに闇がおりはじめた河川敷にむかって、悲鳴をあげた。


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このストーリーに関するコメント

15/10/19 智宇純子

最後に「あー!そういうことかー!」と、思わず声が出てしまいました。
完全にやられたって感じです。
全体に感じる夕暮れ(昼と夜の境目)の曖昧さとストーリーがマッチしていて、すっかり話しの中に入り込んでしましました。さすがです!

15/10/19 W・アーム・スープレックス

『たそがれ』と言う言葉は昔から好きです。ちょうどこれ、曖昧な時分のことですから、作品にしようと思いました。
読まれた方から『やられた』というセリフをきくときほど、快感をおぼえることはありません。あまりいい性格ではないのかなと、いつも思います。

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