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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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ゆううつ屋

15/09/23 コンテスト(テーマ):第九十三回 時空モノガタリ文学賞【 憂鬱 】 コメント:2件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1676

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これは私が小学生の時の思い出だった。
放課後、すぐに家に帰っても、両親が共働きで家に誰もいないので、私はときどき、帰路の途中にある焼きそばとお好み焼きを食べさせてくれる店に立ち寄ることがあった。
鉄板のついたテーブルが一台きりの、4人が向かい合って座れば満席という本当に小さい店だった。坂の途中にあって、すぐ前の細い側溝には、山からの澄んだ水が流れていた。
私はそこでよく、焼きそばを食べた。鉄板に火を入れて、その上で店のおばさんがテコを二枚もち、具材とともにソバをさばいてくれるのだ。空腹の私には、ソースが絡んだ焼きそばはたまらなくうまかった。ヤカンからついだ玄米茶がまたこれにぴったりあった。
おばさんの顔は、いつも暗くて沈んでいた。笑みや、陽気な顔は思い浮かばない。
借金で首が回らないとか、家族に何らかの不幸があったとか、あるいは本人が不治の病にでも冒されていたのか……。もちろん当時の私に、そんなことがわかるずもなく、これはその後の人生において、世間も知り、家族や周囲の人々を知るに及んで得た様々な人生模様からはじきだした私なりの結論だった。
子供の頃の思い出の中で、あのおばさんの店のことが、記憶に鮮明に焼き付いているのも、おばさんのその顔に宿った際立って憂うつそうな表情のせいだったのかもしれない。
私はこの店の名前を、『ゆううつ屋』と覚えていた。
自分でも、そんな屋号があるはすがないとなんども否定したが、確かにあの時、入り口につりさげられていた提灯には、ゆううつ屋と書かれていたような気がしてならない。もしかしたらそれは、あのおばさんの表情から私が自分の記憶を勝手に改ざんしてつけた名前かもしれない。独り歩きしたイメージを、本気で思いこむというのは、私のような思い違いの多い人間の典型的なパターンではないか。
今回、私はあることで当時私がすんでいた家のそばまで出かけることになった。昔の知り合いが今度、選挙に立候補することがきまり、気は進まないながら応援にかけつけることになったのだ。
『ゆううつ屋』はその知人の住いから歩いてもしれた距離にあったので、いまはどうなっているだろうと思いながら私はきょう、その場所まで足をのばすことにした。
そこは、当然だが、普通の民家になっていた。前の側溝にはいまも、子供のころのぞきこんだ時とおなじ、山からの澄んだ水がたえまなく流れている。
私は、家構えだけは同じだが、当時の入り口に変って、ぴったりとじられた重たげな玄関をみて、そのまま立ち去ろうとした。
そのとき、ふいに玄関があいて、中年をすぎた婦人が出てきた。
私はその女性をひと目みるなり、この人はあのおばさんの娘さんだと直観した。
顔や雰囲気の相似もさることながら、私にはこの人から伝わってくる、あのとき目の前で焼きそばを焼いていたおばさんの、なんというか、匂いとでもいうものを確かに感じたのだった。
そんな私に、相手もまた何事かを感じたのか、その場にたちどまってこちらを、しげしげとみつめだした。
「すみません。ここは昔、食べ物屋さんでしたね」
唐突に、私は切り出した。
「ええ、焼きそばとお好み焼きを、母が焼いていました」
「私は子供のころ、よく食べにきていました」
「それは、それは。ありがとうございます」
丁寧に、お礼をいわれたことで、私は面はゆい気持ちになりながらも、いままさに、長年の疑問が解けるときがきたという思いで、心を子供のように激しくときめかせた。
「あのう、お店の名は、『ゆううつ屋』でしたよね」
「ゆううつ………や」
彼女はしばらく空を見上げるような目つきをしていたが、急に腹を抱えて笑いだした。
「ちがいますわ。『ゆううつり』っていうのです。ほら、ここ坂の途中に建っていて、夕日がもろに店の窓に映るところから、母がつけたのです。ああみえて母、文学少女でしたのよ」
「はあ、『ゆううつり』ね」
確かにいま私のたつ路面には、おりからの午後の陽射しが、明々と照りつけていた。
おばさんは20年前に亡くなっていて、家を引き継いだ彼女がここにお婿さんを迎えて住んでいるのだという。
腹を空かせて、店にとびこむ子供は、いちいち提灯の屋号など確かめなどしない。『ゆううつり』とあったのを、私の頭はいつの間にか『ゆううつ屋』にすりかえていたものらしい。そこへ、おばさんのあの、顔だ。いやおばさんだってきっと、明るく楽しい表情のときもあったにちがいない。私が『ゆううつ屋』と決め込んだ時点で、あのおばさんは永遠不変の憂うつ顔に固まってしまったのだろう。
その後もときおり、あの店のことを思い出すことがあったが、やっぱりおばさんの顔は苦渋にみちたそれであり、店の名前は『ゆううつ屋』にかわりなく、『ゆううつり』同様、私にとっておばさんの明るい笑顔は、どうにも馴染まないものだった。


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このストーリーに関するコメント

15/10/20 光石七

拝読しました。
記憶が事実とは異なっていたこと、私もあります。2、3歳頃に動物園でパンダを見た記憶があるのですが、両親曰く「その動物園にパンダはいなかった」と。でも、私の中ではパンダの記憶は本物で。
主人公の思い込みも、事実が判明してもどうもしっくりこないのも、すごく頷けます。
小さなお店の様子と暗いおばさんの顔がはっきり見えてきて、主人公の記憶を共有しているような気持ちになりました。
ノスタルジックな雰囲気も魅力的なお話でした。

15/10/20 W・アーム・スープレックス

私もそのパンダは光石さんにとっては本物のパンダだと思います。
たとえ動物園にいなかったとしても、光石さんは、みたのでしょう。それは光石さんのパンダで、言い換えれば創作の原石のようなものではないでしょうか。そういうものがいっぱいあればあるほど、人は豊かになっていくような気がします。

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