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梨子田 歩未さん

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もう少しだけ……

15/09/07 コンテスト(テーマ):第九十回 時空モノガタリ文学賞【 祭り 】 コメント:0件 梨子田 歩未 閲覧数:1140

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 引っ越しの準備に追われ、気が付いたころには夕暮れの秋風に乗って、祭囃子が聞こえてきた。
 ミオが窓辺に近づくと、姉の奈緒が段ボールにガムテープを貼る手を止め、「お祭りか」と呟いた。奈緒は床に寝っ転がった。ミオもそれにならった。
「引っ越し、どうしてもするの?」
 奈緒は答えない。ミオは自嘲気味に笑った。
「ひとりで住むには、広すぎるよね。って、わたしのせいか。怒ってる?」
 天井の茶色いシミを染みを見て、奈緒が言った。
「これ、前からあったかな」
 ミオは染みを見つめた。
 大小の歪な形の染みが徐々に丸みを帯び、球になり、色づく。蛍光ピンク、赤、黄、緑。球が次々と天井から零れ落ちた。
 床に落ちた球は、ミオの首元で弾んだ。弾む感覚が徐々に短くなり、ついには動きを止めた。ミオは上半身を起こし、球を一つ手に取った。スーパーボールだった。
「クリーニング代、かかるかな」
 奈緒の声に、ミオは現実に引き戻された。シャボン玉がはじけるように、スーパーボールはぱちんと消えた。
 奈緒は立ち上がり、窓にもたれかかった。奈緒の目から一筋の涙が流れた。
「泣かないでってば」
 奈緒の涙は見たことがなかった。いつも泣くのは、ミオの方だった。
 ミオが小学一年生になった時、始めて奈緒と二人で近所のお祭りに出かけた。
 お小遣いの千円札をそれぞれ握りしめて、にぎやかな境内に足を踏み入れた。屋台のクレープ、リンゴあめ、くじ引き。裸の電球が揺れて、屋台を照らした。
 人ごみの中を歩くうちに、握った手が離れた。ミオははぐれたことよりも、目当ての屋台に心を奪われて、うっとりとため息をついた。
 輪になったビニールプールの中でゆっくりと水が流れ、大小色とりどりのスーパーボールが回っている。
 ミオがかがみこんで夢中で流れるスーパーボールを目で追っていると、おじさんが声をかけた。
「やるかい?」
 ミオは頷いて、千円札を差し出した。おじさんは「はいよ」と言って、大きいステンレスボウルを渡した。
 いつも小さなおたまですくっていたミオは、目の前に差し出されたステンレスボウルに胸が高鳴った。
 ミオはボウルを両手で持った。ボウルの半分を水に入れ、水の流れに逆らって、ボウルをゆっくりと前に動かすと、スーパーボールが次々と中に入っていった。
 おじさんはボウルの中のスーパーボールを手早く透明の袋に入れて、手提げのひもを結び付けた。
 ミオが袋を受け取った時、手首をつかまれた。息を切らして顔を赤くした奈緒が立っていた。奈緒の手の平からじっとりと湿った熱が伝わってくる。
 ミオが「ねえ、これ」と、取ったばかりのスーパーボールを自慢げに奈緒に見せると、奈緒は鋭い声で「お金は?」と問い返した。
 その言葉にミオはぽかんとして、次に袋にぎっしり詰まったスーパーボールに目をやった。
「クレープもリンゴあめも焼きトウモロコシも買えないよ。綿あめだって、くじ引きも、お面も、ヨーヨーも」
 奈緒の言葉にミオは高揚していた気持ちが一気にしぼみ、胸が冷たくなった。周りの賑やかな声や音が遠ざかり、足がずんと重くなる。ミオの目が熱くなり、喉からはひっくひっくという声が漏れだした。
 手で顔を隠し、なきじゃくるミオの手を奈緒はしっかりとつかみ、歩いた。しばらくして、「ほら」との奈緒の声に、ミオは顔を上げた。綿あめだった。
「半分こだからね。食べすぎないでよ」
 奈緒の言葉に、ミオは一層激しく泣き声を上げた。奈緒は困って「ちょっと多めに食べてもいいよ」と言った。
 クレープもリンゴあめも焼きトウモロコシも、全部半分に分けた。
 祭りから帰った夜、ミオは眠る奈緒の枕元に一番大きくて、きれいな夕焼け色のスパーボールを置いた。
 そういえば、あの時のスーパーボールを奈緒はどうしたのだろう、ミオがぼんやりと考えていると、奈緒が窓を乱暴に閉めた。
 緊迫した雰囲気に耐えられなくなったミオは「あ、祭り、行ってきたらどう?」と言った。奈緒はスカートのポケットに手を伸ばし、何かを手の平に乗せた。
 ミオがあげたスーパーボールだった。
 奈緒はスーパーボールをミオめがけて思い切り投げた。ミオは思わず目をつぶった。
 スーパーボールはミオの体を通り抜けて、壁にぶつかると跳ね返り、姉の足元まで転がっていった。
「ごめん。本当にごめんね」
 ミオの声は奈緒に届かない。一生届かない。
 奈緒は玄関に行って、サンダルをひっかけた。ばたんと閉められたドアを見て、ミオは泣きながら微笑んだ。
 ミオは知っていた。奈緒がスーパーボールに、焼きトウモロコシ、リンゴあめ、ミオの好きな物を買いに行ったこと。
 ミオはかすかに聞こえる祭囃子に耳を澄ませながら、奈緒の帰りを待つことにした。
「もう少しだけ」ミオは呟いた。


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