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へびぞうさん

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海の瓢箪

12/07/30 コンテスト(テーマ):【 水族館 】 コメント:0件 へびぞう 閲覧数:1415

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 石の多い波打ち際を歩いていくと、向こうに長い突堤が見える。突堤の先に赤い球形の建物がある。その建物は、海に刺さった円柱の上に乗っている。僕が駆け出すと、父が「危ないぞ」と言った。実際、何度か石に足をとられて転びそうになった。球形の建物の入口に向けて、一〇段ほどの階段を上る。気むずかしげな表情をしたおばあさんが切符を切っている。
 建物に入ると、海に向かって窓が開いている。中央には下に降りていく螺旋階段がある。これが外から見た円柱の中身なのだ。父は窓から海を眺めて、おお、とか、へえ、とか言っている。海から吹き込む風が父の白髪を揺らしている。早く降りようよ、と言って、僕は父の手を引っ張る。螺旋階段にも窓が開いていて、自分が海面の下に潜っていくのがよくわかる。光が急に翳る。僕の心臓はどきどきしている。海に潜ったことなどない。自分の足が届くより深いところに行ったことなどないのだ。足元の方にぼんやりとした明かりがみえる。僕は急に怖さを憶える。父の声。足元に気をつけるんだぞ。僕はその手をぎゅうっと握る。螺旋階段の出口が薄青くぽっかり開いて、そこを出るともう海の底だ。
まあるい形をした部屋は、目よりも少しだけ高い位置にはめられたガラス窓でぐるりと取り巻かれている。ガラスの向こうに海のごつごつした岩や、海草がみえる。その間を、魚が泳いでいる。どの魚も、モノクロのテレビのようにうすい灰色に見えるが、よく確かめると、銀色に輝いていたり、赤い鰭を持っていたり、色とりどりなのがわかる。その数は、僕が思っていたよりはるかに多い。隊列をなしてじっとしているような魚群もあれば、一匹だけ悠々と泳いでいる魚もいる。父は、ほら、あれがカタクチイワシだよ、などと言うのだが、僕にはそれがどれのことかわからない。名前なんかに興味はないのだ。僕は、おしっこを我慢しているときのような、じりじりした疼きを腰のあたりに感じている。
 ふと僕は、妙な魚がいるのに気づく。こちらからの光がほとんど届かない、ずっと向こうの方に、それはいる。かなり大きくて、長くて、最初、大きな蛇が泳いでいるのかと思う。目を凝らしていると、腕や足が見える。身体をくねくねとくねらせて、それは泳いでいる。じつは泳いでいるのでなくて、海に生じている流れに揺らされているのだと気づく。紐のようなものでどこかの岩に繋がれているのだ。暗さに目が慣れてくると、それは若い男だということがわかる。筋肉が隆々として、髪が黒々と流れに逆巻いている。目を見開いている。裸で、皮膚がなめくじのように白い。父を見上げると、テレビで歌番組をみているときのような、ぼんやりした表情でガラスの向こうを眺めている。
「お父さん」僕は声を出す。「ねえ、あそこ」
「うん?」父は僕をみる。「どうした?」
「あそこ、見て」僕は、若者の方を指さす。「何か、いる」
 何か、としか口に出来ない。父は僕の指さす方向をみる。眉根に皺が寄る。
「鯛、かな」
「鯛じゃないよ」
「鯛はこんなところにいないか。何だろう。父さん、じつはあんまり魚に詳しくないんだ」
「魚じゃないよ。ほら、あれ」
 でも、いくら僕が指さしても、父はそれを見つけることができない。僕は、きっと僕を怖がらせまいとして父が気づかないふりをしているのだろうと思う。
 こんなに長く海にいるんだからきっともう死んでいるに違いない、と気づく。僕は父の手にしがみつく。
 若い男が笑った気がする。

 二度目に訪れたとき、あの球形の建物の赤色は、やけに色あせて見えた。そして、小さく見えた。
 入口の受付にいたのは、六〇歳くらいの元気のいいおばさんだった。今日は魚がいっぱい来ているよ! まるで魚屋のようなことを言った。
 螺旋階段はとても狭くて降りるのに苦労した。あのときと同じように、手を取り合って降りてゆく。
 海の底に着くと、薄青い世界が広がっていた。子どものとき、それは海の青さだと思ったのだけれど、いまみると、天井にそういう照明がついているのだ。
 三六〇度開いた窓の下にはいろんな魚の説明書きが張ってあった。昔はこんなのなかったな、と思った。
観光客は僕らだけだった。
 僕は窓の向こうにじっと目を凝らしてみた。あのときの若者がまだそこでゆらゆらと揺れているのではないかと思ったのだ。
「何を見ているの?」と、彼女が聞いた。その手を握ると、もっと強く握り返してきた。
 銀色の細長い魚が、僕らの目の前をさっと横ぎっていった。


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