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日向夏のまちさん

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ある日出会った赤の話

15/07/27 コンテスト(テーマ):第八十七回 時空モノガタリ文学賞 【 私は美女 】 コメント:0件 日向夏のまち 閲覧数:928

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「ねえねえそこ行くお兄さん」
 風鈴の様に可憐な声。木に埋もれた小さな神社。ひんやりとした木陰の境内。ななめに射し込む真っ赤な夕日。僕は、石畳の上。声の主は、さっきまで無人だった賽銭箱の前。すらりと立った赤いお着物。微笑を浮かべた狐のお面。白い陶器の様な手が、面を静かに取り払う。
 暑い日だった。肌のべたつきが、空気を纏わりつかせていた。
「あたし」
 悪戯っぽい目元が覗く。悲しげだなと僕は思う。
「あたし、綺麗……!?」
 僕ははっと、息を呑む。あんまりのことに、ぞっとしてしまう。それは口裂け女のセリフ。熟れたザクロが、視界で薫る。
 そして僕は唐突に思う。声にならない感嘆が、ひゅうと漏れる。
「……ぃ」
 紅い果実を載せた顔が、こてんと傾いた。
「あら?」
 軽快な疑問符は僕の感想を掻き消した。細い人差し指で果実の唇をつつく様にして、思案する様の人間臭さといったらない。赤と白のコントラストが、焼けつく鮮烈さで。けれど妖怪の禍々しさも無く、遠慮がちに女が言う。
「ごめんなさい。人違いです」
「え」
 どういう事ですか。ひとつ間を置いて、女が笑った。

「私、美人なの」
 賽銭箱の裏。それはまた唐突なカミングアウトである。特殊メイクの裏に隠れた素顔が、自分で言ってもばちは当たらない位小奇麗なのだと女は言う。
「それはそれはモテるのよ」
 今まで告白された回数は両手両足じゃ足りない。僕の知っている女性なら自慢げに語りそうなのに、女は化粧の下で悲しそうに笑う。
「でもねー」
 大体の人は外見しか見てくれない。私という人格を愛してくれない。だからこれは試練だと。顔以外も見てくれているのか試しているのだと。
「今まで合格した人いないの」
 皆、無様な悲鳴を残して姿を消してしまった。この顔がなければ、誰も私に気が付かなかった。そんな人とずっと一緒に居るつもりになんかなれなくて。好きな男を突き放して別れるのは、辛いのに。
 もう嫌になってしまう、と、化け物を装ってなお色香と美貌の消え失せない女が嘆息する。よくよくみれば滑稽な化粧。慰めの言葉をかけるべきなのか。迷いながら宙に浮いた思考が、突然誰かの足音に遮られた。
 私が呼びだしたの。賽銭箱の物陰に隠れたまま、女が囁く。本当は君じゃなく、あいつを脅かしてやるつもりだったのだと。女はそう言うと、境内に足を踏み入れた男の視界から賽銭箱が外れた隙に、素早く位置に立った。
 ――あたし、綺麗?
 僕は隠れたままでその声だけを聞いていた。張りのある強い声ではない。だが不思議と辺りに響く、透明度の高い声だ。言葉尻に滲む人柄。それを聞いてああやっぱり、と僕は思う。
 この人は、なんて美しい。
 無情な悲鳴と、やかましい足音が鳴る。鳥がばさばさと飛び立って、静寂がやってくる。
「あーあ」
 僕は賽銭箱の影から立ち上がる。赤く妖艶な女が振り返る。
「にげちゃったね」
 波紋を連想させる声音。夕焼けの逆光に、女の表情を見る事は、出来なかった。

 すっかり暗くなってしまった境内で、女が化粧を落としながら僕に問う。
「そういえば、君どうして逃げなかったの」
「ああそれは」
 どうしてかなあ、と呟いた。なぁにそれ、と女が笑う。
「どうしてだかわからないけど、なんだかとても美しいと思って」
 白い素肌に浮かんだ、鮮やかに真っ赤なザクロの唇が美しかった。確かに、化け物のそれだったのかもしれないけれど、それでも確かに美しいと思った。
 言った僕を、女の素顔が見上げる。動揺が浮かんでいた。大勢の男を振り向かせてきたという美貌を、僕は初めて目にした。
「僕は、人の顔を認識する事が出来ないんです」
 素晴らしく整っている筈の顔を見ても、僕の中は無感動で。
 パーツの認識は出来ても、総合的な認識はできない。人の顔を覚えられない、生まれつきのもの。
「次会った時、多分僕はあなたがあなただとわからない」
「それじゃあ君は」
 女の潤んだ瞳は僅かに希望を抱いていた。わざと言葉を遮る。
「ああそれでも」
 顔を覚えられない事で、傷付けた人がたくさんいたから。
「それでも、あなたの魅力は僕にもわかる」
 これほどまでに透明な声を、僕は、聞いた事がない。
 続けた言葉をどう受け取ったのか、女は賽銭箱の前で膝を抱えながら駄々をこねる様に言う。
「下手な口説き文句」
 そうかもしれないと思った。けれど彼女に伝われば、それでもいいと、僕は思った。
「声しか聞いてない君は、私の顔を見てくれないのでしょ?」
 別に、恋と呼べるほどの物じゃなかったから。
 女の問いかけにさあ、と笑って、僕はその場を後にする。
 私はそれで構わないのだけれど。背中をつついた呟きの主、その人の顔を、僕は知らない。
 夏が過ぎてもその赤さだけが、いやに記憶に鮮やかだった。


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