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佐々々木さん

性別 男性
将来の夢 何も決まってません。
座右の銘 Whats the worst that can happen?

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きいたことは

15/07/15 コンテスト(テーマ):第八十七回 時空モノガタリ文学賞 【 私は美女 】 コメント:0件 佐々々木 閲覧数:1043

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「すいません、お姉さん」
 そう言われて呼び止められた。車に乗った男が窓から顔を出し、手を挙げている。辺りには街灯もまばらで薄暗く、顔ははっきり見えない。車のスピーカーが大音量で発しているロックだけが住宅街に響き渡っていた。
「駅まで行きたいのですが、道を教えてもらえませんか」
 落ち着いた丁寧な声に好感が持てた。残業終わりの疲れきったこの状態で、もしも乱雑な言葉で道を聞かれたなら無視していただろう。
「この通りをまっすぐ行けば大通りに出ますから、そこを左に曲がって数分走れば着きますよ」
「あー」男は申し訳なさそうに頭をかきながら言った。「すいません、地図で詳しく教えてもらえませんか」
 地図があるならそれを見ればいいのでは、と思いつつも、地図を覗き込めるよう車の窓際まで近づいた。
 そこから先のことは断片的にしか覚えていない。
 誰かに口を押さえられ、髪を引っ張られながら無理やり後部座席に押し込められた。痛いほどの大音量でロックが鳴っている。両腕を縛られ目隠しをされた。その少し後に骨盤付近の締め付けが緩み、ああ、ベルトを切られたんだな、と思ったことを覚えている。


 結局、私は生きている。今となっては、生き永らえてしまった、という方が正しいかもしれない。
 男らに襲われている最中は、死にたくない、死にたくないと怯えながらもただそれだけを思い永遠とも一瞬とも思われる時間を耐えたというのに。
 あの夜、行為が終わって解放された私は、どうすればいいのかもわからないまま、足に運ばれてアパートまで帰ってきた。何かもわからない液体がこびり付いたスーツをごみ袋に放り込んで、風呂場へと行き冷水を思いっきり浴びた。
 自分の体が、自分の全てが汚く感じた。まるで全身を虫が這っているような感覚。いくら体を掻き毟っても一向にその感覚は消えなかった。
 誰かにすがりたい。彼氏でも両親でも警察でもいい。
 誰にも言えない。彼氏にも両親にも警察にも。
 ぐちゃぐちゃになった頭の中で、自分に対する嫌悪感だけがはっきりと中心に居座っていた。
 襲われた、なんて言えない。こんな、汚れた私に、誰が好き好んで寄り添ってくれるというのか。
 私は外が明るくなるまで冷水を浴び続け、目から零れ落ちる涙と体の震えをごまかした。


 私は、自分のことを美女だと自惚れていたわけではないのだが、今まで生きてきて顔に対してコンプレックスを感じたことはなかった。意識はしていなかったが、そのおかげで恵まれた人生を送ってきたのだろうと思う。この容姿のせいで男に襲われたと考えるのは、それこそ自惚れだろうか。今となっては自分の全てが嫌で仕方がないのだが。
 あの日以来、私の生活は一変した。
 人通りが少ない夜道を歩けない。性を連想させる言葉を聞くと吐く。目を瞑ると体が固まる。ロック・ミュージックが耳に入ると頭が真っ白になる。日に何度も襲われた時のことがフラッシュバックする。一人になると涙が零れてくる。死んでしまいたい、と思ってしまう。
 襲われた日から彼氏と行為はしていない。誘われても「ごめん、今日はちょっと」と断り続けている。すると彼はいつも「そっか」とすんなり引き下がってくれた。具合悪いんなら無理するなよ、と気遣ってくれる彼の笑顔に私は、騙していてごめんなさい、とそっと心の中で呟くのだった。
 そんな日々をしばらく送っていたある日。
「お前、最近変だよ。何か悩みでもあるの?」
 今日は口数が少ないなと思っていたら、彼は突然そう口にした。
「少しくらい頼ってくれないか。付き合ってるんだから。何を悩んでるかわかんないけど、一人で抱え込まないでさ」
 彼の眼はまっすぐ私を見つめていた。おそらく彼は彼でずいぶんと悩んでいたのだろうな、と思う。少し踏み込むだけでも人を気遣う彼の優しさが私は好きだった。今はそれが嬉しく、そして悲しかった。
 彼に全てを言ったならどうなるだろう。あの夜、私に起きたことを全て説明したなら。きっと優しい彼は、気の利いた言葉をかけようとしつつも何も思い浮かばす、黙り込んでしまうのだ。彼を困らせたくない。これは私が一人で、一生抱え込むしかない。
 長く黙り込んでいた私は、俯きながら、ごめん、と繰り返し呟くことしかできなかった。
 ああ、まただ。こんなときに。思い出してしまう、あの日のことを。目の前が真っ暗になる。腕が縛り付けられたように動かない。
 ごめんなさい、こんなに汚くて、あなたを騙している私だけど、どうか嫌いにならないで。
 頭に鳴り響くロック・ミュージックの中に、彼の声が少しだけ聞こえた気がした。


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