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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
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彗星が通り過ぎた夜

15/06/20 コンテスト(テーマ):第八十六回 時空モノガタリ文学賞 【 掃除 】 コメント:2件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1575

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今世紀最大の彗星が地球のすぐそばをかすめとおる話題でもちきりになっているとき、米子はひとり、せっせと掃除をしていた。
ハウスキーパーの仕事についてまだ半年、所属する事業所から彼女が任されたのは大富豪の、部屋数がいくつあるかさえわからないくらいの広大な邸宅だった。夕方五時から夜の十一時という変則な時間帯を、一分一秒片ときもやすむことなく彼女は一部屋一部屋掃除してまわらなければならなかった。それも、チリひとつ髪の毛一本、落ちていてもやり直しという厳しさで、最終的にこの家の見張り番とでもいうべき奥さんにチェックされるまではまったくといっていいほど神経がやすまらなかった。
この時間帯、富豪の娘や息子たちが入れ代わり立ち代わり出入りしては、なにをしているのか、スマホ相手に果てもなく喋りつづけたり、つれてきた女友達と恥ずかしげもなくキスを交したり、なかにはもっとディープなことに興じているのもいて、そんな中を彼女は遠慮しながら掃除してまわらなければならないのだった。
彼女は次男の光輝の部屋に、掃除道具といっしょに入っていった。
光輝は彼女の一番いやなタイプの一人だった。人を見下すような傲慢な態度、何を考えているかわからない嫌味な顔、いつも金のかかった衣服を身につけ、傍に誰がいようとおかまいなしにタバコの煙を吐きちらしているのだった。
これまでにもなんどか屋敷の中で顔をあわせてはいるが、きっと彼はこんな掃除おばさんの存在には、気づいてもいないにちがいない。言葉を交わしたことこそないが、話さなくても米子には、光輝という人間の腹の内がわかるような気がした。
その彼がいま、ソファにだらしなく足を投げだして座っていた。夜だというのに愛用のサングラスをかけ、音楽でもきいているのか耳にイヤホンをさしこんでいる。
「おじゃましますよ」
米子は断ってから、掃除機をかけはじめた。
彼女の腰はいい加減ガタがきていた。鍼灸院に通いたくても、ひとり娘を育てるのに無駄な出費はできなかった。彼女は3年前、夫と別れていた。
米子の掃除がすむまで、光輝はただの一言も口をきくことなく音楽に熱中していた。
浴室の掃除は、とくに神経をつかわなければならない。タイルを磨き、浴槽を洗ったあと、洗面器と椅子とシャンプーの容器は、最初とまったくおなじ位置にもどさなければならず、ちょっとでもずれていると、あとではげしく罵倒された。そんなものがちょっと動いていたところでなんの支障があるのかと思う米子だったが、この家の連中にとってそれは大事件ということになるらしい。
最後のひと部屋を掃除し終わって、ようやく米子は仕事から解放された。夜道をそれから自転車で家まで帰っていくのだ。帰宅した家では、高校生の娘はもうとっくに横になっている。米子は翌朝娘の弁当を作るために早々に横になった。
三日後、米子は掃除の途中に気分がわるくなり、その場にしゃがみこんだ。それをみていた三女が「なにさぼってるの。まだ掃除の途中でしょ」
すぐにも母親にいいつけにでかけようとするのを、「おまちを。もうだいじょうぶですわ」ふらつく足でたちあがった米子は、掃除機にすがるようにしてふたたび掃除にかかった。
おそらくこれまで一日の休みもとることなく働きつづけたむりが、急に体にでたものとおもわれる。何日か前からめまいに襲われる自分を、ごまかしながらやってきた彼女だった。いまここで体調を理由に帰らせてくれなどといったら、事業所に連絡されたあげく、もうくるなといわれるのは目にみえていた。米子は歯をくいしばって仕事をこなした。そしてまたあの、光輝の部屋にやってきた。首筋の血管がはげしくうちだすのを彼女は感じた。それでなくても気分がすぐれないのに、いままたあの虫のすかない男と顔を合わすなんて、つくづく彼女は自分の不運を嘆いた。
予感は的中して、彼は部屋にいた。「おじゃましま……」さいごまで言い切ることができないまま、米子はずるずると床に崩れ落ちていった。
ハッと目がさめたとき、彼女はいつのまにかソファに寝かされている自分をしった。
時計は11時をさしている。「大変」とびおきようとする彼女の耳に、「掃除はおわってるよ、おばさん」米子はきょとんとして光輝をみた。なるほど室内はきちんと整頓されていて、床は磨きぬかれていた。奇妙なことに、手つかずの残りの部屋も廊下も、すっかりきれいになっていた。まだ腑におちないでいる彼女に、光輝がサングラスをはずしながら、いった、
「おおかた、ほうき星がおばさんにかわって、掃除していったんだろ」ベランダの窓から、空をよぎって大彗星がいま、とおりすぎようとしているのを米子はみた。
米子はこのとき、はじめてみる光輝のまなざしの、意外に優しそうなのに気づいて、あっとおもった。


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このストーリーに関するコメント

15/07/14 光石七

拝読しました。
人は見かけによらぬものですね。主人公に気を遣わせまいとする彼の台詞がかっこいいです。
体が悲鳴を上げても頑張り続けてきた主人公だから、今くらいはこの優しさに甘えてもいいと思います。
素敵なお話をありがとうございます。

15/07/15 W・アーム・スープレックス

以前書いた自作の童話で、ほうき星にまたがって星々を掃除して巡る、箒のような髪をした少年のことをおもいだし、大人の作品にしたらどうなるかなとおもってできたのが、これです。全然内容はちがいますが、テーマが『掃除』と知ったとき、まっさきに彗星が思い浮かんだのは、そんな理由からだと思います。

光石七さん、コメントありがとうございました。

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