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光石七さん

光石七(みついしなな)です。 子供の頃から空想(妄想?)が好きでした。 2013年から文章化を始めました。 自分では気付かないことも多いので、ダメ出しを頂けるとありがたいです。

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移ろひやすきは

15/06/15 コンテスト(テーマ):第八十四回 時空モノガタリ文学賞 【 江戸時代 】 コメント:15件 光石七 閲覧数:1963

時空モノガタリからの選評

江戸時代には染野のように不自由な境遇の女性がたくさんいたのでしょう。幸せが目の前にありながら、つかめなかった染野の無念さと、主人のことを想うふくの気持ちがよく描かれていると思います。最後ふくがどうなったのか、明かされないところに余韻がありました。

時空モノガタリK

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 染野の手が好きだ。あたしを撫でる優しい手が。染野の声が好きだ。「ふく、おいで」とあたしを呼ぶ温かい声が。染野の匂いが好きだ。染野の胸に抱かれると、伽羅の香りにほんのり甘さが混じって鼻孔をくすぐり、心地良い。染野と会えない時間は寂しいが、染野は客を見送ると真っ先にあたしの元に来て抱き上げてくれる。
「男よりふくのほうがええ。しなやかでやわらこうて。その赤い首輪、よう似合うてる」
あたしと二人きりの時は廓言葉よりもお国訛りが出る染野。客よりもあたしのほうが染野に近い存在だと、あたしは満足していた。客に惚れさせても客に惚れるな、遊女の心得だそうだ。だが、近頃少し染野の様子が変だ。
「ふく、聞いて。卯兵衛さんたら……」
卯兵衛は三月(みつき)ほど前からここ平崎屋に来るようになった小間物問屋井津屋の若旦那で、染野を贔屓にしている。染野は今まで客の愚痴をこぼすことはあっても、客のことを楽しそうに話すことはなかった。どうやら染野は卯兵衛に惚れてしまったらしい。卯兵衛も染野にベタ惚れのようで、身請け話まで持ち上がった。
「卯兵衛さん、金子(きんす)の都合がついたって。ここから出られるんよ」
頬を紅潮させる染野にあたしは背を向けた。
「ふく、すねてるん? 大丈夫、置いてったりせんよ。ふくも一緒に井津屋においでって、卯兵衛さんが」
あたしも一緒に? ……卯兵衛、なかなかの男じゃないか。
 あたしも染野と共に廓から出る日が待ち遠しくなった。

 染野、なんでこんなことになったんだい? あと三日、あと三日で卯兵衛と一緒になれたのに。……とんだとばっちりだよ、初音の客だろ? 初音を刺して自分も死ぬつもりで来たんだって? なんで初音じゃなくて染野が斬られたんだよ? その男に仇討ちをしたい、呪ってやりたい。だが、染野の血を浴びて我に返った男は己の罪に気付いて自害したらしい。親も妻子もいないときた。これでは末代まで祟ることもできない。
 あたしは卯兵衛に引き取られた。
「染野の匂いがする……」
あたしを抱きしめ声を殺して泣く卯兵衛。……あんた、染野を本気で好いていたんだね。あたしも染野が好きだった。あんたなら一緒にいてやってもいいよ。染野を好いた者同士、仲良くしようじゃないか。あんたは染野が惚れた男だ。染野の代わりに、あたしがあんたを支えてやるよ……。

 井津屋は繁盛した。「ふくが福を連れてきた」と大旦那も奉公人も大喜びだ。本当にあたしに福を招く力があれば、染野をあんな目に遭わせることは無かったんだが。でも、蔵の鼠を退治したり、店の前で客の着物の裾を咥えて引っ張ったり、怪しげな客を引っ掻いて追い返したり、あたしにできることはした。卯兵衛は商売を広げ、儲けを出しては染野が眠る寺に寄進した。卯兵衛の真心に染野も喜んでいるだろう。染野のために、あたしは卯兵衛を手伝う。

 ……卯兵衛が所帯を持つ? 井津屋の若旦那がいつまでも独り身というわけにはいかない? あたしはてっきり染野一筋に生きるもんだと……。まあ、人間はしがらみが多いからね。世間の手前、妻を迎えるのは仕方ない。卯兵衛、染野のことを忘れないでおくれよ。

 卯兵衛が妻を娶って一年経つ。器量は十人並だが気立てがよく働き者の女房だ。子ができたと喜んだのも束の間、卯兵衛は目に見えて仕事がおざなりになっていき、次第に昼となく夜となく毎日出歩くようになった。卯兵衛、一体どこほっつき歩いてるんだい? しばらく寺の寄進もご無沙汰じゃないかい? あたしはこっそり卯兵衛の後をつけた。……吉原? 卯兵衛は平崎屋の向かいの緋文字屋に入っていく。まさか……。
 卯兵衛は緋文字屋の小糸に熱を上げていた。結局そういう男だったのか。たった二年で染野を忘れて他の女に入れ込んで。こんな男に惚れた染野が哀れだよ。
 あたしは卯兵衛を見損なった。憎くなった。染野が生きて卯兵衛と一緒になっていても、この男は同じことをしたに違いない。
(ふく、卯兵衛さんがね……)
染野の声が、香りが、温もりが懐かしい。他の女に夢中になっている卯兵衛を、染野はどう思うだろう。命が尽きるその瞬間まで思い続けた男が、自分のことを思い出してもくれないとしたら。
 ……許せない。あたしは卯兵衛が緋文字屋から出てくるのを待った。

「井津屋の若旦那、何かの獣に首を噛まれて死んだんだって?」
「ああ。吉原からの帰りに喉を食いちぎられて倒れてたらしい」
「怖え話だな。大旦那もガクッときてるらしいじゃねえか。おかみさんも腹の子が流れちまって、気の毒になあ」
「まったく、不幸続きだな。井津屋は大丈夫かねえ」
「そういや、若旦那が死んでから井津屋の猫を見かけねえな。あの赤い首輪の」
「若旦那に懐いてたから、後を追ったのかもしれねえな。まさか化け猫にはなってねえだろうよ」


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このストーリーに関するコメント

15/06/16 泡沫恋歌

光石七 様、拝読しました。

なるほど、ふくの正体はニャーと鳴く可愛い生き物だったんですね。

卯兵衛さんも染野に惚れていたとしても、生身の男が思い出だけで生きてはいけないのでしょう。
それでも染野の分身のようなふくには許せなかったってことなんだ。

その後、ふくは野良になってしまったのかしら? とっても気になります。
猫好きの私には大満足の作品でした。

15/06/18 草愛やし美

光石七さん、拝読しました。

犬は3日飼うと恩を忘れず、猫は云々とよく言われますが、いえいえ、猫だって恩義は忘れませんよねえ。卯兵衛は悪い男でなく並み以上だったとは思うのですが、ふくにとってはそうじゃなかった。悲しい話ですね、ふくはきっと一生染野の眠る菩提寺あたりで野良になって生きたのではないかと、私は想像しています。

15/06/18 そらの珊瑚

光石七 様、拝読しました。

江戸時代の浮世絵には猫を描いたものも多く、こんなふうに
花魁の愛した猫もいたのではないかと想像しました。
タイトルにあるように、人の心は移ろうもの。染野のことをいつまでも忘れない猫との対比が鮮やかです。
悲劇ではあるのだけど、しっとりとした情念の感じられる読み物、素敵でした。

15/06/19 光石七

>泡沫恋歌さん
コメントありがとうございます。
遊女に可愛がられた猫がいたこと、もうすぐ年季が明けて晴れて恋人と結婚できるという時に非業の死を遂げた遊女がいたこと(これは実際は明治時代の話ですが)を知り、遊女の猫だけが男の元に引き渡されたとしたら……と妄想して書いてみました。
卯兵衛、この時代にしては誠実なほうだと思うのですが、ふくにしてみれば許せなかったようです。
卯兵衛を憎むようになったふくがどうなったのか、書き込みが足りなかったですね。申し訳ないです。作者としては猫の怨念、怪奇を仄かに匂わせたかったのですが。

>草藍さん
コメントありがとうございます。
江戸時代って飼い主の恨みを晴らすために化け猫になって暴れる猫の話や猫の恩返し的な話もあるんですよね。
猫だって恩義・忠義はあるんです。普段はそれを表わさないだけ、だよね、ちーちゃん? ……ちーちゃん、無視しないでぇ、あっち行かないでぇ……! (※ちーちゃん=光石の愛猫)
おっしゃる通り卯兵衛は悪い男ではなかったのですが、ふくは染野一人だけを思っていてほしかったわけで。
ふくのその後、きちんと伝わるように書けず、すみません。
でも、「草藍さんのご想像もアリだなあ」と、自分の力量不足を「含みを持たせて書いた」とすり替えて……はダメですね(苦笑)
精進します。

>そらの珊瑚さん
コメントありがとうございます。
猫の浮世絵、結構ありますよね。特に歌川国芳の猫好きは有名です。
招き猫の起源は薄雲太夫が飼っていた猫だという説もありますし、猫をかわいがった遊女は少なくないのでは、と思います。
タイトルに触れてくださり、うれしく思います。俗にいう「女心と秋の空」は、元々は「男心と秋の空」だったそうで。卯兵衛はまだ誠実なほうだと思うのですが、染野一筋のふくは許せない裏切りだと感じたのでしょう。
書き込みも構成も不十分ですが、楽しんでいただけたなら幸いです。

15/06/19 久我 伊庭間

ふくの一途な気持ちが染野の人柄をも想わせて、暖かさと同時に寂しさも感じさせるいい作品ですね。
ふくが福を呼ぶ力を持っていたかどうかはわかりませんが、
もし本当にその力を得ていたのだとすれば、染野を想う心がそうさせたのでしょう。
そして同じく染野を想い続ける卯兵衛であれば、
ずっといつまでも守り続けてくれていたのかと思うと、やるせない思いです。

15/06/19 クナリ

情の深い女性と、猫の取り合わせは良く似合いますねえ…。
>元々は「男心と秋の空」
エッ初耳。
まあ、男女問わず、「人の心と秋の空」ということになってしまいそうです(^^;)。
個人的には、卯兵衛さんは染野さんを失った時に(失い方もあれなので)どこか壊れてしまったのではないかとも思います。
変わりになる人などいないのに無理やり代わりを手に入れることで、荒廃が加速していたのだったり。
うつろな人生を終わりにできて、もしかしたらどこか喜んでいたりして。

あと、これは以前自分も言われたことなのですが、ラストを会話文のみの応酬で締めくくると、わざとらしいというか安っぽくなるので控えたほうが良いようです。

15/06/19 光石七

>久我 伊庭間さん
コメントありがとうございます。
招き猫という縁起もありますし、丁半博打の席でどちらの目が出るか飼い主に鳴き声で知らせた猫の話もありますので、もしかしたら井津屋でのふくにも我知らず不思議な力が働いていたのかもしれませんね。
ふくの願いは卯兵衛が染野を忘れず想い続けてくれることで、そういう卯兵衛である限りはずっと支えていく覚悟でした。染野への思いが深い分、卯兵衛を信じていた分、卯兵衛の裏切りは許せなかったふくでした。
お褒めの言葉、恐縮です。

>クナリさん
コメントありがとうございます。
遊女と猫って浮世絵にもありますし、似合いの組合せではないかと。
クナリさんの卯兵衛の心理分析、すごいですね。話の筋的に卯兵衛には心変わりしてもらおうと、単に“男の性(さが)”くらいの意識でしかなかったのですが(苦笑)、クナリさんの捉え方のほうが深くて、話としてもずっと面白くなりそう。……やっぱり底が浅いな、自分。
アドバイスもありがとうございます。本当は第三者が染野と卯兵衛とふくのことを語る形(全編二人称)にしたかったのですが、どうも文章がまだるっこしいというか、うまい取っ掛かりがみつからず。ふと冒頭の文章を思いついてふくの一人称に変えたものの、この結末ではふく自身の語りで締めるのは難しいと思い、ラストだけ町人の会話にしたという……。安直だなあ、と自分でも思ってはいました。もっと早めに構想まとめろよ、自分。もっと余裕持って書けよ、自分。
自分では気付かないことも多いので、ご指摘やダメ出しはとてもありがたいです。

15/06/24 冬垣ひなた

光石七さん、拝読しました

忘却は罪といいますが、卯兵衛に訪れた平穏はふくの思う福ではなかったという事でしょう。
ふくの染野への想いというのは、自分が幸せにしてやれなかった罪悪感もあったのかなと思います。
本当に幸せになって欲しかったのは染野だったのに。
猫は忠義者です、そんな所が江戸時代から人々に愛されたのでしょうね。
ふと雨の夜などに読みたくなる、そんなお話でした。

15/06/24 光石七

>冬垣ひなたさん
コメントありがとうございます。
ふくの卯兵衛に対する思いの変化や許容範囲の境目は、“妻を娶って仲睦まじい夫婦になることは恨んだりしないけれど、染野を忘れること、染野と妻以外の女に入れ込むことは許せない”となるでしょうか。
おっしゃる通り、ふくには罪悪感のようなものもあるでしょうね。元々染野と一緒にいることがふくの幸せでしたが、染野の幸せもふくの願いとなり、それが叶わなかったことで染野への思いが一層強くなって……という流れのつもりです。
庶民が猫を飼い始めた江戸時代、猫の忠義話や怪談が数多く生まれたり、猫の歴史的にも転換期と言えなくもないかも。
楽しんでいただけたのでしたら、幸いです。

15/08/04 滝沢朱音

こちらも、入賞おめでとうございました!!
わあ、この作品、とても大好きです。
赤い首輪のかわいいにゃんこから、化け猫?へ。
時代ものだけど、現代にも通じてとても読みやすくて、惹き込まれました。

15/08/05 光石七

>朱音さん
ありがとうございます。
構成とかいろいろ粗いのですが、「大好き」とおっしゃって頂き、恐縮です。
庶民が猫を飼い始めたのが江戸時代ということで、猫を題材に書いてみました。

15/08/12 murakami

お久しぶりです。
今頃ですが、読ませていただきました。

文章に味わいがあって、良い作品ですね。
曾根崎心中をちょっと思い出しました。

いろいろなジャンルをお書きになれるのですね。

15/08/13 光石七

>村上さん
コメントありがとうございます。
お褒めいただき、恐縮です。
日本史も時代小説も苦手ですが、それらしい雰囲気は出せたでしょうか。
テーマが「江戸時代」でなければ、自分では書かなかった話だと思います(苦笑) こちらではテーマが指定されるので、自分の引出しの中に無いものにも挑戦せざるを得ないことがありますね。

16/02/11 じゅんこ


拝読させていただきました。
光石様の作品は他にも読ませていただいておりましたが、この作品が一番好きです。雰囲気に惹かれて、なんども読みに来ました。感動が抑えきれなくなり、コメント失礼します。
ふくの染野を想う気持ちだけでなく、若旦那の染野に対する愛もしっかり伝わってきて、それだけにふくが若旦那を憎むのが読んでいて辛かったです。
ありがとうございました。

16/02/12 光石七

>じゅんこさん
拙作たちへのお目通しとコメントをありがとうございます。
“雰囲気に惹かれて、なんども読みにきました”、“感動が抑えきれなくなり”……恐縮です。
もっとしっかり構想を練って書き込みもきちんとできたらよかったのですが(投稿後いつも思います(苦笑))、読んでくださる皆様の感性に助けられております。
不十分な点が多いですが、気に入っていただけて、書いてよかったと思いました。
こちらこそ、励みになるコメントをありがとうございました。

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