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冬垣ひなたさん

時空モノガタリで活動を始め、お陰さまで4年目に入りました。今まで以上に良い作品が書けるよう頑張りたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。エブリスタでも活動中。ツイッター:@fuyugaki_hinata プロフィール画像:糸白澪子さま作

性別 女性
将来の夢 いつまでも小説が書けるように、健康でいたいです。
座右の銘 雄弁は銀、沈黙は金

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真珠の眠る庭で

15/05/17 コンテスト(テーマ):第八十二回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:10件 冬垣ひなた 閲覧数:1876

時空モノガタリからの選評

こうした史実は知りませんでしたが、200字の中に濃密なドラマがぎゅっと凝縮されているなと感心しました。差別や言葉の壁を乗り越えた二人の愛が、美しいブルームの自然を背景に美しく浮かび上がっていると思います。クレアの垢抜けない様と、美しいコバルトブルーの海との対比も鮮やかで、彼女のキャラクターをうまく表現しているなと思います。

時空モノガタリK

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その濃い肌の女は、よく波止場にたたずんでいた。
年の頃ははたち半ば、短い頭髪にエキゾチックな顔立ちで、肉付きの良い身体を惜しげもなく海風に晒して、そんな垢抜けないさまに、隅修一は奇妙な親近感を覚えた。
コバルトブルーの海、浜風に色あせた陸、女の存在はそんな風景から孤立している。初めの頃、隅にはそれが不思議で、白人が作った近代的な港町がアボリジナルに全くそぐわないのだと理解するまで、時間を要した。
1956年、1月の夏。
オーストラリア、ブルーム。
女のいない今日の青は、少しにじんで見えた。

真珠貝採取で栄えるこの町では、戦前より出稼ぎの日本人ダイバーが重用されていた。かつては他の者がこの役についたのだが彼らは次々に海にとり殺された。潜水病である。白人たちが白豪主義に蓋をして、高い賃金を払ってでも技術の卓越した海の男を呼び寄せるのは、そういうわけだった。
無論隅たちも潜水病と無縁ではない。誰もが命をかけ、その報酬で故郷に真珠御殿を建てることを夢見て働いていた。
今、腕の中に抱く女を、愛する時間は限りがある。
採貝船に乗り、重い潜水服を着て大海原へ潜る時隅を支えるのは、馴染まない英語で繋がりを持つこの女だった。
女はクレアと言った。西洋名なのは洗礼を受けているからだ。
酒場で下働きをする手は硬く節くれだっていて、握りしめると、海小屋で網を畳んでいたお袋の手を思い出した。

クレアはまめに働き、隅が家に行くたび違う手料理を振る舞ってくれた。時には映画館や買い物にも出かける。他の街よりは格段に住み心地が良いブルームも、差別がないわけではなく、外を並んで歩く時クレアは語りも笑いもしなかった。
社会が、時代が、そうさせたのだろう。
日本軍の爆撃機が飛んだブルームの空を、隅は時折睨みつける。
自分の意思でたどり着いたこの地だ。
この海も好きだ。
だが、この女を苛める国は嫌いだ。

瞬く間に月日は流れ行く。
ダイバーは苛酷な仕事で、しかもボタンの材料となる採貝事業は下火になっている。契約更新を来月に控え、我慢強いと思っていた隅もそろそろ限界を感じていた。今が日本に帰る潮時かもしれない。
しかし海底で真珠貝を掴む隅は、クレアの翳った横顔を今日も恋しく思う。
アワビ漁の盛んな太地の海で、初めて潜った時は一枚も取れず、親父たちに笑われたこと。
餞別代わりに貰ったコンパスは、大事に持ち歩いていること。
稀に貝の中から真珠が出た時は、売り上げは会社と船の仲間で分配すること。
話したい事は山ほどある。
が、いつも言葉が見つからず、

“I love you.”

それしか言えない。
確かに日本に帰れば言葉も情も通じる女はいるだろう。
それでも俺は、この女に惚れている。

5月の秋。
クレアにねだられて、ローバック・ベイに面したビーチに着いたのは、もう日も暮れる頃だった。閑散としたビーチを、二人はランタンを持って歩き出す。
水平線とともに何処までも続く白砂の海岸線には、波が行きつ戻りつし裸足の跡を消してゆく。隅は幾つもの海を渡ってきたが、この暮れなずむ空と碧い海の美しさは群を抜いていた。
うっすらと夜が近づきランタンを灯す頃、その海面に大きな月が現れる。
その姿は故郷の中秋の名月を思わせた。
言葉の始まる気配もなく、クレアはただ海を見つめている。

満月は水平線を離れ、時間をかけ夜空を昇ると、煌々とした月光が遠浅の海上一直線に降りた。
波頭に反射した輝きを夜の波間が刻んでゆく。
ゆっくりと、ゆっくりと。
天人の足音が聞こえてきそうな階段が、澄んだ海に架かる……。
するとクレアが波音を伴奏にして、ゆったりとした旋律を口ずさんだ。
それは初めて聞く、失われた先住民の歌だった。
祈りか嘆きか、よくわからない。
しかしそれはひどく隅の心に沁みた。

隅は服が濡れるのも構わず、沖に向け歩き出した。
次第に太地にいる両親の顔を思い出す。次いで弟妹の顔。故郷に錦を飾りたくて、歯をくいしばる隅自身の顔……。
波を蹴って駆けるクレアが力一杯隅に抱きつくと、勢いで二人は水の中へ倒れこんだ。
濡れたクレアの口付けは潮の香りがした。

「イカナイデ」

クレアの言葉を静かにさざ波がさらう。
その背後で、月が寄り添うように柔らかく笑んだ。
……許してくれお袋。
これが惚れた女の居所、海に浮かぶ俺たちの御殿だ。
このインド洋を庭にして、俺はクレアと添うていきたい。
南十字星の下、二人は波に洗われいつまでもそこにいたのだった。

1967年 オーストラリア先住民は市民権を得た
1970年 この年始まった「シンジュマツリ」は現在も続く
1981年 ブルームと和歌山県の太地町、姉妹都市提携

そして、ダイバーを含め900人以上の眠る日本人墓地は、今も訪れる人が絶えないという。


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このストーリーに関するコメント

15/05/17 冬垣ひなた

<補足説明>

・右の写真は、ストックフォト(http://www.foto.ne.jp/)のものを使用しています。

・参考資料……「マリーとマサトラ 日本人ダイバーとアボリジニーの妻」中野不二男

・現在はアボリジニは差別的であり、アボリジナル、オーストラリア先住民の呼称を使うので、そちらに準じさせていただきます。

・3月から10月あたり、満月に近い3日ほど起こる、ブルーム名物の「月への階段」。日本にも「ムーンロード」の出来る場所があるそうです。

15/05/20 そらの珊瑚

冬垣ひなたさん、拝読しました。

こういった事実があったことを初めて知りました。
そういえばプラスチックになる前は、昔は貝ボタンでしたよね。
異国の地で生きていくと決めた男と、
迫害に負けずにたくましく生きている女の
ドラマチックでとても美しい物語だと思いました。

15/05/24 冬垣ひなた

そらの珊瑚さま、コメントありがとうございます。

私も最初は「月への階段」に惹かれてブルームを知りました。
貝ボタン、光沢が美しくて素敵ですね。
海と月、男と女、生命の原点に戻って書きました。
そらの様にドラマチックで美しいと言っていただけて嬉しいです。

『ザ・コーヴ』、追い込み漁によるイルカの捕獲禁止……。
しかし海洋文化はその太地の人々が支えたんだよと、
そっと書いてみた次第です[岩陰]_・。)

15/05/25 光石七

拝読しました。
日本の学校ではあまり習わないであろう隠れた歴史を背景に、二人の愛と生き様が美しく力強く描かれていて、感嘆しました。
素朴で、たくましくて、シンプルで、愛の原点を見たような気がします。
素敵なお話をありがとうございます!

15/05/27 冬垣ひなた

光石七さま、コメントありがとうございます。

私、隠れてるものを掘り起こすのが趣味みたいな所はありますね。
この時代だと恋なんて枯れる前に散ってしまうんじゃないかと、
お互いに強くなきゃいられないなと、
意識して書いた部分を汲んでいただけて嬉しく思いました。

15/06/01 草愛やし美

冬垣ひなたさん、拝読しました。

二千文字とは思えない壮大な歴史小説を読んだ思いがしています。とても美しくそれでいて、時代や国の背景は切なさが漂いますね。
月の階段のこともこのお話の舞台になった史実も知りませんでした、でもとても素晴らしい女性と日本人の恋の話に感動しました。
貝ボタンってこんな苦労のうえに作られていたんですね、プラスティックになった今では忘れ去られていますが、とても大切なことですね。良作をありがとうございました。

15/06/02 冬垣ひなた

草藍さま、コメントありがとうございます。

回想や孫の語りなども考えましたが、テーマが海だったので直球で書きました。
難しさを感じつつ全力投球しましたが、次のテーマに江戸時代とは(汗)。
読む人にブルームをイメージしやすいようにと詰め込んだ感じですが、
恋愛にもう少し描写が割けると良かったなと思います。
ボタン一つ作るのに多くの国の人が関わっている。
草藍さまのおっしゃるように、とても大切なことだと思いました。

15/07/23 冬垣ひなた

時空モノガタリKさま、コメントありがとうございます。

史実は月への階段を調べている過程で知った事なのですが、
買った本には月への階段は載っていなくて、それで全部を詰め込んだ話を読んでみたくなったのです。
自分の場合、「書きたい」より「読みたい」が創作の原動力ですね。
冒頭は、今までの作品の中でも一番気に入っているシーンです。

この作品、オフラインでの評価は「難しい」といまひとつでした。
硬めな文体が好きなので、過分な評価を頂きまして嬉しく思います。
思い切ってネットで活動を始めて良かったです。
今後も精進してゆきたいと思います。

冬垣ひなた

15/08/06 滝沢朱音

遅ればせながら、入賞おめでとうございます!

私もこういう事実があったと知りませんでした。
「これが惚れた女の居所、海に浮かぶ俺たちの御殿だ。」
お母さんへの懺悔の告白に、胸を打たれました。
海のお題にふさわしい、すてきなモノガタリでした。

15/08/11 冬垣ひなた

滝沢朱音さん、コメントありがとうございます。

親に貰った命をかけて、この世界に立ち向かう覚悟をラストにしました。
ドラマチックな生き方が感情や雰囲気に流されたというわけでない、という所を汲んでいたき嬉しいです。
実際本に書かれていた方は、妻への差別をなくすためにダイバーのトップの座を守りました。「あいつ良い嫁さん貰ったな」と思わせる事で、周囲の偏見が少しずつなくなっていったのですね。
大きな歴史の影に、こうした物語はたくさん眠っているのだと思います。

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