三条杏樹さん

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雉虎

15/05/13 コンテスト(テーマ):第八十三回 時空モノガタリ文学賞 【 時間ぎれ 】 コメント:0件 三条杏樹 閲覧数:1350

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「逃げろ」

掠れた声が聞こえた。弱々しく俺の背中を押して、促される。

「嫌だ」
どうして父さんを置いて、俺だけが逃げられようか。当たりからひっきりなしに聞こえてくる悲鳴や爆音が、腹に響いた。

咳き込む父さんの頬に額を寄せる。
迫る炎は怖くない。それよりも、ひとりで生きることの方が怖い。

泥水を飲んで、人の食べ物を盗んで生きてきた俺を救ってくれたのは父さんだ。俺は絶対に逃げたりしない。

「頼むから」

振り絞るように荒々しく体を押しのけられる。逃げ惑う人が、横たわる父さんの腹を踏みつけていった。くぐもった声で痛みを顕す父さんを守ろうと、鋭い息を吐き、牙を剥いて人を散らす。

「父さん、起きて。一緒に逃げよう」

ここにいては踏み潰されてしまう。塔を目指そう。塔まで行けば安全なはずだ。

「父さん」

微かな息遣いに、滴り落ちる水。
いつものように俺の顎を撫でる手は、もはや動かない。
父さんの腕に頭を乗せた。必死で呼びかける。

一緒に逃げよう。一緒に行こう。一緒に生きよう。

どれだけ鳴いても、伝わらない言葉がもどかしい。人の悲鳴も遠ざかり、あとは命の崩れる音だけ。
その体にすりついた。

「俺はずっと父さんといる」
硝煙に混ざって獣が泣いた。
轟音とともに、ふたりの世界の時間切れが迫っていた。


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