W・アーム・スープレックスさん

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将来の夢
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海屋

15/04/21 コンテスト(テーマ):第八十二回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:2件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:1847

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 子供のころの記憶だから、あいまいなのはしかたがないが、当時たしかに、『海屋』という商売があったことだけは確かにおぼえている。
 僕が生まれ育ったところは、まわりを山ばかりにかこまれた環境で、もしも海を見ようとしたら電車と汽車をのりついで、半日以上かけないことには望みをかなえることができなかった。
 本とかテレビでみることしかできない海を、僕はどうして知ったのか、それを最初に教えてくれたのは『海屋』だった。
 小学校の帰り道に、『海屋』の旗をたてた男が、ビールの木箱を逆さまにして腰かけていた。そこへ僕が友達といっしょにとおりかかった。その場所にはこれまでにもよく、飴細工とか針金細工屋が陣取って、下校する子供をとらえて商売していたので、このときも僕たちは、好奇心にかられて足をとめた。
「海屋って、なんなの?」
 僕がきくと、白いヤギ髭をのばした男は、笑みをたたえて答えた。
「きみたちに、海がどんなものかを、教えてあげる商売さ」
 ただ『海屋』と書いた旗があるきりの男を、僕はけげんそうにながめた。
「どうやって、教えてくれるの」
「ただじゃ、だめだ。ひとり十円、もらわないとね」
「お金がいるのか」
 二人の友達はさっさと、ぼくをその場に残したまま家に帰っていった。
 十円は僕にとっては、大金だった。あんパン一個買えるし、カバヤのキャラメルだって買える。
「きみはどうするね?」
 こちらのためらいを、『海屋』はめざとくみぬいていった。
「あとで、がっかりするのは、いやだな」
「じゃ、やめとくんだな」
 そういわれると、よけい知りたくなる子供心を、巧みに男はついてきた。
「いいよ。十円だね」
 僕はポケットをまさぐり、貴重な硬化をとりだした。
「よし、それじゃ、はじめよう」
 なにがはじまるのか、とまどいを隠せないぼくの肩に、やさしく彼は手をあてた。
「さあ、よくきくんだよ。これから、海が、きみに語りかけるからね」
 そういって彼は、口をわずかにひらいて、ザザザザザーという波の音をつぶやいた。
 ふざけるなと、いきりたちそうになる僕の耳に、そのつぎきこえたのは、風のなかをとびかう海鳥の鳴き声だった。それはほんとうに、海面上を吹きつける風に、翼をゆだねて上に下に気持ちよさげに飛翔する鳥の姿を、僕にありありとおもいえがかせた。
『海屋』はそれからも、海岸の岩にあたって砕けて、まっしろな飛沫をまいあげる波頭を、砂浜におしよせては、またひいていく波のもようを、独特のふしまわしによる声音と、息遣いによって演じてみせた。
 僕は、潮のつよい香りをかいだ。磯にうちよせる波の、ドドドドーという轟きを耳にした。波打ち際に立つ水着姿の人々、小麦色に日焼けたした肌、僕と同年代の男の子が、波を蹴立ててピーチボールを追いかける。点点とついた足跡を、打ち寄せる波が洗い流してゆく………。
「さ、これでおしまいだ」
 いきなり僕のまえに、『海屋』が姿をあらわした。というより、ぼくが海を感じているあいだ、その姿は僕の視界から完全に消えていた。
 まだ僕の目には、海面に照り返す陽ざしが、まぶしくちらついているような気がした。
 僕はもっと海を感じていたかった。あと十円払ったら、『海屋』はその願いをかなえてくれるだろうか。
 しかし、僕のポケットにはもう、一円も残っていなかった。
 家にかえった僕は、親や兄弟たちに、『海屋』のことをはなした。が、だれもそれを真剣にきいてはくれなかった。学校のみんなからも、よくそんなものに、金を払ったねとばかにされ、笑われた。
 僕が、くやしい気持ちをかみしめながら、なおも『海屋』を絶賛しつづけると、友達のひとりが、それならおまえ、おれたちにその『海屋』から教えてもらったとかいう『海』を、ここでもう一度語ってみせろよといいだした。
 ようし、と僕は意気込んで、教室のみんなにむかって、一生懸命、感動をこめて語ってきかせた。だがみんながみせた反応は、いっせいのあくびだった。僕は、できるだけ正確に、伝えたつもりだった。ぼくをあれだけ感動させたのだから、みんなにもきっと伝わると確信していただけに、僕ははげしく落胆し、もういちどやらせてくれとせがんだが、もうだれも耳を貸してくれるものはなかった。
 その後、僕は『海屋』を探したが、二度とその姿をみつけることはできなかった。

 そして僕は、いまあらためて、『海屋』からきかされた『海』を、言葉にあらわしてみることにした。言葉ひとつで、あれだけ臨場感あふれる情景を再現できることを、『海屋』はあのとき僕に証明してくれた。
 僕にもきっとできるはずだ。あのときの感動が本物だったことを確かめるためにも、僕は自分を信じてもう一度ここに、潮の香りを、波の響きを、きらめく大海原を、書いてみることにした。

 


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このストーリーに関するコメント

15/05/19 光石七

拝読しました。
これは実話……でしょうか?
主人公と一緒に『海屋』から海を感じているような気分になりました。
“言葉ひとつで、あれだけ臨場感あふれる情景を再現できる”、書き手として身に付けたい技量ですね。
興味深く読ませていただきました。

15/05/20 W・アーム・スープレックス

光石七さん、コメントありがとうございます。

さあ、実話かどうかは、ご自由に判断してください。
私が言いたかったことをずばり光石さんがコメントされていたので、舌足らずの表現でも、伝わったと感激しています。あらためて読み返してみて、なんだかずいぶん昔に書いたような印象がしました。
カバヤのキャラメル。これはまぎれもなく実話です。

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