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笹峰霧子さん

性別 女性
将来の夢 健康になりますように。
座右の銘 自立。いくつになっても夢を持つ。

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海に抱かれて

15/04/20 コンテスト(テーマ):第八十二回 時空モノガタリ文学賞 【 海 】 コメント:0件 笹峰霧子 閲覧数:1047

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 今年の春、克子は独りであの海へ行った。あれから一年経っていた。50年ぶりに秀樹と再会して三度目のドライブ。今まで家族ともドライブなどしたことがないという彼は、かつて住んでいた勤務先の病院に近いその海岸のことはあまり知らないらしかった。
 ふたりは駐車場に車を停めて、柔らかい草の生えた広場を通り抜け、海へ通じる細い道を歩いた。舗装がしてない道にはいつかの雨のぬかるみがそのまま残っている。
 克子にとっては度々来た海で夫や子供とごろ石の上を転ばないように歩いた思い出がある。
 
 克子はバッグからカメラを取り出し、早速海に向けてシャッターを切った。右手にはもう一つの入り江があり砂浜になっている。真正面にカメラを向けると真珠養殖の筏が海面を覆っていた。左には南へ通じる海が地平線まで続いていて日の光が反射して鮮明な海の色が出ないなと克子は思う。克子は手動で設定ができない一眼レフのカメラでは明度を調節できずいつも悔しい思いをしているのだ。

 克子が海の撮影に夢中になっている間、秀樹は堤防に顔をもたせてぼぉっと海を見つめていた。克子には秀樹の気持は全く読めなかった。長い歳月が経っているので大人になった自分は彼の心を汲み取ることなんてとてもできなかったのだ。
「もういいの?」秀樹はぼそっと言った。
「うん。良い写真が撮れたわ」
「・・・」

 もと来た道の水溜りを避けて車の方に戻ろうとしていた。海に出るときは気が付かなかった10メートル以上もある棕櫚の木が聳えていた。秀樹は棕櫚に隠れるように立ち、克子の肩をぎゅっと抱きしめた。背の高い秀樹は少し足を屈めている。克子も背伸びしていた。
 もし昔出逢った頃こんなことがあったらもう離れられなくなっていたろう。若いときはお互い思いも淡白で、それぞれの思いはそよ風のように爽やかで、淡い思い出だけを残して通り過ぎて行った。

 今ふたりは後悔しても戻れない年になっている。
「気分は若者だよ」秀樹は照れたようにつぶやいた。
 克子も今なら意思表示ができる大人になっていると思った。でもあの時なら意思表示しなくても真っさらなふたりでいられた。今はちがう。戻りたくても人生は前を向いてしか進めないのだ。
 秀樹は悔しい思いがした。どうしてこんな大事な人の傍を通り過ぎたのだろう。怖いもの知らずのような自由人として生きてきて、それが幸福かどうか考えることもなかった秀樹だったが、今克子に出合ってからはもう一つの選択があったのではないかという気持が日々苛むのだ。
「いいのよ、そんなこと」克子はいやに淡々としている。それも秀樹のいらいらの原因だった。
海がふたりを見つめていた。海はやさしかった。克子はそう思う。

 独り海にきてあのときのことが走馬灯のように浮かんだ。家族と来たことはもう意識の中にはなかった。
 どんなに会いたいと思っても、もうこの世に居ない人のことばかりを考えていた。克子は前に来たときと同じ構図の写真を撮った。

 海が言った。――哀しいときはいつでもここへおいでなさいな…。
 克子は海が語りかけているような気がした。
 みんなあちらの世界へ行ってしまった…、残された自分の人生は最後にどうなるのだろう。海と共に生きてきた克子は都会で暮らすことなんてできないような気がしていた。会いたければいつでもこの海に来ることができる町に住んで、命を全うしたい。それが克子の願いなのだ。
 すべての思い出は克子の胸の中にあり、それを知っているのはこの海のような気がしていた。
 また来よう…そう思いながら克子は車のエンジを掛ける。ふぅっと助手席から自分に向けられた視線を感じた。克子は思いを振り払う。昔克子がそうやって振り払ってきたように、今も又同じことをしている。
 やっぱり変わらないな、後ろ姿ばかり見せている人だ!
 克子は哀しみより滑稽な気がした。駐車場から国道に出ると、人けのない一直線の道をスピードを少し上げて走った。
暫くつづく海は克子が自宅に帰る途中まで見守ってくれていた。


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