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そらの珊瑚さん

🌼初めての詩集【うず】を上梓しました。  (土曜美術出版販売・現代詩の新鋭シリーズ30) 🌼小説や詩、短歌などを創作しております。 🌼作品を置いています。よろしかったらお立ち寄りくださいませ。 「珊瑚の櫂」http://sanngo.exblog.jp/14233561/ 🌼ツイッター@sangosorano 時々つぶやきます。 🌼詩の季刊誌(年4回発行)「きらる」(太陽書房)に参加しています。私を含めて10人の詩人によるアンソロジー集です。アマゾンでお買い上げいただけます。      ✿御礼✿「馬」のオーナーコンテストにご参加いただきました皆様、ありがとうございました。

性別 女性
将来の夢 星座になること
座右の銘 珊瑚の夢は夜ひらく

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海辺の街のマダム・M

15/04/20 コンテスト(テーマ):第八十回 時空モノガタリ文学賞 【 テーブルの上 】 コメント:10件 そらの珊瑚 閲覧数:1591

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 男からもらった真紅の薔薇の花びらの数枚が、一週間経って、テーブルの上に散り始めていた。マダム・ミスティは、その一枚を手に取る。まだみずみずしさを残したそれが、男の旅立ち、すなわち別れを告げていることを、起きたばかりのぼんやりとした思考の中で直感的に悟った。
 もともと低血圧であった彼女の朝は、たいてい不機嫌であるのだが、今朝それは何重にも輪をかけて不機嫌だった。一人暮らしでよかったと彼女が思うことのひとつに、いくら不機嫌であろうとも誰にも迷惑をかけないということがある。
 花びらを咀嚼する。その色にまるでそぐわないそっけない味がして、飲み込んでしまえばいくぶん血圧が戻ってきた気がするのだった。
 それから彼女は、昨晩から開け放したままであった古いピアノの蓋を閉めた。各地を演奏旅行するピアニストの恋人は、すでにここにはいない。彼が昨晩弾いた旋律の名残りが、まだこの部屋のそこかしこに、男の煙草の残り香と共に澱んでいるようだった。恋人の痕跡。それは彼女の身体の中にも熾火のように残されていた。
 さようならさえ言わないのはいつものこと。またここへ帰ってくるという約束もなし。もちろん二人の将来についても。それを不実だとなじるには、彼女は年を取り過ぎていた。恋を失うことに、すっかり慣れていたし、男の約束ほどあてにならないものはないことも経験上知っていた。
 この世の半分は、おそらく幻想で出来ているのだろうと、彼女はため息をつくしかなかった。
 塗装のはげかかった蓋は、小さな生き物のように、マダム・ミスティの手の中で、かすかに、「きぃ」と鳴った。それは何度か繰り返されてきた儀式であった。
 ひとりで良かったと思うことのふたつ目は、食欲のない朝は、花びらと珈琲一杯で済ますことが出来ること。そんな簡単な朝食を済ませて、彼女はテーブルの上に、印度更紗の布をかけた。昔、恋人にもらった土産。複雑に入り組んだえんじ色の模様が、一瞬でテーブルの上を舞台に変える。
 一人暮らしには少し不似合いな広すぎるテーブルであったが、それは彼女の商売道具でもあったのだ。テーブルに上に、カードを並べてみせるためのゆとりが必要だった。
 トランプ占い師。客の未来を占うのだ。
 良い未来が出ても、ほんのひとさじ堅実さを含ませて伝える。反対に、良くない未来であったら、うすく希望を織り混ぜる。それが彼女のやり方であった。
 自分の未来は占わない。それは自分自身と取り交わした約束。女の約束もまたあてにはならないものだが、マダム・ミスティの占いはなぜか当たるという定評だった。
 マダム・ミスティが暮らすこの街は、海辺にあるためか、しじゅう湿っていて、霧の朝は珍しくない。霧というものの正体は、つきつめていけば水なのだろうけれど、空気に溶けたそれらは家の中にもたやすく侵入してくる。
 そのせいで彼女の愛用している紙製のトランプは、しばらく使っていると湿気てダメになる。触れれば傷つけられるほど鋭利だった角も、しおれてくる。カードとカードが大層いやらしくひっついてしまうと、的確な答えへ導いてはくれない。
 昨日まで使っていたカードたちが、爪の先まで手入れの行き届いた彼女の細い指によって、リズミカルの切られていったが、ほんの少しのひっかかりを彼女は見過ごせなかった。
 ためらいもなく、それらをゴミ箱へ捨てる。おそらく忌々しい未練のたぐいも一緒に。新しいトランプの束は、丁寧にセロファンに包まれたまま引きだしにあった。
 ――新しく封を切るのは客が来てからにしよう。
 今日の予約は午後からだった。彼女は薄いカシミアのショールを肩から羽織り、散歩に出る。
 道のあちこちに野良猫がいる。どの猫もみな一様に尾が短い。その昔、船の鼠取りのために連れてこられた猫の末裔で、その時、尾は不要とみなされてぷっつり切られたのだともいう。彼らの主食は漁のおこぼれの小魚だったが、不漁続きの時は、人の幻想を食べることもあるという。その中でもとびきり旨いのは、人間の愛の約束だとも。この街の猫が丸々と太っているゆえんなのだろう。港町という場所はとかくそんな物語が生まれやすいのだ。
 陽が高くなると同時に、次第に霧が失せてゆく。その霧の何%かは、女のため息だということに、猫以外に気づく者はいないだろう。
 それまで霧で隠されていたものたちが、形をあきらかにしてゆくのを見るのは、晴れ晴れとした心持ちにさせる。
 苔むした石畳のひとつひとつこそが、現実なのであった。
 彼女は履いている靴のヒールを、その隙間にはさんでしまわないように、注意深く歩いていく。


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このストーリーに関するコメント

15/04/20 そらの珊瑚

画像は「写真素材 足成」さまよりお借りしました。

15/04/20 鮎風 遊

自分を占わない女占い師。
ミステリアスですね。
背後に広がる風景と相まって、引いたカードはスペードのエース。
男は3ヶ月後に戻ってくる。
こんな妄想についつい繋がって行きました。

15/04/20 草愛やし美

そらの珊瑚さん、拝読しました。

珊瑚さんはほんと詩人さんですねえ、そこここに散りばめられている言の葉の魔術にかかり酔ってしまいそうです。笑顔

占い師って、自分のこと占ってはいけないとか言われています。マダムの恋がうまくいかないのは海辺の港街だからなのかもしれません、そんな思いが漂ってきました。独特の雰囲気を醸し出す幻想的なものがたりですね。

15/04/21 たま

そらの珊瑚さま、拝読しました。

とってもいいです♪ 
小説になってますね。素晴らしいです。何気なく猫がでてきて、何気ないお話が見事に異化されました。
港町の猫のエピソードはたくさんあります。たとえば、六本指の猫ばかりの町とか。
でも、猫が出てきたからといって、お話しが異化されるわけではありません。
珊瑚さんの用意周到な筆によって、読者の脳みそが異化されたのです。
それが小説なのだと思います。
詩人が書いた小説はたくさんありますが、ぼくの場合、詩人ゆえに小説にならないときもあります。いろいろと、試行錯誤して、詩人であることは忘れて小説を書いているのですが・・^^
それで、いつも珊瑚さんの小説は気になるのです。
よろしく♪



15/04/21 泡沫恋歌

そらの珊瑚 様、拝読しました。

なるほど、詩人である珊瑚さんの書いた小説は、ただの小説ではなく、珊瑚さんの世界観が、
そこかしこの文章から漂ってきますね。
幻想的で美しい珊瑚さんの世界はどこまでも美しく素晴らしいです!

私の場合は小説書きが詩作してるという、珊瑚さんの逆のケースですね(笑)

15/04/26 冬垣ひなた

そらの珊瑚さま、拝読しました

港町に暮らす神秘的な女占い師……彼女自身の運命は誰も知らない。
文章が繊細で、時間を切り取った絵画に魅せられたように、読後に溜息を洩らしました。
詩人の珊瑚さまが見るのはこういう世界なのですね、何とも美しい。

コメにそらの珊瑚さま、拝読しました

港町に暮らす神秘的な女占い師……彼女自身の運命は誰も知らない。
文章が繊細で、時間を切り取った絵画に魅せられたように、読後に溜息を洩らしました。
詩人の珊瑚さまが見るのはこういう世界なのですね。美しい作品です。

コメに横やりですいませんが、六本指の猫がいるのはフロリダ州のキーウエストですね。文豪ヘミングウェイが飼っていた猫の子孫たちだそうです。

15/04/26 冬垣ひなた

コメントがおかしくなってしまい大変失礼しました。

15/04/26 そらの珊瑚

鮎風 遊さん、ありがとうございます。
いいですね〜スペードのエース。
そこからまた違う物語が始まりそうです。

草藍さん、ありがとうございます。
詩は書いたりしてますが、正直あんまり自分のことを詩人だと思ってなくて。
自分のことを占ってもうまくいかないか、占うこと事体タブーなのか、そのあたりのことはわかりませんが、
そういう能力は人のためにこそ、ということかもしれませんね。

たまさん、ありがとうございます。
お褒め頂いて、恐縮です。
本作は、もとは詩として書いたものですが、肉付けをしてみたらこんな形になりました。
自分の中では、詩と小説はどこかでつながっているようです。
六本指の猫、会ってみたいです。

泡沫恋歌さん、ありがとうございます。
現実には存在しない街が、書き始めてみると実はとても近いところにあったという発見が、
こういった物語を書くといつもあります。
ファンタジーは世界観に入っていけるか、いけないかが大きなハードルだと思いますので、そういっていただき嬉しいです。

冬垣ひなたさん、ありがとうございます。
絵画を感じていただけたのこと、嬉しいかぎりです。
私も書きながら、頭の中に絵がありありと浮かんでいました。
6本指の猫、ヘミングウェイでしたか。そういえば聞いたことがあったような気がします。
教えていただき感謝します。

15/04/26 滝沢朱音

珊瑚さんの掌編は小説でありながらいつも詩的で、気高い感じがとても好きです。
言葉の端々まで、文章の手先足先まで選びぬかれ、ピンとはりつめた感じがして…!
「この世の半分は、おそらく幻想で出来ているのだろう」と
「苔むした石畳のひとつひとつこそが、現実なのであった」との対比とかも、ほれぼれしてしまいました。
マダムM=ミスティ、曲にもなりそうな世界観だなと思いました♪

15/05/08 そらの珊瑚

滝沢朱音さん、ありがとうございます。

とっても嬉しいお言葉をいただき、感謝です。
言葉選びは難しいです。
詩を書くときはこだわりますが、
小説であまりそこに固執しすぎると、筆が止まってしまうことも。
「幻想」と「現実」の対比に気づいていただけたなんて作者冥利につきます。

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