メラさん

 主に純文学系を書いていますが、特にジャンルにこだわっているわけではありません。気ままに、マイペースに小説を書いてます。

性別 男性
将来の夢 世界平和
座右の銘 知足。悠々自適。日々新た

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15/03/24 コンテスト(テーマ):第八十回 時空モノガタリ文学賞 【 テーブルの上 】 コメント:7件 メラ 閲覧数:1750

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 いつもと違う見慣れぬ風景に、茶沢拓郎は一瞬目を疑い驚いたが、すぐにはっとして思い出した。そう、この風景こそが、むしろいつもの風景になりつつあるのだと。
 がらんとしたリビング。壁紙には数日前まで置いてあった家具の跡が残っている。妻が出て行く際、家具のあらかたを持っていった。実際の所、茶沢にも未練の残る家具などなかった。このマンションも、早々に退室する手続きを始めないとならない。実質的に、一人で住むには広すぎるのだ。
 テーブルの上には、昨夜遅くまで飲んでいた焼酎の空のボトルと飲みかけのグラス。コンビニで買った惣菜のパック。そしてそれらとあまりに不釣合いな、ピンク色のカーネーションの花が数本。
 一週間前に買った花だった。しかし、この一週間の間に、花びらの淵は茶色く萎れ、色合いもずいぶん褪せたような気がする。
 花はやや無造作に、牛乳瓶に挿してある。瓶がやけに透明なせいで、朝日を浴びると、中の水が濁っているのがよく見える。水を取り替えないとならない、と毎朝思うのだが、妻が出て行った日から一度も取り替えていない。
 茶沢は昨夜寝る前と同じ格好のまま、椅子に腰掛ける。毎朝、この花をこうして眺める。日に日に、枯れていく様子を眺めるというのは、どこか残酷な行為だと思いながら。
 そしてそれは、家庭も同じだった。残酷なほど、日に日に壊れていく関係を、どこか傍観するように眺めていたのだ。始めのきっかけを作ったのが自分の浮気とはいえ、いつしか彼女が、化粧をしてから出掛ける事に、もはや何も言えなくなっていた。
 もし子供がいたなら、こんな風に別れが訪れなかったのかもしれない。いや、どちらにしろ同じ事か。子供がいたなら、余計に別れる際にやっかい事が増えただけだろう。ただ単に、自分には誰かと家庭生活を営む能力がなかった、それだけだと茶沢は思った。茶沢にとって、あらゆる人間関係は何らかの能力が必要されるものだった。
 子供の一人や二人できるだろうと、ファミリー世帯向けに買ったマンションは、きれい好きの妻のおかげか、いつまでもモデル・ルームのように清潔で整頓されたままだった。そして今、かすかな埃の跡だけが残る広いリビングは、もはや生活の気配は微塵も感じられない。ここに今自分がいる事すら、蒸し暑い午睡の白昼夢の中に迷い込んだかのような錯覚を覚えてしまうほどだ。
 窓から注ぐ温かい日差しが、二日酔いでだるい体を温める。しかしもう午前八時。そろそろ仕事に行かなければならない。しかし茶沢はいつまでも着替えもせず、椅子に腰掛けたまま、妻が最後に挿していった、枯れかけたカーネーションから目を離せないでいる。
 今でこそこんな牛乳瓶に挿してあるが、始めは彼女のお気に入り花瓶に活けられていて、もう少し華やかさがあった。しかし、花瓶は彼女の持ち物として運び出され、花だけがこうして残された。彼女がどうして、最後にこの花を捨てなかったのかと疑問が残る。もちろんその答えがどんな形であれ、自分にとってはもはやどうでもよい事だと知りながら。
 一週間前の結婚記念日に、最後の望みを繋げようと思ったわけではないが、花を買って帰った。毎年この日は花を買い、二人で上質のワインを飲み、ささやかに祝うのが恒例だった。しかし彼女はその夜、帰る事はなかった。
 結婚記念日は結局、五年目で終わりを告げた。そして彼女はこれから、新しい記念日とやらを、あの男と重ねていくのだろうか?
 こうして朝日を浴び、酒の残る頭でぼんやりしていると、仕事に行く事にうんざりとしてくる。家庭を顧みないほど、あれほど情熱を注いだ仕事が、いつしか妻の視線から逃げるための仕事となり、そしてあらゆる理由が出し尽くされた今、働く意味がまったく分からなくなっている。
 それは絶望とか悲観という言葉を超えた、名もない空洞でしかなかった。その自らの内側にある空洞に、茶沢自身の一部が既に飲み込まれているような気がしてた。
 その空洞の中は、まどろみの中にいるような生暖かさがあり、茶沢はその居心地の良さに刻一刻と浸されている。だが今は、この広々としたリビングにある現実の自分の肉体と、空洞の中にいる自分の一部分がせめぎ合うのか、時々引き裂かれるような痛みを、どこか遠くに感じることもある。
 テーブルの上に置かれた花を見ながら、茶沢はまるで瞑想でもしているかのように、まだ見慣れぬ風景に自分の身体が溶けていくことを感じていた。世界と自分を隔てる輪郭が解け、ただただ自己を空洞の中に喪失させ続けた。
 その視界の中、花はただの平面的な景色の一部となった。だがこの花が枯れる頃には、この風景こそが自分自身の一部となるのだろうか。
 茶沢はそんな事をただぼんやりと思いながら、椅子から重い体を起こした。


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このストーリーに関するコメント

15/03/24 海見みみみ

メラさん、拝読させていただきました。
なんとも寂しい話ですね。
妻が出て行って色彩を失った部屋。
そこに一人残される主人公。
カーネーションが枯れた時、主人公は何を思うのでしょうか。
一人の男の悲劇が淡々と語られる切ない作品でした。

15/03/24 泡沫恋歌

メラ 様、拝読しました。

これぞ、純文学というべき文体と表現力にただただ感心させられました。
妻が出ていった後のマンションに独り暮らす男と枯れていく花・・・
この対比が切なく、胸に迫る物語でした。

素晴らしい秀作だと思いました。

15/03/27 メラ

海見みみみさん、恋歌さん、コメントありがとうございます。
さびしいですね・・・。まさしくこれぞ純文学的なシチュエーションでもありますが、こういう人ってきっといるんでしょうね。
最後に重い体を起こした。そしてまた新しい人生を模索するのでしょう。

15/04/18 滝沢朱音

「それは絶望とか悲観という言葉を超えた、名もない空洞でしかなかった」
「世界と自分を隔てる輪郭が解け、ただただ自己を空洞の中に喪失させ続けた」
この二文がとても印象的でした。純文学、こういう世界なんですね。
一つ一つの描写が読み手の想像力を刺激して、心が震えました。

15/04/20 光石七

拝読しました。
静かで丁寧な描写、淡々とした語り口なのにすごく心に迫るものがありますね。
テーブルの上の枯れていく花は主人公自身の姿でしょう。
素晴らしかったです。

15/04/21 メラ

滝沢さん、コメントありがとうございます。
お会いしたのでご存知かと思いますが、普段は気さくで明るいおにーさん(そろそろおじさん)なんですが、こんな暗い話が多いんです。なんでやろって、自分でも不思議。

光石さん、コメントありがとうございます。
テーブルの上、というお題で、何も考えずに書き始めたら、こんな話になりました。主人公の男性は、この孤独に耐えれるのか。私も気になるところです。

15/04/24 

拝読させていただきました。
文章の表現が多彩で、読んでいてその光景が頭の中にありありと浮かんできました。
カーネーションを見る、主人公の空っぽな心がまた切ないなと思いました。

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